それ三界はただ心一つなり|方丈記「我が身一つ」現代語訳

それ、人の友とあるものは

原文

 それ、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、ねんごろなるをさきとす。必ずしも、なさけあると、なほなるとをば愛せず。ただ、ちくくわげつを友とせんにはしかじ。人のやつこたるものは、しやうばつはなはだしく、おんあつきを先とす。さらに、はぐくみあはれむと、やすく静かなるとをば願はず。ただ、わが身をとするにはしかず。

現代語訳

 そもそも、人の友というものは、裕福な人を尊敬し、しきりと親密そうにする人を第一とする。必ずしも思いやりのある人や、心がまっすぐな人を愛するわけではない。ただもう、音楽と自然を友にした方がましだ。人の召使いというものは、賞与が格別に多く、恩恵をたくさん受けられることを第一とする。決して、面倒見がよく、心が安らかで穏やかな主人を求めるわけではない。それならただ、自分の身を召使いとした方がましだ。


語釈
  • ねんごろ【懇ろ】:親しいようす。仲むつまじいようす。
  • なさけ【情け】:思いやり。いたわり。人情。
  • すなほ【素直】:ありのままで素朴なさま。心がまっすぐであるさま。
  • しちく【糸竹】:楽器の総称。「糸」は琴・琵琶などの弦楽器、「竹」は笙・笛などの管楽器を表す。
  • くわげつ【花月】:美しい自然の風物。
  • しかじ【如かじ】:⋯に及ぶまい。⋯にまさることはあるまい。⋯のほうがましだ。
  • やつこ【奴】:召使い。
  • しやうばつ【賞罰】:賞与。「罰」は賞に添えた語。
  • はぐくむ【育む】:養い育てる。世話をする。
  • あはれむ:いつくしむ。愛する。
  • やすし【安し】:心が安らかである。穏やかである。
  • しづか【静か】:穏やかなようす。平静なようす。
  • ぬひ【奴婢】:召使い。

いかが奴婢とするならば

原文

 いかが奴婢とするならば、もし、なすべき事あれば、すなはち、おのが身を使ふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりやすし。もし、ありくべき事あれば、みづからあゆむ。苦しといへども、馬、鞍、牛、車と、心を悩ますにはしかず。

現代語訳

 どのようにして召使いにするかと言うと、もし何かしなければならない事があれば、まずは自分の体を使う。疲れてだるいと思うこともあるけど、人を使って、世話をするよりは楽である。もし、歩かないといけない時は、自分の足で歩く。苦しいと言っても、馬、鞍、牛、車と、心を悩ますほどではない。


語釈
  • たゆし【弛し・懈し】:疲れて力がない。だるい。
  • かへりみる【顧みる】:気にかける。心配する。目をかける。世話をする。

今、一身をわかちて、二つの用をなす

原文

 今、一身をわかちて、二つの用をなす。手の奴、足の乗り物、よくわが心にかなへり。身、心の苦しみを知れれば、苦しむ時は休めつ、まめなれば使ふ。使ふとても、たびたびすぐさず、ものしとても、心を動かす事なし。いかにいはむや、常に歩き、常にはたらくは、養性やうじやうなるべし。なんぞ、いたづらに休みをらん。人を悩ます、ざいごふなり。いかが、ほかの力をるべき。

現代語訳

 今、我が身一つを分けて、二つの働きをする。手を召使い、足を乗り物とすれば、自分の思い通りに動く。体は心の苦しみをわかっているから、苦しい時は休めて、元気な時は使う。使うと言っても、酷使することはない。疲れておっくうな時も、心が動揺することはない。それにしても、毎日歩き、毎日働くのは養生となる。どうして無駄に休んでいられようか。他人を苦しめるのは罪深い行いである。どうして他人の力など借りられようか。


語釈
  • かなふ【適ふ・叶ふ】:思い通りになる。
  • まめ【忠実・実】:健康なようす。丈夫なようす。
  • すぐす【過ぐす】:度を越す。
  • ものうし【物憂し】:なんとなく心が重い。おっくうだ。つらい。苦しい。いやだ。
  • こころうごく【心動く】:動揺する。思い乱れる。
  • やうじやう【養生】:健康を保ち、増進させること。
  • いたづら【徒ら】:むだである。無益である。
  • さいごふ【罪業】:〘仏教語〙(来世で報いを受ける)罪深い行い。
  • いかが【如何】:どうして⋯であろうか、いや⋯でない。

衣食のたぐひ、また同じ

原文

 衣食いしよくのたぐひ、また同じ。ふぢころもあさふすまるにしたがひてはだへをかくし、のおはぎ、峰の、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじはらざれば、姿を恥づるいもなし。かてともしければ、おろそかなるをあまくす。すべて、かやうの楽しみ、富める人に対して言ふにはあらず。ただ、わが身一つにとりて、昔、今とをなぞらふるばかりなり。

現代語訳

 衣服や食事もまた同じである。藤の衣装や麻の寝具は、得られたものを使えばいいし、野原のヨメナや峰の木の実だけでも、かろうじて命をつなぐぐらいはできる。他人と交流することがないから、自分の姿が恥ずかしいと後悔することもない。食糧が乏しいので、粗末な物も美味しく感じられる。すべて、このような楽しみは裕福な人に対して言っているのではない。ただ、我が身一つについて、昔と今とを比べているだけである。


語釈
  • ふぢのころも【藤の衣】:藤や葛の繊維で作った粗末な服。
  • あさのふすま【麻の衾】:麻布で造った寝具。
  • おはぎ:ヨメナの古名。食用になる。
  • かて【糧】:食糧。
  • おろそか【疎か】:粗末だ。簡素だ。
  • ほ【哺】:口に含んだ食物。
  • あまくす【甘くす】:おいしいものにする。おいしく感じさせる。
  • なぞらふ【準ふ・准ふ・擬ふ】:比べる。

それ、三界は、ただ心一つなり

原文

 それ、さんがいは、ただ心一つなり。心、もし、やすからずは、ざうしつちんよしなく、くう殿でんろうかくも望みなし。今、さびしき住まひ、ひといほり、みづからこれを愛す。おのづから都にでて、身のこつがいとなれる事を恥づといへども、帰りて、ここにる時は、ほかぞくぢんする事をあはれむ。

現代語訳

 おおよそ、この三界は心の持ちようである。心がもし安らかでなければ、象や馬、珍しい宝物があってもつまらなく感じ、宮殿や楼閣を欲しいと思うこともない。今、この物寂しい住まい、一間の庵、自分はこれを愛する。たまに都へ出て、我が身が乞食となっていることを恥ずかしく思うことはあるけれども、帰宅してここに居る時は、他人が俗世間の煩悩にまみれていることを気の毒に思う。


語釈
  • さんがい【三界】:〘仏教語〙すべての衆生が生死をくりかえす3つの迷いの世界。欲界・色界・無色界のこと。
  • ざうめ【象馬】:象や馬のような貴重な家畜。経典の中で宝物とされる。
  • しつちん【七珍】:〘仏教語〙七種の宝物。金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲・瑪瑙・珊瑚。七宝。
  • よしなし【由無し】:つまらない。取るに足りない。無益だ。無用だ。
  • ろうかく【楼閣】:高層の建物。
  • のぞむ【望む】:欲しいと思う。
  • おのづから【自ら】:たまたま。まれに。
  • こつがい【乞丐】:物もらい。こじき。
  • ぞくぢん【俗塵】:俗世のちり。俗世間のわずらわしい諸事。
  • はす【馳す】:あくせくとかけまわる。
  • あはれむ:かわいそうに思う。気の毒だと思う。

もし、人、この言へる事を疑はば

原文

 もし、人、この言へる事をうたがはば、いをと鳥とのありさまを見よ。魚は、水にかず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は、林を願ふ。鳥にあらざれば、その心を知らず。かんきよも、また同じ。住まずして、たれかさとらむ。

現代語訳

 もし、この発言を疑う人がいるならば、魚と鳥の様子を見てほしい。魚は水にあきあきすることはないが、魚になってもないとその気持ちはわからない。鳥は林を望むが、鳥になってみないとその気持ちはわからない。俗世間を離れて静かに暮らす味わいもこれと同じで、住んでみないことには誰にもわからない。


語釈
  • あく【飽く】:十分すぎていやになる。あきあきする。
  • かんきよ【閑居】:俗世間を離れて静かに暮らすこと。
  • きび【気味】:趣。味わい。
  • さとる【悟る・覚る】:深く理解する。詳しく知る。わかる。