痛烈な平氏ディス!方丈記「福原遷都」の原文・現代語訳を考察

また、治承四年水無月のころ

原文

 また、治承ぢしやう四年づきのころ、にはかにみやこうつはべりき。いと思ひのほかなりし事なり。

 おほかた、この京のはじめを聞ける事は、の天皇のおほんとき、都と定まりにけるよりのち、すでに四百余歳をたり。ことなるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを、世の人やすからず、うれへあへる、にことわりにもすぎたり。

現代語訳

 また、治承4年(1180年)6月のころ、突然遷都が行われました。まったく思いもよらない出来事であった。

 おおよそ、この平安京のはじまりについて私が聞いていることは、嵯峨天皇の御代に、この領域が都として落ち着いた後、すでに400年余りが経過している。特別な理由もなく、そう簡単に都が新しくなる事なんてあるはずがないので、この遷都を、世の人々が不安に思い、心配し合うのは、まったくもって当然すぎることであった。


語釈
  • みやこうつり【都遷り】:遷都。
  • ことなるゆゑ【殊なる故・異なる故】:特別な理由。
  • げに【実に】:まったく。そのとおり。ほんとうに。
  • ことわりなり【理なり・断りなり】:もっともだ。

なぜ桓武天皇ではなく嵯峨天皇の御時なのか

 平安京が都として定められたのは794年、桓武天皇の御代です。桓武天皇はその10年前、784年に平城京から長岡京へと遷都し、失敗した経緯があります。平城京を離れたくない勢力による反発があったんですね。平安京へ遷都してからも朝廷内は混乱していました。

 桓武天皇は806年に亡くなり、次に即位したのは平城へいぜい天皇でした。平城天皇は桓武天皇の息子であり、第一皇子でしたが、父親との関係はあまり良くなかったようです。わずか3年で天皇の地位を嵯峨天皇に譲ると、平城京への出戻りを画策します。しかし嵯峨天皇がこれをすぐに阻止し、ようやく平城京に戻りたい勢が制されたのでした(薬子の変、または平城太上天皇の変)。

 その後は文字通り、平安の都となった平安京。「の天皇のおほんとき、都と定まりにけるよりのち、すでに四百余歳をたり」というのは、鴨長明が『方丈記』を執筆する1212年を終点に、嵯峨天皇の御代(809~823年)に都が落ち着いてから400年余りということでしょう。もしかすると長岡京への遷都に失敗した桓武天皇のことも、あまり良くは思っていなかったのかもしれません。自分の権力を強固にするために、たくさんの一般庶民を巻き添えにしたですから。

されど、とかく言ふかひなくて

原文

 されど、とかく言ふかひなくて、みかどよりはじめたてまつりて、大臣、公卿くぎやう、みなことごとく移ろひたまひぬ。世につかふるほどの人、たれか一人、ふるさとに残りらむ。つかさくらゐに思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人は、一日なりともとく移ろはむとはげみ、時を失ひ、世にあまされて、する所なきものは、憂へながらとまりり。のきを争ひし人の住まひ、日をつつ荒れゆく。家はこぼたれて、よどがはに浮かび、地は目の前にはたけとなる。人の心、みな改まりて、ただ馬、くらをのみ重くす。牛、車を用する人なし。西さいなんかい領所りやうしよを願ひて、とうぼく庄園しやうゑんを好まず。

現代語訳

 しかしながら、あれこれ言っても仕方がなく、天皇をはじめとして、大臣も、公卿も、みな残らず新都へお移りになられた。朝廷に勤めるほどの人は、誰が一人で旧都に残っていようか。官職や位階の昇進に執着し、主君の恩顧を期待しているような人は、一日でも早く新都へ移ろうと懸命になり、出世の好機をつかめず、朝廷に見放され、将来に何も期待できることがない人は、悲嘆にくれながら旧都にとどまった。豪華さを張り合っていた人の住まいは、日が経つにつれて荒れてゆく。家は解体され、筏に組まれて淀川に浮かび、宅地はあっという間にさら地となる。人の考え方はすっかり変わり、ただ馬や鞍ばかりを重んじる。牛や牛車を使う人はいない。西南海の領地を望み、東北の荘園は望まない。


語釈
  • とかく:あれやこれやと。
  • かひなし【甲斐無し・効無し】:仕方がない。どうしようもない。
  • おもひをかく【思ひを懸く】:執着する。
  • かげ【陰・蔭】:庇護。おかげ。恩顧。
  • とく【疾く】:早く。急いで。早々に。
  • あます【余す】:余計者にする。取り残す。
  • ごす【期す】:結果を期待する。待ち望む。
  • こぼつ【毀つ】:壊す。破壊する。

西南海の領所と東北の荘園

 当時の日本は、五畿七道という行政区画に分かれていました。西南海は西海道(九州)と南海道(四国・淡路・紀伊)のことで、平氏の息がかかった地域でした。対する東北は平安京の東側(東海・北陸・東北)のことで、平氏の勢力外。役人たちは平氏の恩恵に少しでもあやかろうと、旧都に残された庶民など顧みることなく真っ先に新都へと移って行ったのでした。

その時、おのづから事のたよりありて

原文

 その時、おのづから事のたよりありて、の国の今の京にいたれり。所のありさまを見るに、その地、ほどせばくて、条里でうりを割るにたらず。北は山に沿ひて高く、南は海近くてくだれり。波の音、常にかまびすしく、潮風、ことにはげし。内裏だいりは山の中なれば、かのまろ殿どのもかくやと、なかなかやう変はりて、いうなるかたもはべり。日々にこぼち、川もに運びくだす家、いづくにつくれるにかあるらむ。なほむなしき地は多く、つくれるは少なし。

現代語訳

 その時、たまたま用事ができたついでに、摂津の国の新しい都に行ってみた。その場所のようすを見たところ、土地の面積が狭く、区画を割り当てるには足りない。北側は山沿いで高く、南側は海に近くて下り坂になっている。波の音はいつも騒がしく、潮風はことのほか強い。皇居は山の中にあるので、あの木の丸殿もこんな風情だったのかと、かえって様式が異なり、優れているところもありました。来る日も来る日も解体され、川もいっぱいになるくらいに流送された家は、いったいどこに造ったのだろうか。今もまだ空いている土地が多く、建てた家は少ない。


語釈
  • おのづから【自ら】:たまたま。偶然。
  • ことのたより【事の頼り】:何かの用事のついで。
  • つのくに【津の国】:摂津国の古名。現在の大阪府北部と兵庫県東部にあたる地域。
  • かまびすし【喧し・囂し】:うるさい。やかましい。

木の丸殿とは

 長明は「たまたま用事ができたついで」に福原の様子を見に行きました。本心は行きたくて仕方なかったんでしょうが、わざわざ「ついでに行っただけだし」と付け加えるところが陰キャらしくて好きです(笑)。

 木の丸殿とは、長明の時代から500年以上前、西暦661年に斉明天皇と中大兄皇子(後の天智天皇)が突貫工事で建てたといわれる仮の宮殿のことです。当時、朝鮮半島の百済と友好関係を結んでいた日本(倭国)は、660年に新羅と唐の連合軍によって滅ぼされた百済を救済するために軍隊を派遣することにしました。斉明天皇と中大兄皇子はまず九州(筑紫国)へと向かい、朝鮮半島への出兵の拠点として仮の宮殿を建設します。木材を加工する時間などなく、丸太のまま急いで組み上げられました。

 長明は福原に新しく造られた皇居を、その木の丸殿のようだと評しています。「なかなかやう変はりて、いうなるかたもはべり」とは、相当な皮肉でしょう。長明が現在のMCバトルに出たら、かなり強いと思います(笑)

古京はすでに荒れて、新都はいまだならず

原文

 古京はすでに荒れて、新都はいまだならず。ありとしある人は、みなうんの思ひをなせり。もとよりこの所にるものは、地を失ひてうれふ。今移れる人は、土木のわづらひある事をなげく。道のほとりを見れば、車に乗るべきは馬に乗り、くわんなるべきは多くひたたれを着たり。都のり、たちまちに改まりて、ただひなびたる武士もののふにことならず。

現代語訳

 旧都はすでに荒れ果て、新都はいまだに完成していない。ありとあらゆる人が、みな不安な思いをいだいている。もともとこの土地に住んでいる者は、土地を取られて嘆いている。新しく移り住む人は、土木工事の手間がかかることにため息をついている。道端を見ると、牛車に乗るべき人が馬に乗り、衣冠や布衣を着るべき人の多くが直垂を着ている。都の風俗は一瞬にして変わってしまい、ただもう田舎くさい武士と違わない。


語釈
  • ありとしある【有りとし有る】:あるかぎりすべての。
  • ふうん【浮雲】:落ち着かず不安なさま。
  • いくわん【衣冠】:衣服と冠。公卿の略式の礼装。
  • ほい【布衣】:布製の狩衣。貴族の普段着。
  • ひたたれ【直垂】:武士の礼服。
  • てぶり【手振り】:風俗。風習。ならわし。
  • ひなぶ【鄙ぶ】:田舎じみる。田舎風になる。

世の乱るる瑞相とか聞けるもしるく

原文

 世の乱るるずいさうとか聞けるもしるく、日をつつ世の中浮き立ちて、人の心もをさまらず。民のうれへ、つひにむなしからざりければ、同じき年の冬、なほこの京に帰りたまひにき。されど、こぼちわたせりし家どもは、いかになりにけるにか、ことごとくもとのやうにしもつくらず。

現代語訳

 世の中が乱れる前兆だとか聞いていたとおり、日を追うごとに世の中が騒々しくなり、人の気持ちも落ち着かない。民衆の訴えは最後まで無意味ではなかったので、同じ年の冬、やはり天皇は平安京へお帰りになった。しかしながら、軒並み解体してしまった家々は、いったいどうなってしまうのだろうか。すべての家をもと通りに建て直すことは決してできない。


語釈
  • ずいさう【瑞相】:めでたいきざし。吉兆。前ぶれ。予兆。
  • しるし【著し】:はっきりしている。予想通りだ。ぴったり符合する。
  • ゆるす【許す・赦す・緩す】:(義務を)免除する。
  • なずらふ【準ふ・准ふ・擬ふ】:準ずる。比べる。

伝へ聞く、いにしへの賢き御世には

原文

 伝へ聞く、いにしへの賢きには、あはれみをもつて国ををさめ給ふ。すなわち、殿とのかやきても、のきをだにととのへず。けぶりともしきを見給ふ時は、限りある貢物みつきものをさへゆるされき。これ、民を恵み、世を助け給ふによりてなり。今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。

現代語訳

 言い伝えによれば、いにしえの聖天子の御代では、民をいつくしむ心をもって国を治められたという。すなわち、宮殿に茅の屋根をふいても、その屋根の先端すらそろえることはなく、かまどの煙が乏しいのをご覧になった時は、義務である租税さえも免除された。これは、民に恩恵を与えることで、世を救済しようとなさったからである。今の世のありさまはどうか、昔の世と比べれば見えてくるだろう。


語釈
  • つたへ【伝へ】:言い伝え。伝説。
  • かぎり【限り】:決まり。規則。おきて。
  • みつきもの【貢物】:租税。
  • ゆるす【許す・赦す・緩す】:(義務を)免除する。