
12月23日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢30名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】12月23日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、12月23日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1673年 | 山内豊隆 | 土佐藩第6代藩主 |
| 1806年 | 堀直格 | 須坂藩第11代藩主・博物学者 |
| 1862年 | 分部光謙 | 大溝藩第12代藩主・子爵 |
| 1874年 | 和田英作 | 洋画家 |
| 1882年 | 江崎利一 | 実業家・江崎グリコ創業者 |
| 1883年 | 安倍能成 | 哲学者・教育者 |
| 1888年 | 森戸辰男 | 社会思想家・教育者 |
| 1902年 | 外村繁 | 小説家 |
| 1909年 | 中里恒子 | 小説家 |
| 1911年 | 村上冬樹 | 俳優 |
| 1917年 | 浜田知明 | 版画家・彫刻家 |
| 1934年 | 山本文郎 | アナウンサー |
| 1941年 | 中津文彦 | 推理作家 |
| 1945年 | つかせのりこ | 声優 |
| 1960年 | いのまたむつみ | イラストレーター・アニメーター |
| 1969年 | 並木伸一 | 声優 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】12月23日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1173年 | ルートヴィヒ1世 | バイエルン公 |
| 1605年 | 天啓帝 | 明朝第16代皇帝 |
| 1732年 | リチャード・アークライト | イギリスの発明家・実業家 |
| 1777年 | アレクサンドル1世 | ロシア皇帝 |
| 1790年 | ジャン=フランソワ・シャンポリオン | フランスの言語学者・エジプト学者 |
| 1799年 | カール・ブリューロフ | ロシアの画家 |
| 1805年 | ジョセフ・スミス・ジュニア | アメリカの宗教指導者 |
| 1812年 | サミュエル・スマイルズ | イギリスの作家・社会改革家 |
| 1850年 | オスカー・ストラウス | アメリカの外交官・政治家 |
| 1870年 | ジョン・マリン | アメリカの画家・版画家 |
| 1910年 | クルト・マイヤー | ドイツの武装親衛隊将校 |
| 1918年 | ヘルムート・シュミット | 西ドイツ首相 |
| 1929年 | チェット・ベイカー | アメリカのジャズ音楽家 |
| 1931年 | マリア・ティーポ | イタリアのピアニスト |
12月23日生まれの代表的な偉人
和田英作
- 生没年:1874年12月23日(明治7年12月23日)~1959年1月3日(昭和34年1月3日)
- 国:日本
- 肩書き:洋画家
鹿児島に生まれ、東京美術学校とフランス留学で西洋画法を学び、明治から昭和の官展を支えました。白馬会で活動し、明るい外光表現による肖像・風景画を制作し、東京美術学校長として後進を育てました。西洋技法を日本の制度教育へ定着させ、近代洋画の公的評価基準づくりに影響しました。一方、官展中心の美術制度は前衛や地方の作家を周縁化し、裸婦表現も男性中心の視線から批判的に読む必要があります。
江崎利一
- 生没年:1882年12月23日(明治15年12月23日)~1980年2月2日(昭和55年2月2日)
- 国:日本
- 肩書き:実業家
佐賀の薬種業の家に生まれ、栄養不足が社会問題だった大正期に食品事業へ進みました。牡蠣煮汁のグリコーゲンに着目して栄養菓子グリコを商品化し、景品と広告を組み合わせた販売を展開しました。菓子を栄養、教育、娯楽と結ぶ発想は日本の大衆消費とブランド形成に大きな影響を与えました。一方、健康効果を強調する宣伝には科学的説明の単純化があり、砂糖消費や大量生産の労働・環境負荷も評価に含めるべきです。
安倍能成
- 生没年:1883年12月23日(明治16年12月23日)~1966年6月7日(昭和41年6月7日)
- 国:日本
- 肩書き:哲学者・教育者
愛媛に生まれ、夏目漱石門下の知識人としてカント哲学を研究し、戦前・戦後の教育界で活動しました。第一高等学校長、文部大臣、学習院長を務め、自由主義的な人格教育と大学自治を論じました。敗戦後の教育再建で制度と教養の橋渡しを担い、多くの学生に公共的知識人の姿を示しました。一方、植民地支配下の教育や天皇制への態度には時代的制約があり、エリート教養を普遍的教育とみなす視点にも限界があります。
森戸辰男
- 生没年:1888年12月23日(明治21年12月23日)~1984年5月28日(昭和59年5月28日)
- 国:日本
- 肩書き:社会思想家・教育者
広島に生まれ、東京帝国大学で経済学を学び、クロポトキン研究を理由に森戸事件で処罰されました。戦後は文部大臣として教育基本法制定に関わり、初代広島大学長として原爆被災地の高等教育再建を進めました。学問の自由をめぐる弾圧経験を制度改革へ結びつけ、戦後教育の民主化に重要な足跡を残しました。一方、占領政策との協調や大学再編の中央集権性もあり、自由主義者という評価だけでは地域や学生の異論を捉えきれません。
中里恒子
- 生没年:1909年12月23日(明治42年12月23日)~1987年4月5日(昭和62年4月5日)
- 国:日本
- 肩書き:小説家
横浜の貿易商家庭に生まれ、震災や戦争、家族制度の変化を女性の生活感覚から描きました。『乗合馬車』で女性初の芥川賞を受賞し、『時雨の記』などで老い、恋愛、家族の沈黙を精密に表現しました。女性作家を例外扱いした文壇で評価を切り開き、戦後女性文学と老年文学の幅を広げました。一方、上層市民の家庭世界が中心で労働者や植民地の経験は薄く、受賞を女性初という一点だけで消費する見方にも注意が必要です。
リチャード・アークライト
- 生没年:1732年12月23日~1792年8月3日
- 国:イギリス
- 肩書き:発明家・実業家
理髪師から紡績業へ転じ、綿布需要が急増した産業革命初期のイングランドで機械化を進めました。水力紡績機を改良・特許化し、機械、労働者、動力を一つの工場へ集める生産方式を拡大しました。工場制と資本集約型製造の普及を促し、綿工業から近代産業社会への転換を加速しました。一方、発明には協力者の技術を取り込んだ特許争いがあり、児童労働、長時間労働、奴隷制綿花への依存を成功物語から除けません。
アレクサンドル1世
- 生没年:1777年12月23日~1825年12月1日
- 国:ロシア
- 肩書き:ロシア皇帝
宮廷クーデターで父パーヴェル1世が殺害された後に即位し、ナポレオン戦争期の帝国を統治しました。1812年のフランス軍侵攻を退け、対仏同盟の中心としてパリ入城とウィーン体制の形成に関わりました。欧州の勢力均衡と神聖同盟を通じ、19世紀前半の国際秩序を方向づけました。一方、自由主義的改革の約束を十分に実現せず、農奴制とポーランド支配を維持し、反動政治を強めた責任があります。
ジャン=フランソワ・シャンポリオン
- 生没年:1790年12月23日~1832年3月4日
- 国:フランス
- 肩書き:言語学者・エジプト学者
ナポレオン遠征後に古代エジプト資料が欧州へ集められるなか、若くしてコプト語と東方諸語を学びました。ロゼッタ・ストーンなどを比較し、1822年にヒエログリフが表音と表意を組み合わせる文字だと解読しました。王名と碑文を歴史資料として読めるようにし、近代エジプト学の基礎を築きました。一方、資料取得は植民地主義と軍事遠征に支えられ、解読史を一人の天才だけに帰すとヤングや現地知識人の貢献が消えます。
ジョセフ・スミス・ジュニア
- 生没年:1805年12月23日~1844年6月27日
- 国:アメリカ
- 肩書き:宗教指導者
第二次大覚醒の宗教的熱気に包まれたニューヨーク州で育ち、新たな啓示を受けたと主張しました。『モルモン書』を刊行して末日聖徒運動を組織し、共同体をオハイオ、ミズーリ、イリノイへ移しました。独自の聖典と宣教制度は世界的宗教共同体へ発展し、米国の信教の自由と宗教移民史に影響しました。一方、啓示の権威、複婚、経済共同体、先住民像をめぐる批判があり、迫害された少数派という面だけで指導責任を免れません。
サミュエル・スマイルズ
- 生没年:1812年12月23日~1904年4月16日
- 国:イギリス
- 肩書き:作家・社会改革家
医師、新聞編集者、鉄道会社職員を経験し、産業化と階級対立が進むヴィクトリア朝を生きました。講演をもとに『自助論』を書き、勤勉、節約、学習による人格形成を多くの技術者や市民の伝記で説きました。同書は明治日本を含む各国で翻訳され、近代教育と職業倫理に大きな影響を与えました。一方、貧困を個人の努力不足へ還元しやすく、労働条件、相続、帝国経済など構造的不平等を見えにくくする限界があります。
ジョン・マリン
- 生没年:1870年12月23日~1953年10月2日
- 国:アメリカ
- 肩書き:画家・版画家
建築の仕事を経て欧州で版画を学び、ニューヨークの近代化とメイン州の海岸を主題に制作しました。水彩の素早い筆触と分割された構図で摩天楼、橋、海の動きを抽象化し、スティーグリッツの画廊で発表しました。水彩を習作から自律的な近代美術へ押し上げ、米国モダニズムの風景表現に影響しました。一方、自然と都市を個人的感覚へ変換する画面は、土地の先住民史や都市労働を背景化し、美術市場の支援者中心の評価にも偏りがあります。
ヘルムート・シュミット
- 生没年:1918年12月23日~2015年11月10日
- 国:西ドイツ
- 肩書き:政治家・連邦首相
第二次世界大戦で国防軍に従軍した後、社会民主党に入り、冷戦と石油危機の時代に政権を担いました。ハンブルク洪水対応で行政手腕を示し、首相として欧州通貨協力、米欧同盟、テロ対策を進めました。仏独協調と経済安定を重視する現実主義は、後の欧州統合と安全保障政策に影響しました。一方、NATO二重決定や強硬な治安政策は反核・市民運動と衝突し、国防軍時代や喫煙文化を含む英雄化には注意が必要です。
チェット・ベイカー
- 生没年:1929年12月23日~1988年5月13日
- 国:アメリカ
- 肩書き:ジャズ・トランペット奏者・歌手
軍楽隊を経て西海岸ジャズの現場に入り、1950年代にジェリー・マリガンとの演奏で注目されました。抑制された音色と弱い声の歌唱で『My Funny Valentine』などを録音し、クール・ジャズの美学を体現しました。即興の余白と脆さを結ぶ表現は欧州を含む多くの奏者とポピュラー音楽に影響しました。一方、薬物依存、暴力、逮捕を『破滅型天才』として美化すると周囲への被害と音楽産業の搾取を見落とします。
12月23日に起きた歴史的な出来事
- 1493年12月23日|『ニュルンベルク年代記』ドイツ語版刊行
ハルトマン・シェーデルの世界史書が、多数の木版画を伴う初期印刷本としてニュルンベルクで刊行されました。文字と都市景観を大量複製する出版文化を示し、知識流通と図像史の重要資料になりました。なお、聖書中心の世界像や異民族の類型化を含み、印刷の普及を直ちに正確な知識の拡大とみなせません。 - 1588年12月23日|ギーズ公アンリ1世暗殺
フランス宗教戦争でカトリック同盟を率いたギーズ公が、ブロワ城でアンリ3世の命を受けた近衛兵に殺害されました。王権と宗派勢力の対立を決定的にし、翌年の国王暗殺とブルボン朝成立へつながりました。なお、政治指導者の暗殺は市民への宗派暴力をさらに激化させ、王権統一の過程を平和化としてのみ描けません。 - 1672年12月23日|カッシーニが土星衛星レアを発見
パリ天文台のジョヴァンニ・カッシーニが望遠鏡観測によって土星を回る衛星レアを確認しました。精密観測は地球中心の宇宙像を崩し、惑星系の構造と軌道力学を検証する材料を増やしました。なお、発見は国家資金、光学職人、命名権に支えられ、単独の天文学者だけの成果として扱うと共同労働が隠れます。 - 1783年12月23日|ワシントンが大陸軍総司令官を辞任
独立戦争終結後、ジョージ・ワシントンはアナポリスの連合会議へ軍の指揮権を返還しました。軍事権力を文民統制へ従わせる象徴となり、後の大統領制と共和政の正統性を支えました。なお、同時代の共和国は奴隷制と先住民排除を維持し、ワシントン自身も奴隷所有者だった事実を外せません。 - 1806年12月23日|ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲初演
ウィーンでフランツ・クレメントを独奏者として作品61が初演され、完成直後の楽譜で演奏されたと伝わります。交響的規模をもつ協奏曲として後世の演奏会レパートリーの中心となり、独奏と管弦楽の関係を広げました。なお、初演は十分な準備を欠いて評価が割れ、現在の傑作像を当時から自明だったかのように遡らせるべきではありません。 - 1854年12月23日(嘉永7年11月4日)|安政東海地震
駿河湾から遠州灘を震源域とする巨大地震と津波が東海地方を襲い、家屋、港、街道に甚大な被害を出しました。翌日の南海地震とあわせて連動型巨大地震の歴史記録となり、現代の南海トラフ防災にも参照されています。なお、死者数や震源域には推定幅があり、復興負担が農漁村や身分の低い人々へ偏った点を忘れてはいけません。 - 1912年12月23日(大正元年12月23日)|夕張炭鉱爆発事故
北海道夕張の北炭夕張炭鉱でガス爆発が起き、坑内火災と一酸化炭素により216人が死亡しました。石炭を基盤とした近代産業が労働者の危険な地下労働に依存していたことを示し、保安制度改善を迫りました。なお、会社側の生産優先、移民労働者の処遇、遺族補償の不十分さを単なる不運な災害として片づけられません。 - 1913年12月23日(大正2年12月23日)|立憲同志会結成
桂太郎の新党構想を継ぐ政治家らが立憲同志会を組織し、政党内閣をめぐる競争へ参加しました。のちの憲政会、民政党につながり、大正期の二大政党制形成に影響しました。なお、政党政治は男子普通選挙以前の有産者中心で、女性、植民地住民、労働者の政治参加を十分に含みませんでした。 - 1941年12月23日|ウェーク島守備隊が降伏
太平洋戦争初期、日本軍が米軍守備隊のいたウェーク島を二度目の上陸作戦で占領しました。小島嶼をめぐる航空・海上補給の重要性を示し、日本の戦線拡大を象徴しました。なお、捕虜と民間建設労働者は過酷な拘束を受け、1943年には日本軍による捕虜98人の殺害も起きました。 - 1947年12月23日|トランジスタの動作実験
ベル研究所のバーディーン、ブラッテン、ショックレーらのチームが点接触型トランジスタの増幅動作を幹部へ実演しました。真空管より小型・低消費電力の電子素子は、コンピューター、通信、半導体産業の基盤になりました。なお、発明者間の功績争いと企業特許の集中があり、製造現場の有害物質や低賃金労働も技術進歩の裏面です。 - 1948年12月23日(昭和23年12月23日)|東京裁判の死刑執行
極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた東條英機ら七人が巣鴨拘置所で絞首刑に処されました。日本の侵略戦争と指導者責任を国際法廷で問う戦後処理の一環となりました。なお、勝者による裁判との批判、天皇や植民地責任が十分に問われなかった限界、被害者の声の不足を併せて検討する必要があります。 - 1958年12月23日(昭和33年12月23日)|東京タワー開業
テレビ放送の電波塔を集約するため建設された東京タワーが完成し、展望施設の営業を始めました。高度経済成長と放送メディア普及の象徴となり、都市景観と観光文化を大きく変えました。なお、建設と成長の祝祭的記憶は、用地、労働安全、電波行政の集中、戦災材利用の歴史を見えにくくします。 - 1968年12月23日|プエブロ号乗員解放
北朝鮮に拿捕され十一か月拘束されていた米情報収集艦プエブロ号の乗員82人が、板門店の橋を渡って解放されました。朝鮮半島で米朝が全面衝突を回避した一方、冷戦下の海上諜報と停戦体制の不安定さを示しました。なお、双方の領海・諜報活動の主張は対立し、捕虜への虐待と船体が今も返還されていない問題が残ります。 - 1986年12月23日|ボイジャーが無着陸・無給油世界一周
ディック・ルータンとジーナ・イェーガーが操縦する軽量機ボイジャーが、九日間の飛行を終えて出発地へ帰還しました。燃料効率と複合材料設計の限界を押し広げ、航空工学と長距離飛行史の記録になりました。なお、極端な疲労と事故の危険を伴い、スポンサーと記録競争が安全判断へ与える圧力も成功談の外へ置けません。 - 1990年12月23日|スロベニア独立住民投票
ユーゴスラビア連邦からの独立を問う住民投票で、投票者の圧倒的多数が独立へ賛成しました。翌年の独立宣言と十日間戦争へつながり、社会主義ユーゴ解体の重要な転換点になりました。なお、多数決は連邦内の少数者不安を解消せず、その後の旧ユーゴ地域での民族戦争を単純な民族自決の成功として語れません。