【源氏物語】第2帖「帚木」原文と現代語訳(1)

光源氏、名のみことことしう

原文

光源氏ひかるげんじ、名のみことことしう、たれたまふとがおほかなるに、いとどかかるすきごとどもをすゑの世にもつたへて、かろびたる名をやながさむと、忍びたまひけるかくろへごとをさへかたつたへけむ人のものひさがなさよ。さるは、いといたく世をはばかり、まめだちたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、交野かたののせうしやうには笑はれたまひけむかし。

語釈
  • ことことし【事事し】:ものものしい。大げさだ。
  • いひけつ【言ひ消つ】:打ち消す。とがめる。非難する。
  • とが【咎】:責められるべき行為。過失。あやまち。欠点。きず。
  • すきごと【好き事・好き言】:色好みの行為や言葉。情事。
  • ものいひ【物言ひ】:ものの言い方。ことばづかい。うわさ。
  • さがなし:意地が悪い。
  • まめだつ【忠実立つ】:真面目な態度をとる。
  • なよびか:色好みのさま。
  • かたののせうしゃう【交野少将】:さまざまな物語に登場する色男。

現代語訳

光源氏、その名だけがひとり歩きしておりましたが、実は光の名を打ち消すようなあやまちも多かったのです。それに輪をかけて、これからお話しするような色恋沙汰の数々を末の世にまで聞き伝えて、軽々しい浮き名を流されはしないかと、本人は人目を忍んでおりました。そのような隠し事までも語り伝えたという人の言い草は、なんと意地が悪いことでしょう。それというのは実は、ずいぶんとひどく世間の目を気にして、表向きは真面目そうに振る舞っておられました。色めいた面白い話などなく、あの交野少将には笑われてしまったことでしょうね。

まだ中将などにものしたまひし時は

原文

まだ中将ちゆうじやうなどにものしたまひし時は、内裏うちにのみさぶらひようしたまひて、大殿おほいどのにはえまかでたまふ。しのぶのみだれやと、うたがひきこゆることもありしかど、さしもあだめき目馴めなれたる、うちつけのすきずきしさなどはこのましからぬ御本上ほんじやうにて、まれには、あながちに引きたがへ、心づくしなることを御心におぼしとどむるくせなむあやにくにて、さるまじき御ふるまひもうちまじりける。

語釈
  • ちゅうじゃう【中将】:近衛府の次官。
  • おほいどの【大殿】:大臣邸。光源氏の義父である左大臣の邸宅で、妻が待っている。
  • たえだえ【絶え絶え】:とぎれとぎれに。
  • まかづ【罷づ】:「行く」の丁寧語。
  • しのぶのみだれ【忍ぶの乱れ】:人目を忍んで、恋する心の乱れ。
  • あだめく【徒めく・婀娜めく】:浮つく。浮気っぽく振る舞う。
  • めなる【目馴る・目慣る】:見なれる。
  • うちつけ【打ち付け】:軽率だ。
  • すきずきし【好き好きし】:好色めいている。
  • あながち【強ち】:むりやりなさま。一方的なさま。むやみに。
  • ひきたがふ【引き違ふ】:予想や期待に反する。期待を裏切る。
  • こころつくす【心尽くす】:心をすり減らす。
  • おぼしとどむ【思し止む】:ご執着になる。思いを心に残される。
  • あやにく【生憎】:意に反することを行うさま。
  • さるまじ【然るまじ】:そうであってはならない。

現代語訳

まだ近衛府の中将などでいらっしゃった時は、宮中にだけ参内するのが気楽で、左大臣邸にはたまにしかお出かけになりません。「こそこそと浮気でもしているのではないか」と疑い申されることもありましたけれど、そんないかにも浮気というような、その場限りの出来心などはお好きでない御性分なのです。まれには、強引にでも思い通りにならない、心をすり減らすような恋に執着される癖があいにくとおありで、あってはならない御振る舞いもうち混じっておりました。

長雨晴れ間なきころ

原文

長雨ながあめなきころ、内裏うちの御物忌ものいみさし続きて、いとどながさぶらひたまふを、大殿おほいどのにはおぼつかなく、うらめしくおぼしたれど、よろづの御よそひなにくれとめづらしきさまに調てうでたまひつつ、御むすこの君たち、ただこの御宿直所とのゐどころ宮仕みやづかへをつとめたまふ。

語釈
  • ながあめ【長雨】:陰暦5月前後の降り続く雨。梅雨。
  • ものいみ【物忌】:陰陽道で、凶事を避けるために謹慎すること。天気が不安定な梅雨時期の風習。
  • おぼつかなし【覚束なし】:気がかりだ。
  • うらむ【恨む】:不安に思う。
  • よそひ【装ひ】:衣装や調度品などを取りそろえること。
  • めづらし【珍し】:目新しい。
  • てうず【調ず】:調達する。
  • とのゐどころ【宿直所】:宮中で役人が宿直する所。

現代語訳

長雨が続き晴れ間もないころ、宮中の御物忌の謹慎が引き続いたのをいいことに、源氏の君は普段にも増して宮中に長居されています。左大臣にとっては気がかりで、不安に思われておりましたけれど、すべての衣装や調度品をあれこれと目新しいものに新調されておりました。その一方で左大臣の御子息の君たちは、ただひたすら源氏の君の御宿直所にて宮仕えをお務めになっておられます。

宮腹の中将はなかに親しく

原文

宮腹みやばら中将ちゆうじやうはなかにしたしくれきこえたまひて、あそびたはぶれをも人よりは心安く、れしくふるまひたり。右大臣みぎのおとどのいたはりかしづきたまふ住処すみかは、この君もいとものくして、すきがましきあだびとなり。

語釈
  • みやばらのちゅうじゃう【宮腹の中将】:左大臣の息子。光源氏の妻の兄。第1帖「桐壺」での登場時は「蔵人少将」。
  • たはぶる【戯る】:ふざける。からかう。
  • みぎのおとど【右大臣】:宮腹の中将の義父。中将は右大臣の四女(弘徽殿女御の妹)の婿。
  • いたはる【労る】:大切にする。心から世話をする。
  • かしづく【傅く】:大事に養い育てる。愛育する。
  • すきがまし【好きがまし】:好色らしい。浮気っぽい。
  • あだびと【徒人】:浮気者。

現代語訳

左大臣の御子息である中将は源氏の君とやけに親しく馴れておられて、遊びふざけるのも他の人より気安く、馴れ馴れしく振る舞っておられました。右大臣が、姫君の婿として大事に大事にお世話なさる住まいは、中将の君もやはりうっとうしく感じます。この方もまた、好色な浮気者なのです。

里にても、わが方のしつらひまばゆくして

原文

さとにても、わがかたのしつらひまばゆくして、君のりしたまふにうちれきこえたまひつつ、夜昼よるひる学問がくもんをもあそびをももろともにして、をさをさ立ちおくれず、いづくにてもまつはれきこえたまふほどに、おのづからかしこまりもえおかず、心のうちおもふことをもかくしあへずなんむつれきこえたまひける。

語釈
  • しつらひ:調度品をととのえ飾りつけること。設備。装飾。
  • まばゆし【眩し・目映し】:まぶしいほど美しい。立派だ。
  • うちつる【打ち連る】:連れ立つ。数人で一緒に行く。
  • もろともに【諸共に】:いっしょに。そろって。
  • をさをさ:なかなか。ほとんど。めったに。
  • たちおくる【立ち遅る】:他に遅れをとる。劣る。
  • まつはる【纏はる】:つきまとう。そばから離れない。
  • おのづから【自ら】:自然に。ひとりでに。
  • かしこまり【畏まり】:遠慮。
  • あへず【敢へず】:こらえきれない。
  • むつる【睦る】:仲睦まじくする。

現代語訳

左大臣邸でも、自分の部屋のインテリアを眩しいほど立派に整えて、源氏の君が出入りなさる際に連れ立っては昼夜問わず、学問も音楽も一緒に取り組まれます。源氏の君にほとんど遅れをとることもなく、どこへでもついて回っているうちに自然と遠慮することもなくなり、心の内に思うことをも隠しきれずに打ち明けてしまうほど、仲睦まじくされておられました。