
12月17日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢35名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】12月17日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、12月17日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1239年 | 藤原頼嗣 | 鎌倉幕府第5代将軍 |
| 1267年 | 後宇多天皇 | 第91代天皇 |
| 1630年 | 貝原益軒 | 本草学者・儒学者 |
| 1733年 | 毛利広寛 | 徳山藩第6代藩主 |
| 1878年 | 野間清治 | 教育者・講談社創業者 |
| 1879年 | 倉元要一 | 政治家 |
| 1881年 | 田邊宗英 | 実業家 |
| 1887年 | 竹内京治 | 政治家 |
| 1887年 | 有馬頼寧 | 政治家・実業家 |
| 1900年 | 勅使河原蒼風 | 華道家・草月流家元 |
| 1918年 | 宮崎剛 | 野球選手 |
| 1921年 | おおば比呂司 | 漫画家 |
| 1922年 | 小鶴誠 | 野球選手 |
| 1930年 | 諸井誠 | 作曲家 |
| 1937年 | 麻生実男 | 野球選手 |
| 1939年 | 柳家小三治 | 落語家 |
| 1940年 | 山田耕嗣 | 放送評論家 |
| 1941年 | 藤山陽子 | 女優 |
| 1946年 | 加藤国洋 | 政治家・尾花沢市長 |
| 1947年 | 今野東 | 政治家 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】12月17日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1706年 | エミリー・デュ・シャトレ | フランスの数学者・物理学者 |
| 1777年 | フランソワ=マリウス・グラネ | フランスの画家 |
| 1778年 | ハンフリー・デービー | イギリスの化学者 |
| 1818年 | ジョン・ローレンス・スミス | アメリカの化学者・鉱物学者 |
| 1830年 | ジュール・ド・ゴンクール | フランスの小説家・美術評論家 |
| 1835年 | アレキザンダー・アガシー | アメリカの海洋学者 |
| 1842年 | ニルス・ホシュベリ | スウェーデンの画家 |
| 1889年 | ハーバート・ハロルド・リード | イギリスの地質学者 |
| 1905年 | シモ・ヘイヘ | フィンランドの軍人 |
| 1915年 | ロバート・ダール | アメリカの政治学者 |
| 1920年 | ケネス・アイバーソン | カナダの計算機科学者 |
| 1937年 | ジョン・ケネディ・トゥール | アメリカの小説家 |
| 1937年 | アート・ネヴィル | アメリカの音楽家 |
| 1944年 | ジャック・L・チョーカー | アメリカのSF作家 |
| 1944年 | ベネ・フェレンツ | ハンガリー出身のサッカー選手 |
12月17日生まれの代表的な偉人
野間清治
- 生没年:1878年12月17日(明治11年12月17日)~1938年10月16日(昭和13年10月16日)
- 国:日本
- 肩書き:教育者・出版人
群馬県に生まれ、教員を経て雑誌出版へ進み、講談社の前身となる大日本雄辯會を創業しました。『キング』『少年倶楽部』など大衆雑誌を大量に発行し、読者投稿や付録を組み合わせた新しい出版商法を確立しました。近代日本の読書市場と児童文化を拡大し、出版社が教育・娯楽・広告を横断するメディア企業へ成長する道筋を作りました。一方、大衆化の成功は国家主義的な修身や戦時宣伝の普及とも結びつき、読者を消費者として囲い込む商業構造を無批判に称賛できません。
勅使河原蒼風
- 生没年:1900年12月17日(明治33年12月17日)~1979年9月5日(昭和54年9月5日)
- 国:日本
- 肩書き:華道家・草月流家元
華族的な家元制度が揺らぐ戦後に、伝統的な華道を素材と空間の造形芸術として再構成しました。草月流を創設し、植物だけでなく鉄や廃材も使う前衛的なインスタレーションを国内外で発表しました。華道を家庭の作法から現代美術・舞台美術・建築空間へ開き、海外の展覧会で日本の造形文化を紹介しました。一方、前衛化しても家元の権威と流派の階層は残り、戦時中の文化動員や弟子の無償労働を含む制度面の批判が必要です。
おおば比呂司
- 生没年:1921年12月17日(大正10年12月17日)~1988年1月24日(昭和63年1月24日)
- 国:日本
- 肩書き:漫画家・イラストレーター
北海道に生まれ、戦後の新聞・雑誌で生活の小さな可笑しさを描く漫画と挿絵を発表しました。丸みのある人物と短い台詞で広告、絵本、テレビ番組を横断し、札幌の風景や庶民の感情をユーモラスに表現しました。漫画を子ども向け娯楽だけでなく新聞や商品デザインの視覚言語として定着させ、地域文化のイメージ形成にも寄与しました。一方、親しみやすい表現は社会的弱者や女性を類型化する危険を持ち、広告産業の消費主義と批評性の両面から読む必要があります。
小鶴誠
- 生没年:1922年12月17日(大正11年12月17日)~2003年6月2日(平成15年6月2日)
- 国:日本
- 肩書き:プロ野球選手
鹿児島に生まれ、戦後のプロ野球再編期に松竹ロビンスなどで長距離打者として頭角を現しました。1950年に本塁打51本、打点161を記録する歴史的なシーズンを送り、球団の優勝を牽引しました。戦後の観客文化と地域球団の成長を象徴し、打撃記録は日本野球のデータ史と選手評価の基準になりました。一方、栄光は選手の酷使や球団経営の不安定さを隠し、記録を個人の才能だけで説明するとチームメートと裏方の労働が見えません。
諸井誠
- 生没年:1930年12月17日(昭和5年12月17日)~2013年9月7日(平成25年9月7日)
- 国:日本
- 肩書き:作曲家・音楽評論家
東京に生まれ、戦後の現代音楽と放送音楽の双方に関わり、作曲と批評を往復しました。電子音響や偶然性を取り入れた作品、放送・舞台音楽、音楽教育論を通じて日本の前衛音楽を社会へ紹介しました。専門家だけの実験に閉じず、ラジオや評論で聴取者との接点を作った活動は現代音楽の公共性を広げました。一方、前衛と大衆の橋渡しという自己像は男性中心の作曲界を温存し、放送局の制度と商業的制約を十分に問えない面もありました。
エミリー・デュ・シャトレ
- 生没年:1706年12月17日~1749年9月10日
- 国:フランス
- 肩書き:数学者・物理学者・啓蒙思想家
貴族女性の教育制限が強いフランスで語学と数学を学び、ヴォルテールとの知的協働を含むサロン文化で研究しました。ニュートン『プリンキピア』をフランス語へ翻訳・注釈し、運動エネルギーをめぐる論争や自然哲学の数理化に貢献しました。女性が科学知識の翻訳者・理論家となる可能性を示し、フランス啓蒙思想の受容と教育に長期的な影響を残しました。一方、名声がヴォルテールの伴侶という物語に回収されやすく、貴族的な資源と召使いの労働に支えられた研究環境も併せて評価すべきです。
ハンフリー・デービー
- 生没年:1778年12月17日~1829年5月29日
- 国:イギリス
- 肩書き:化学者
産業革命期のコーンウォールに生まれ、王立研究所の公開講義で実験化学を大衆へ示しました。電気分解でナトリウムやカリウムを単離し、鉱山用安全灯を改良して爆発事故を減らす技術を普及させました。電気化学と科学コミュニケーションを結び、研究所・企業・政府が協力する近代化学のモデルを作りました。一方、安全灯の特許と名声をめぐる争いでは助手ジョージ・スティーブンソンの貢献が過小評価され、植民地資源を前提にした産業発展の負担もあります。
ジョン・ローレンス・スミス
- 生没年:1818年12月17日~1883年10月6日
- 国:アメリカ
- 肩書き:化学者・鉱物学者
ケンタッキーの医師家庭に生まれ、医学と化学を学んで南北戦争前後の米国で鉱物分析と教育に従事しました。隕石や鉱物の化学分析法を改良し、ナトリウム・カリウムの分離や微量分析の標準化に取り組みました。地質学と化学を結ぶ分析技術は、天体物質の研究と鉱山資源の調査に再現可能な手続きをもたらしました。一方、研究は軍需・鉱業の資源競争とも結びつき、米国の科学制度が先住民の土地収奪を支えた歴史を成果から切り離せません。
アレキザンダー・アガシー
- 生没年:1835年12月17日~1910年3月27日
- 国:スイス・アメリカ
- 肩書き:海洋学者・鉱山技師
スイス生まれで米国へ移住し、父ルイ・アガシーの自然史研究と銅鉱山経営を足場に海洋探査へ進みました。海底地形とサンゴ礁を蒸気船で調査し、博物館の標本と深海測量を結びつける大規模な海洋研究を行いました。探査船と標本網を通じて海洋学を制度化し、深海を地球環境の歴史として理解する後続研究を支えました。一方、企業経営者としての鉱山労働と環境破壊、帝国的な探査が現地住民を排除した点が、科学的功績の陰にあります。
ロバート・ダール
- 生没年:1915年12月17日~2014年2月5日
- 国:アメリカ
- 肩書き:政治学者
大恐慌と第二次世界大戦を経験し、戦後の米国大学で権力分散と民主主義の実証研究を進めました。『誰が統治するか』『民主主義の経済的条件』で、多元的な利益集団と参加制度からポリアーキーを理論化しました。民主主義を選挙だけでなく競争、包摂、応答性の制度として比較する枠組みは、政治学と民主化研究の標準語彙になりました。一方、米国型の制度を基準にしがちで、資本・人種・植民地支配が参加を制限する構造を多元主義だけでは捉えきれないという批判があります。
ジュール・ド・ゴンクール
- 生没年:1830年12月17日~1870年7月20日
- 国:フランス
- 肩書き:小説家・美術評論家
兄エドモンと共同でパリの美術・演劇・社交界を記録し、第二帝政期の都市文化と自然主義文学の形成に関わりました。『ジェルミニー・ラセルトゥー』などで社会の細部と心理を描き、死後のゴンクール賞につながる文学的遺産を残しました。日記と写実的な小説は自然主義・印象派の資料となり、作家が美術批評と文学市場を横断するモデルを作りました。一方、貧困女性や植民地文化を観察対象として消費する視線があり、兄弟の著作権と賞の権威が文学の序列を固定しました。
ケネス・アイバーソン
- 生没年:1920年12月17日(大正9年12月17日)~2004年10月19日(平成16年10月19日)
- 国:カナダ
- 肩書き:計算機科学者
カナダの保険会社やIBMで実務計算に携わり、数学記号をそのままプログラムへ写す方法を模索しました。APL言語を設計し、配列演算と簡潔な記号表現でデータ処理・教育・統計計算の新しい対話形式を示しました。高水準言語と対話型計算の発想は、表計算、データ分析、関数型プログラミングへ影響し、少ない記述で複雑な操作を表す文化を育てました。一方、記号中心の設計は学習障壁と視覚的アクセシビリティの問題を生み、個人の発明物語が共同開発者や利用者の貢献を隠す面もあります。
ジョン・ケネディ・トゥール
- 生没年:1937年12月17日~1969年3月26日
- 国:アメリカ
- 肩書き:小説家
ルイジアナで教師と大学院生を経験し、軍務と精神的苦境の中でニューオーリンズの労働者社会を描きました。死後刊行の『愚者の船』で、怠惰な知識人イグネイシャスを通じて消費社会、家族、南部の階級を風刺しました。母親が原稿を出版社へ持ち込みピュリツァー賞に至った経緯は、作家の死後評価と出版制度の関係を考えさせます。一方、作品の風刺を作者の人生へ直結させる神話は、精神疾患と自殺を美化し、登場人物の人種・女性表象の問題を見えにくくします。
12月17日に起きた歴史的な出来事
- 546年12月17日|東ゴート王国がローマを占領
ゴート戦争で東ローマ軍が一時撤退すると、トーティラ率いる東ゴート軍がローマへ入りました。古代都市の支配が再び揺らぎ、イタリアの戦争が長期化して東ローマの再征服政策を疲弊させました。なお、都市の陥落を王の勇敢さだけで描くと、市民の逃亡、食料不足、建築物の破壊という生活史が抜け落ちます。 - 1600年12月17日|フランス王アンリ4世とマリー・ド・メディシスの結婚
内戦後のフランス王権がメディチ家の財政支援と王位継承を確保するため、フィレンツェ出身のマリーを王妃に迎えました。王朝外交とカトリック勢力の調整を進め、後のルイ13世の継承を安定させました。なお、政略結婚は女性を王朝の資産として扱い、宗派対立と財政負担を解消したわけではなく、王妃の政治活動への偏見も残しました。 - 1777年12月17日|フランスがアメリカ合衆国を承認
サラトガの戦いでの植民地軍勝利を受け、フランス政府が大陸会議の外交使節を正式に承認しました。フランスの軍事・財政支援を通じて独立戦争を国際戦争へ拡大し、英国の財政危機を深めました。なお、自由の理念を掲げるフランスが植民地帝国と奴隷制を維持していた矛盾は、米仏双方の革命神話から消されがちです。 - 1790年12月17日|アステカの太陽の石が発見
メキシコシティの大聖堂改築工事で、地下に埋められていた巨大な石彫が掘り出されました。アステカの暦と宇宙観を研究する象徴的資料となり、国立人類学博物館の中心展示へ移されました。なお、植民地都市建設で先住民の聖物を埋めた歴史や、石を『古代メキシコの国民遺産』へ再編する国家的展示にも注意が必要です。 - 1819年12月17日|シモン・ボリバルがコロンビア共和国大統領に就任
アンゴストゥラ会議の決定により、ベネズエラとニューグラナダを統合する大コロンビアの政治制度が整えられました。スペインからの独立運動を一つの共和政へまとめ、ラテンアメリカの国家建設に影響を与えました。なお、中央集権と地域自治、奴隷制廃止の実施をめぐる対立は深く、ボリバルの統一構想を無条件の解放として扱えません。 - 1865年12月17日|シューベルト交響曲第8番の初演
作曲から半世紀近く経た後、ウィーンで楽譜が発見され、ヨハン・ヘルベックの指揮で交響曲第8番が初演されました。未完の二楽章を含む作品がロマン派の傑作として定着し、作曲家の死後評価をめぐる議論を生みました。なお、作品を天才の神秘として消費すると、楽譜の保存と演奏者の仕事、当時の音楽制度を見えなくする危険があります。 - 1880年12月17日(明治13年12月17日)|臼井六郎が最後の仇討ちを遂げる
旧秋月藩士の臼井六郎が、両親を殺害した元干城隊士の一瀬直久を東京で刺殺して自首しました。明治6年の禁止令後に起きた日本最後の仇討ちとして、武士的な私的報復と近代刑法の衝突を象徴する事件になりました。なお、六郎は終身禁獄となり、仇討ちを忠孝の美談だけで語ると、被害者側の命と国家が刑罰で暴力を独占する問題の双方が見えなくなります。 - 1902年12月17日(明治35年12月17日)|教科書疑獄事件が発覚
文部省の検定教科書をめぐり、出版社と地方の教員・官僚が贈収賄を行っていた疑いが報道され、捜査が始まりました。国家が内容を統制する教育制度と出版市場の癒着を露呈し、検定制度と教員人事の見直しにつながりました。なお、事件後の改革も教育思想の統制を解消せず、汚職を個人の腐敗だけに還元すると競争的な教科書市場の構造が隠れます。 - 1943年12月17日|マグヌソン法が成立
第二次世界大戦下の米国議会が中国人排斥法を廃止するマグヌソン法を成立させ、中国系移民に帰化と市民権取得の道を開きました。1882年以来の法的排除を部分的に改め、戦時同盟国としての中国との関係と米国の移民法改革を進める契機になりました。なお、帰化枠は年間百五人に限られ、家族移民や他のアジア系住民の排除は続いたため、人種平等の完成とみなすことはできません。 - 1903年12月17日|ライト兄弟が動力飛行に成功
ノースカロライナ州キティホーク近郊で、ウィルバーとオーヴィル・ライトが自作のライト・フライヤーを交替で操縦しました。制御された動力付き航空機の飛行を実証し、軍事・郵便・旅客を含む近代航空産業と空間認識を一変させました。なお、発明を二人の英雄だけに還元すると、整備工チャーリー・テイラーや先行研究、航空の軍事化と事故の犠牲が見えなくなります。 - 1933年12月17日|初のNFLチャンピオンシップゲーム
シカゴ・ベアーズとニューヨーク・ジャイアンツがシカゴで初めてNFLの決勝戦を行い、ベアーズが延長戦で勝利しました。プロフットボールをリーグの全国的な競技制度へ組み込み、放送・都市娯楽・選手雇用の拡大を促しました。なお、当時のリーグは人種隔離と男性中心の雇用制度に依存し、競技の商業的成功が選手の身体的損耗や地域格差を隠しました。 - 1944年12月17日|マルメディ虐殺
アルデンヌ攻勢のさなか、武装親衛隊部隊がベルギーのバニュー交差点で降伏した米軍捕虜を集めて銃撃しました。84人の米軍捕虜が殺害された戦争犯罪は、捕虜保護と指揮官責任をめぐる戦後裁判の重要な証拠となりました。なお、犠牲者を数だけで扱うと、ベルギー住民への暴力や報復殺害、戦後の裁判が冷戦政治に左右された問題を見落とします。 - 1944年12月17日|米国が日系人の西海岸排除命令を解除
米陸軍西部防衛司令官ヘンリー・プラットが、日系人を対象とした西海岸からの排除命令を1945年初めに解除すると発表しました。強制収容の終結へ向かう転換点となり、市民権侵害を司法・行政が検証する戦後補償運動の出発点になりました。なお、解除後も収容所の閉鎖と帰還には時間がかかり、財産喪失、監視、先住民・黒人への人種統制を同じ制度史の中で考える必要があります。 - 1963年12月17日|米国で大気浄化法が成立
リンドン・ジョンソン大統領が、連邦政府の大気汚染調査と州への補助を定める最初期の大気浄化法に署名しました。公害を個人の健康問題ではなく連邦政策の課題とし、後の大気浄化法強化と環境行政の基盤を作りました。なお、初期法は排出規制と執行が弱く、工場労働者・低所得地域・有色人種の環境負荷を均等には減らさなかった点に注意が必要です。 - 1989年12月17日|ルーマニア革命でティミショアラ弾圧
チャウシェスク政権への抗議がティミショアラで広がり、治安部隊が発砲して多数の市民が死傷しました。反政府運動が全国へ波及し、数日後の政権崩壊と東欧の体制転換につながりました。なお、犠牲者数と『大量虐殺』報道には誤情報が混じり、革命後の裁判と旧体制幹部の責任追及も不十分でした。 - 1992年12月17日|北米自由貿易協定(NAFTA)が署名される
米国・カナダ・メキシコの首脳が北米自由貿易協定に署名し、関税撤廃と投資の自由化を段階的に進めることを決めました。三国の製造・農業・物流を統合し、グローバル化とサプライチェーンの拡大を象徴する通商枠組みとなりました。なお、貿易拡大の利益は地域と階層で偏り、メキシコ農民の生計、労働条件、環境規制、主権をめぐる批判が残りました。 - 1989年12月17日|『ザ・シンプソンズ』がテレビ初登場
米国のテレビ番組『トレイシー・ウルマン・ショー』内で、シンプソン一家を描く短編アニメーションが放送されました。のちの長寿シリーズへ発展し、アニメを大人向けの風刺と世界的な商品文化へ結びつけました。なお、風刺の影響力と引き換えに、家族・人種・階級のステレオタイプや放送企業の知的財産独占を批判的に見る必要があります。