12月9日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

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12月9日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢36名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!

【日本】12月9日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、12月9日と一致する人物だけを掲載しています。

生年人物名肩書き
1837年樺山資紀陸海軍軍人・政治家・初代台湾総督
1876年太田水穂歌人・国文学者
1889年井上成美海軍軍人・海軍大将
1891年長谷川潔版画家
1893年内藤千代子小説家
1894年浜田庄司陶芸家・民藝運動家
1896年池田亀鑑国文学者・『源氏物語』研究者
1903年宇佐美毅宮内官僚・宮内庁長官
1905年本郷新彫刻家
1911年瀬島龍三陸軍軍人・実業家
1916年町田甲一美術史家
1925年朝倉響子彫刻家
1926年宮脇俊三紀行作家・編集者
1926年佐田啓二俳優
1939年市川猿翁(二代目)歌舞伎俳優・演出家
1941年高石ともやフォーク歌手・社会活動家
1956年宮沢章夫劇作家・演出家・小説家

※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。

【海外】12月9日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

生年人物名肩書き
1508年ゲンマ・フリシウスネーデルラントの数学者・地図学者・医師
1608年ジョン・ミルトンイングランドの詩人・思想家
1717年ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンドイツの美術史家・考古学者
1796年エミーリエ・ツムシュテークドイツの作曲家・合唱指揮者
1832年アーダルベルト・クリューガードイツの天文学者
1837年エミール・ワルトトイフェルフランスの作曲家
1842年ピョートル・クロポトキンロシアの地理学者・無政府主義思想家
1849年フリッツ・マウトナーオーストリア系の哲学者・作家
1868年フリッツ・ハーバードイツの化学者
1882年ホアキン・トゥリーナスペインの作曲家
1895年ランスロット・ホグベンイギリスの動物学者・科学啓蒙家
1901年ジャン・メルモーズフランスの飛行家
1905年ダルトン・トランボアメリカの脚本家・小説家
1906年グレース・ホッパーアメリカの計算機科学者・海軍軍人
1916年カーク・ダグラスアメリカの俳優・映画製作者
1925年アーネスト・ゲルナーチェコ生まれの哲学者・社会人類学者
1929年ジョン・カサヴェテスアメリカの映画監督・俳優
1930年バック・ヘンリーアメリカの脚本家・俳優
1934年ジュニア・ウェルズアメリカのブルース音楽家

12月9日生まれの代表的な偉人

樺山資紀

  • 生没年:1837年12月9日(天保8年11月12日)~1922年2月8日(大正11年2月8日)
  • 国:日本
  • 肩書き:陸海軍軍人・政治家・初代台湾総督

薩摩藩士の家に生まれ、薩英戦争と戊辰戦争を経験したのち明治政府の陸軍、海軍で昇進しました。海軍大臣や軍令部長を務め、日清戦争後には初代台湾総督として日本の統治機構を組み立てました。軍政と植民地行政の双方を担った経歴は、近代日本の軍部・官僚・帝国拡張が結びつく過程を示しています。一方、台湾住民の抵抗を武力で制圧し、総督に広い立法権を与える統治を開始した責任があり、『蛮勇演説』に象徴される強硬姿勢も含めて批判的に見る必要があります。

井上成美

  • 生没年:1889年12月9日(明治22年12月9日)~1975年12月15日(昭和50年12月15日)
  • 国:日本
  • 肩書き:海軍軍人・海軍大将

仙台に生まれ、海軍兵学校と海軍大学校を経て、駐伊武官や軍務局長など軍政畑を歩みました。日独伊三国同盟と対米英開戦に反対し、戦時中は航空戦力重視を唱え、終戦期には海軍次官として米内光政を支えました。組織内部から同盟外交と無謀な戦争へ異論を唱えた人物として、日本海軍の意思決定を検討する重要な手掛かりです。一方、第四艦隊司令長官として南洋作戦を指揮した当事者でもあり、反戦的な回想だけで帝国海軍の侵略と占領への組織責任を免責できません。

浜田庄司

  • 生没年:1894年12月9日(明治27年12月9日)~1978年1月5日(昭和53年1月5日)
  • 国:日本
  • 肩書き:陶芸家・民藝運動家

神奈川県に生まれ、東京高等工業学校で窯業を学び、バーナード・リーチと英国で作陶したのち益子へ定住しました。身近な土と釉薬、登窯を用いた力強い器を作り、柳宗悦や河井寛次郎と民藝運動を推進して人間国宝となりました。益子焼を国内外へ知らしめ、作者の個性だけでなく生活に根差す工芸の価値を再評価する潮流へ大きな影響を与えました。一方、『無名の職人』を称揚する民藝思想は地域や植民地の作り手を中央の知識人が代弁する構図を持ち、本人の署名作品が高額化した矛盾も検討が必要です。

池田亀鑑

  • 生没年:1896年12月9日(明治29年12月9日)~1956年12月19日(昭和31年12月19日)
  • 国:日本
  • 肩書き:国文学者・『源氏物語』研究者

鳥取県に生まれ、師範学校を経て東京帝国大学で国文学を学び、出版編集と教育を続けながら古典文献を調査しました。多数の写本を比較して『校異源氏物語』と『源氏物語大成』を編み、本文批判の方法を日本古典研究へ定着させました。異本の系統と語句の差を記録した基盤は、現在の源氏物語研究、校訂、注釈、デジタル本文研究にも不可欠です。一方、写本群を系統へ整理する方法は複雑な混態を単純化する危険があり、戦時下の国文学が国家文化の称揚と近接した時代背景も切り離せません。

本郷新

  • 生没年:1905年12月9日(明治38年12月9日)~1980年2月13日(昭和55年2月13日)
  • 国:日本
  • 肩書き:彫刻家

札幌に生まれ、高村光太郎らの近代彫刻を学びながら、社会へ開かれた公共彫刻のあり方を模索しました。戦後に『わだつみのこえ』像や『嵐の中の母子像』を制作し、平和運動と結びつく記念碑を全国へ残しました。人体の量感を通して戦争の記憶と市民の感情を公共空間へ置き、記念碑彫刻を社会的対話の場へ広げました。一方、モニュメントは一つの象徴へ多様な戦争体験を集約しがちで、設置主体の政治性や男性中心の美術制度に支えられた評価も問い直す必要があります。

ジョン・ミルトン

  • 生没年:1608年12月9日~1674年11月8日
  • 国:イングランド
  • 肩書き:詩人・思想家

宗教改革後のロンドンに生まれ、清教徒革命と王政復古を経験しながら古典語、神学、政治論を修めました。共和政政府のラテン語秘書官を務め、失明後に口述で叙事詩『失楽園』を完成し、自由意志と反逆、救済を壮大に描きました。英語叙事詩の表現領域を拡張し、ロマン派から現代の文学、政治思想、視覚文化まで長く引用される基礎作品となりました。一方、言論の自由を説く一方で女性の従属を前提とする離婚論を持ち、クロムウェル政権のアイルランド征服を十分批判しなかった点も作品の普遍性と併せて読む必要があります。

ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン

  • 生没年:1717年12月9日~1768年6月8日
  • 国:ドイツ
  • 肩書き:美術史家・考古学者

プロイセンの貧しい靴職人の家に生まれ、図書館員を経てローマへ移り、古代美術の収集と発掘資料を研究しました。『ギリシア美術模倣論』と『古代美術史』で様式を時代順に捉え、『高貴な単純と静かな偉大』を古代ギリシア美の理想としました。作品を年代、社会、様式の変化から説明する方法は近代美術史と考古学を制度化し、新古典主義の美学へ決定的な影響を与えました。一方、白い大理石を純粋美の規範とした議論は古代彫刻の彩色を軽視し、ギリシアを理想化する欧州中心主義と身体・性の規範を広めた限界があります。

ピョートル・クロポトキン

  • 生没年:1842年12月9日~1921年2月8日
  • 国:ロシア
  • 肩書き:地理学者・無政府主義思想家

ロシア貴族の家に生まれ、士官としてシベリアを調査する過程で地理学の成果を上げる一方、帝政と階級制度への疑問を深めました。亡命生活で『相互扶助論』『パンの略取』を著し、競争だけでなく協力を進化と社会組織の原理として論じました。国家権力を介さない自治、協同組合、連帯の思想は無政府主義、地域主義、環境思想や現代の協働論へ影響を残しました。一方、第一次世界大戦で連合国支持に回ったため反軍国主義者と決裂し、自然界の協力を社会規範へ結ぶ議論にも選択的な証拠利用との批判があります。

フリッツ・ハーバー

  • 生没年:1868年12月9日~1934年1月29日
  • 国:ドイツ
  • 肩書き:化学者

プロイセン領ブレスラウのユダヤ系家庭に生まれ、工業化と国家間競争が進むドイツで物理化学者となりました。高温高圧下で窒素と水素からアンモニアを合成する方法を確立し、肥料と火薬の大量生産を可能にしました。ハーバー・ボッシュ法は世界の食料生産を支えて人口扶養力を高め、工業化学と触媒研究の方向を変えました。一方、第一次世界大戦では毒ガス兵器開発を指揮し大量殺傷へ科学を動員したうえ、合成肥料も化石燃料消費と水域の富栄養化をもたらすため、『人類を養った科学者』だけでは評価できません。

ジャン・メルモーズ

  • 生没年:1901年12月9日~1936年12月7日
  • 国:フランス
  • 肩書き:飛行家

フランス北部に生まれ、第一次世界大戦後に軍用航空から郵便航空へ転じ、未整備な長距離航路の開拓に挑みました。アエロポスタル社でサハラ、南大西洋、アンデスを飛び、欧州と南米を結ぶ航空郵便の定期化に貢献しました。危険な試験飛行の経験は航法、機体運用、国際航空路の発展を促し、サン=テグジュペリらの文学的記憶にも刻まれました。一方、英雄的冒険譚は同僚や地上労働者の共同作業を隠し、フランス植民地支配の交通網を利用した事業であったことや、本人の極右政治運動への関与も見落とせません。

ダルトン・トランボ

  • 生没年:1905年12月9日~1976年9月10日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:脚本家・小説家

コロラド州に生まれ、世界恐慌期の労働経験を経てハリウッドで脚本家として成功しました。下院非米活動委員会で証言を拒んだ『ハリウッド・テン』として投獄・追放され、偽名で『ローマの休日』などを書いた後に実名復帰しました。ブラックリストを破った歩みは表現の自由と政治的迫害の記憶を象徴し、脚本家の著作者性を可視化しました。一方、スター作家中心の回顧は同時に職を失った多数の映画労働者や共産党内部の抑圧を見えにくくし、冷戦期の複雑な政治選択を単純な英雄譚へできません。

グレース・ホッパー

  • 生没年:1906年12月9日~1992年1月1日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:計算機科学者・海軍軍人

ニューヨークに生まれ、数学博士号を得たのち第二次世界大戦中に海軍予備役へ入り、Harvard Mark Iのプログラミングに携わりました。コンパイラ開発を主導し、英語に近い命令で業務計算を書く発想を広め、COBOL標準化にも重要な役割を果たしました。機械固有の命令から高水準言語へ移る流れを実務で定着させ、女性が計算機分野で専門職を築く象徴にもなりました。一方、コンパイラやCOBOLは大規模なチームと標準化委員会の成果であり、一人の発明として語ると初期計算機を支えた多くの女性技術者と軍事的背景が隠れます。

アーネスト・ゲルナー

  • 生没年:1925年12月9日~1995年11月5日
  • 国:チェコスロヴァキア・イギリス
  • 肩書き:哲学者・社会人類学者

プラハのユダヤ系家庭に生まれ、ナチ占領を逃れて英国へ移住し、戦後は哲学と社会人類学を横断しました。『言葉と物』『民族とナショナリズム』で言語哲学の閉鎖性を批判し、産業社会が標準文化と国民国家を必要とするという理論を示しました。ナショナリズムを古い民族の覚醒ではなく近代化が作る制度として説明し、政治学、歴史学、人類学の大きな論争軸を作りました。一方、工業化を中心とするモデルは植民地支配、ジェンダー、宗教、農業社会の多様な国民形成を捉えにくく、欧州経験の一般化だとの批判があります。

ジョン・カサヴェテス

  • 生没年:1929年12月9日~1989年2月3日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:映画監督・俳優

ニューヨークのギリシャ系家庭に育ち、俳優として商業映画とテレビで働きながら自主制作の資金と仲間を集めました。『アメリカの影』『こわれゆく女』などで不安定な会話、長回し、俳優の身体を生かし、家庭と親密圏の葛藤を撮りました。低予算でも作家が制作権を保つ方法を示し、米国インディペンデント映画と俳優中心の演出へ広い影響を与えました。一方、即興映画という通説に反して脚本と反復稽古を重ねており、女性の苦痛を激しい演技の見世物にしたとの批判や、創作共同体の無償労働にも注意が必要です。

12月9日に起きた歴史的な出来事

  • 536年12月9日|東ローマ軍のローマ入城
    ゴート戦争中、ベリサリウス率いる東ローマ帝国軍が東ゴート側の守備が薄れたローマへ入りました。古代帝国の旧都をユスティニアヌス1世が回復する象徴となり、その後の長い攻防の起点になりました。なお、再征服戦争はイタリアの人口、農地、都市基盤を著しく損ない、帝国復興という表現だけでは住民の犠牲を捉えられません。
  • 887年12月9日(仁和3年11月21日)|阿衡事件
    宇多天皇が藤原基経を阿衡に任じた詔の文言をめぐり、基経が政務を拒んで詔の撤回を迫りました。天皇と摂関家、文章博士の権限関係を露呈し、藤原氏が朝廷人事で優位を確立する一段階となりました。なお、事件の経過は後世の記録に依存し、単純に菅原道真の機知や基経の横暴だけへ還元すると制度的背景を見失います。
  • 1425年12月9日|ルーヴェン大学創設
    教皇マルティヌス5世の勅書により、ブラバント公国のルーヴェンに大学が設立されました。神学、法学、医学、人文学の研究拠点となり、ネーデルラントの都市文化と欧州の知識交流を支えました。なお、大学は宗教権威と都市特権に基づく男性中心の制度で、戦争や宗派対立の中で度々閉鎖・再編されたため現在の大学との連続性には注意が必要です。
  • 1872年12月9日(明治5年11月9日)|太陽暦採用を布告
    明治政府は同年12月3日を翌1873年1月1日とする改暦を布告し、太陰太陽暦からグレゴリオ暦へ移行すると決めました。外交、会計、交通の暦を欧米諸国と合わせ、日本の時間制度を中央集権的に統一しました。なお、準備期間が三週間余りしかなく、年中行事や給与、商取引に混乱を生じさせ、地域の旧暦文化は『遅れ』として周縁化されました。
  • 1905年12月9日|フランス政教分離法成立
    第三共和政の議会が国家と教会を分離し、公的礼拝への財政支援を原則として終える法律を成立させました。信教の自由と国家の宗教的中立を結びつけるライシテの制度的基盤となり、欧州の政教関係へ影響しました。なお、カトリックとの激しい対立を生み、植民地では同じ原則が一貫して適用されなかったため、普遍的中立の完成としては語れません。
  • 1915年12月9日(大正4年12月9日)|三毛別羆事件が始まる
    北海道苫前郡の開拓集落でヒグマが民家を襲い、数日にわたり住民七人が死亡、三人が負傷しました。国内最悪級の獣害として、開拓地の安全、野生動物管理、山林利用を考える教訓となりました。なお、刺激的な再話には誇張も混じり、熊を怪物化するだけでは森林開発と人間の生活圏拡大という背景や犠牲者の尊厳を見失います。
  • 1931年12月9日|スペイン第二共和政憲法成立
    王政崩壊後の制憲議会が普通選挙、政教分離、地方自治、社会的権利を盛り込む憲法を承認しました。女性参政権を含む民主化を進め、近代スペインの市民権を大きく拡張しました。なお、土地・宗教・軍制改革をめぐる対立は深く、左派政府の理念だけで暴力的分極化や後の内戦に至る双方の排除を説明できません。
  • 1935年12月9日|一二・九運動
    日本の華北分離工作に反対する学生が北平で大規模な抗議デモを行い、警察の弾圧を受けました。抗日救国運動を中国各地へ広げ、国民党と共産党に内戦停止と共同抗日を求める世論を強めました。なお、後世の公式記憶は共産党の指導を強調しがちで、参加者の多様な政治的立場や弾圧による負傷を単一の党史へ回収できません。
  • 1945年12月9日(昭和20年12月9日)|GHQが農地改革を指令
    連合国軍総司令部は日本政府に対し、不在地主の土地買収と小作農への売り渡しを軸とする農地改革を求めました。寄生地主制を大きく解体して自作農を増やし、戦後農村の所得分配と政治構造を変えました。なお、小規模所有の固定化は農業の零細性を残し、植民地での土地支配や女性の財産権が改革物語から抜け落ちやすい点にも注意が必要です。
  • 1946年12月9日|ニュルンベルク継続裁判開始
    米軍占領当局が医師裁判を皮切りに、ナチ体制へ協力した医師、法曹、企業家、官僚らを裁く一連の裁判を始めました。人体実験への責任追及からニュルンベルク綱領が生まれ、研究倫理と個人の国際刑事責任を発展させました。なお、裁判は米国単独で行われ『勝者の裁き』との批判もあり、被害者の回復やドイツ社会全体の加担を十分扱えなかった限界があります。
  • 1948年12月9日|ジェノサイド条約採択
    国連総会が民族的、種族的、人種的、宗教的集団を破壊する行為を犯罪と定め、予防と処罰を各国へ義務づけました。ホロコーストを受け、国家主権を越えて集団破壊を裁く国際法の基礎を築きました。なお、政治的集団は定義から外れ、批准と執行も遅れたため、条約が存在してもルワンダやスレブレニツァなどの虐殺を防げなかった現実があります。
  • 1961年12月9日|タンガニーカ独立
    国連信託統治領タンガニーカがイギリスから独立し、ジュリウス・ニエレレが首相となりました。アフリカ脱植民地化を進め、後のザンジバルとの連合とタンザニア成立へつながりました。なお、植民地境界と輸出作物依存を引き継ぎ、独立後の一党制や経済政策の困難もあったため、主権獲得だけを完成された解放とみなせません。
  • 1968年12月9日|『すべてのデモの母』公開
    ダグラス・エンゲルバートらがサンフランシスコで、マウス、ハイパーテキスト、画面共有、共同編集を統合した計算機システムを実演しました。後のパーソナルコンピューターとネットワーク協働の基本的な操作概念を一度に示した画期的な発表となりました。なお、成果は研究所の大規模な共同作業と公的資金に支えられ、男性発明家一人の先見性だけに還元すると女性を含むチームの貢献が隠れます。
  • 1974年12月9日(昭和49年12月9日)|三木内閣成立
    田中角栄首相の退陣後、自民党は椎名裁定で三木武夫を総裁に選び、内閣が発足しました。政治浄化と選挙制度改革を掲げ、ロッキード事件の捜査をめぐる政権と党内派閥の緊張を表面化させました。なお、総裁選を経ない調整は『クリーン政治』の正統性に限界を残し、金権体質や派閥支配を根本から解消できませんでした。
  • 1975年12月9日|障害者の権利宣言採択
    国連総会が障害のある人の尊厳、教育、就労、医療、社会参加の権利を掲げる宣言を採択しました。保護の対象としてだけでなく権利主体として捉える国際的転換を促し、後の障害者権利条約へ道を開きました。なお、法的拘束力のない宣言であり、本人の意思より専門家や施設を優先する当時の発想も残ったため、実質的平等の実現には長い運動が必要でした。
  • 1995年12月9日(平成7年12月9日)|白川郷・五箇山が世界遺産登録
    岐阜県白川村と富山県南砺地域の合掌造り集落が、生活と風土に適応した伝統的集落としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。大型木造家屋、共同作業、養蚕など山村の文化景観を国際的に評価し、保存への資金と関心を集めました。なお、観光客増加は交通混雑、生活の展示化、空き家問題を生み、住民の暮らしを固定された『原風景』として消費しない管理が求められます。
  • 2019年12月9日|ホワイト島噴火
    ニュージーランド北島沖の火山島ファカーリで観光客が滞在中に噴火し、二十二人が死亡、多数が重い熱傷を負いました。活火山観光の危険評価、警戒情報の伝達、旅行会社と規制当局の責任を国際的に問い直す契機となりました。なお、自然災害として不可避だったと片づけられず、先住民マオリの聖地・私有地という性格と、生存者が負う長期の治療負担も考慮すべきです。

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