
11月9日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢49名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】11月9日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、11月9日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1831年 | 小野五平 | 将棋棋士・十二世名人 |
| 1838年 | 吉田禄在 | 官僚・政治家・実業家 |
| 1840年 | 黒田清隆 | 陸軍軍人・第2代内閣総理大臣 |
| 1865年 | 福澤捨次郎 | ジャーナリスト |
| 1865年 | 岡野敬次郎 | 法学者・司法大臣・文部大臣 |
| 1874年 | 鹿子木孟郎 | 洋画家 |
| 1876年 | 野口英世 | 細菌学者 |
| 1877年 | 今村惟善 | 官僚 |
| 1882年 | 中井猛之進 | 植物分類学者 |
| 1882年 | 菰田万一郎 | 教育者 |
| 1888年 | 安田善雄 | 銀行家・実業家 |
| 1892年 | 小林英三 | 政治家・実業家・厚生大臣 |
| 1894年 | 横川重次 | 実業家・政治家 |
| 1896年 | 戸倉ハル | 体育学者・教育者 |
| 1898年 | 稲畑太郎 | 実業家 |
| 1902年 | 岩澤誠 | 弁護士・学校経営者 |
| 1902年 | 矢部貞治 | 政治学者・評論家 |
| 1907年 | 高師康 | 新聞記者・サッカー指導者 |
| 1909年 | 榊原金之助 | 新聞記者・政治家 |
| 1911年 | 田中敏文 | 政治家・初代北海道知事 |
| 1914年 | 加藤衛 | ドイツ文学者・演劇評論家 |
| 1914年 | 矢崎博信 | 洋画家 |
| 1917年 | 萩谷朴 | 国文学者 |
| 1918年 | 村上茂利 | 政治家 |
| 1924年 | 眞鍋理一郎 | 作曲家 |
| 1926年 | 鈴木孝夫 | 言語学者・社会学者 |
| 1926年 | 菅原喜重郎 | 政治家 |
| 1927年 | 江藤俊哉 | ヴァイオリニスト・教育者 |
| 1929年 | 花村えい子 | 漫画家 |
| 1931年 | 山内久司 | テレビプロデューサー |
| 1931年 | 白石一郎 | 小説家 |
| 1931年 | 若林俊輔 | 英語教育学者 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】11月9日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1683年 | ジョージ2世 | グレートブリテン国王 |
| 1731年 | ベンジャミン・バネカー | アメリカの天文学者・測量家 |
| 1818年 | イワン・ツルゲーネフ | ロシアの小説家 |
| 1841年 | エドワード7世 | イギリス国王 |
| 1864年 | ポール・セリュジエ | フランスの画家 |
| 1877年 | ムハンマド・イクバール | 英領インドの詩人・哲学者 |
| 1883年 | チャールズ・デムス | アメリカの画家 |
| 1885年 | ヘルマン・ワイル | ドイツ出身の数学者・物理学者 |
| 1914年 | ヘディ・ラマー | オーストリア出身の俳優・発明家 |
| 1921年 | ピエレット・アラリー | カナダのソプラノ歌手 |
| 1924年 | ロバート・フランク | スイス出身の写真家 |
| 1928年 | アン・セクストン | アメリカの詩人 |
| 1930年 | イヴァン・モラヴェッツ | チェコのピアニスト |
| 1934年 | ロナルド・ハーウッド | 南アフリカ出身の劇作家・脚本家 |
| 1934年 | カール・セーガン | アメリカの天文学者・科学普及家 |
| 1936年 | ミハイル・タリ | ラトビア出身のチェス世界王者 |
| 1936年 | マリー・トラヴァース | アメリカのフォーク歌手 |
11月9日生まれの代表的な偉人
黒田清隆
- 生没年:1840年11月9日(天保11年10月16日)~1900年8月23日(明治33年8月23日)
- 国:日本
- 肩書き:陸軍軍人・第2代内閣総理大臣
薩摩藩に生まれ、戊辰戦争に従軍した後、明治政府の北海道開拓と国家制度形成で中心的役割を担いました。開拓使長官として屯田兵、官営事業、移民政策を進め、条約改正を課題とする時期に第2代内閣総理大臣を務めました。北海道の交通・産業基盤と近代官僚制の形成へ大きな影響を残し、藩閥政府を代表する政治家となりました。一方、開拓はアイヌ民族の土地と生活を奪う同化政策を伴い、開拓使官有物払下げ事件や妻殺害疑惑への捜査の不透明さなど、権力私物化への批判もあります。
野口英世
- 生没年:1876年11月9日(明治9年11月9日)~1928年5月21日(昭和3年5月21日)
- 国:日本
- 肩書き:細菌学者
福島県の農家に生まれ、幼少期の火傷と手術経験をきっかけに医学へ進み、研究機会を求めてアメリカへ渡りました。梅毒患者の脳組織から病原体を確認し、黄熱病などの感染症研究に取り組み、ロックフェラー医学研究所で国際的名声を得ました。困難を克服した科学者像として教育と公衆衛生への関心を高め、日本人研究者の国際進出を象徴しました。一方、黄熱病を細菌性とみなした研究は誤りで、実験の再現性や患者同意、アフリカ・中南米での植民地主義的研究環境に重大な問題があり、英雄物語だけでは評価できません。
中井猛之進
- 生没年:1882年11月9日(明治15年11月9日)~1952年12月6日(昭和27年12月6日)
- 国:日本
- 肩書き:植物分類学者
岐阜県に生まれ、東京帝国大学で植物学を学び、日本の朝鮮統治と領域調査が進む時代に分類研究へ入りました。朝鮮半島を中心とする東アジア植物を大規模に採集・記載し、多数の新属・新種を命名して植物相の基礎資料を築きました。小石川植物園長、国立科学博物館長として標本・研究組織を整え、東アジア植物分類学へ長く影響しました。一方、調査は植民地統治の移動・資源網を利用し、現地採集者の知識や標本の帰属を日本側へ集中させたため、分類学上の成果と帝国支配の構造を併せて検討する必要があります。
戸倉ハル
- 生没年:1896年11月9日(明治29年11月9日)~1968年9月16日(昭和43年9月16日)
- 国:日本
- 肩書き:体育学者・教育者
香川県に生まれ、女子教育で身体活動が徳育や健康管理と結び付けられた時代に体操教師となりました。東京女子高等師範学校で幼児・女子体育とダンスを研究し、学校教材、指導者養成、ラジオ体操の普及にも関わりました。女性の体育専門職を確立し、戦前から戦後へ学校体育と保育現場の身体表現をつなぐ役割を果たしました。一方、女子体育が良妻賢母や優生・国民体力政策へ組み込まれた面があり、規律化された身体観と女性の活動機会拡大という両義性を評価する必要があります。
ベンジャミン・バネカー
- 生没年:1731年11月9日~1806年10月19日
- 国:アメリカ
- 肩書き:天文学者・測量家・著述家
自由黒人の家庭に生まれ、奴隷制と人種差別が社会制度の中心にあった植民地期・建国期アメリカで独学を重ねました。時計を製作し、天文計算による暦を刊行し、首都ワシントンの境界測量にも参加して、黒人の知的能力を否定する偏見へ実績で対抗しました。国務長官ジェファーソンへ奴隷制廃止を求める書簡を送り、科学、公共事業、公民権の歴史を結ぶ象徴となりました。一方、生涯をめぐる後世の伝説には誇張もあり、例外的な天才として称えるだけでは、教育機会を奪われた多数の黒人と家族・地域共同体の支援を見えにくくします。
イワン・ツルゲーネフ
- 生没年:1818年11月9日~1883年9月3日
- 国:ロシア
- 肩書き:小説家
オリョールの裕福な地主家庭に生まれ、農奴制の矛盾と西欧化をめぐる知識人対立が深まった十九世紀ロシアで執筆しました。『猟人日記』で農奴の人間性と地主社会の暴力を描き、『父と子』では自由主義世代とニヒリスト青年の衝突を造形しました。農奴解放を促す世論に寄与し、簡潔な心理描写と世代論はロシア文学を欧州へ広め、世界の小説へ影響しました。一方、長く西欧に暮らした自由主義者として急進派からは傍観者と批判され、農奴を所有した階級的特権や女性像の理想化も作品評価から外せません。
エドワード7世
- 生没年:1841年11月9日~1910年5月6日
- 国:イギリス
- 肩書き:国王・インド皇帝
ヴィクトリア女王の長男として生まれ、長い皇太子時代を経て、帝国が世界的優位を保ちながら列強対立を深めた時代に即位しました。フランス訪問など非公式外交を重ねて英仏協商の雰囲気をつくり、王室儀礼と社交を近代大衆メディアに適応させました。短い治世はエドワード朝の文化的華やかさと外交再編を象徴し、立憲君主の公共的役割を更新しました。一方、「平和王」の像に反して帝国は南アフリカやアジアを支配し、王自身の特権的生活と植民地主義、人種秩序を切り離して評価できません。
ポール・セリュジエ
- 生没年:1864年11月9日~1927年10月7日
- 国:フランス
- 肩書き:画家・美術理論家
パリに生まれ、アカデミックな写実から色彩と象徴を重視する新しい絵画へ若い芸術家が向かった十九世紀末に活動しました。ゴーガンの助言で《タリスマン》を描き、自然色に従わず平坦な色面で画面を構成して、ナビ派結成の契機をつくりました。絵画を対象の再現ではなく色と形の自律的秩序として考える流れを促し、装飾芸術と二十世紀抽象表現へ影響しました。一方、ゴーガンを中心とする起源物語は他の画家の貢献を単純化し、ブルターニュの宗教文化を都市芸術家が「原始的」と消費した視線も批判的に見る必要があります。
ムハンマド・イクバール
- 生没年:1877年11月9日~1938年4月21日
- 国:英領インド
- 肩書き:詩人・哲学者・政治家
パンジャーブのムスリム家庭に生まれ、欧州留学と植民地支配の経験から、イスラム思想と近代主体の再構築を模索しました。ペルシア語・ウルドゥー語詩で自己の創造力を説き、『イスラーム宗教思想の再構成』やアラーハーバード演説でムスリム政治共同体の将来を論じました。南アジアの文学・宗教思想へ大きな影響を与え、後にパキスタン国家構想の精神的先駆者として顕彰されました。一方、本人が現在の国境国家を具体的に設計したとする説明は単純化であり、宗教共同体を政治単位とする議論が分断と少数派問題へどう結び付いたか検討が必要です。
ヘルマン・ワイル
- 生没年:1885年11月9日~1955年12月8日
- 国:ドイツ・アメリカ
- 肩書き:数学者・理論物理学者
ハンブルク近郊に生まれ、ゲッティンゲンで学び、相対性理論と量子力学が数学の言語を必要とした時代に研究しました。リーマン面、表現論、微分幾何学を発展させ、時空の局所対称性を重視するゲージ理論の原型を提案しました。純粋数学と物理を結ぶ仕事は素粒子論、一般相対論、現代幾何学へ不可欠な枠組みを与えました。一方、初期の電磁気統一理論は物理的に成立せず後に意味を変えて再生したもので、抽象理論の美しさを実験的妥当性と取り違えないことが重要です。
ヘディ・ラマー
- 生没年:1914年11月9日~2000年1月19日
- 国:オーストリア・アメリカ
- 肩書き:俳優・発明家
ウィーンのユダヤ系家庭に生まれ、ナチスの脅威を避けて渡米し、ハリウッドで国際的な映画スターとなりました。作曲家ジョージ・アンタイルと、無線誘導魚雷への妨害を避ける周波数ホッピング方式を考案し、1942年に特許を取得しました。当時は採用されませんでしたが、分散スペクトラム通信史の先駆例として再評価され、女性発明家への関心を高めました。一方、現代Wi-Fiを一人で発明したという説明は技術系譜を誇張し、映画界が容姿を商品化した一方で特許へ十分な報酬を与えなかったジェンダー構造にも注意が必要です。
アン・セクストン
- 生没年:1928年11月9日~1974年10月4日
- 国:アメリカ
- 肩書き:詩人
マサチューセッツ州に生まれ、精神的不調の治療過程で詩を書き始め、女性の私生活を公に語りにくかった戦後社会で創作しました。『生きるか死ぬか』などで自殺念慮、性、母性、病院体験を率直に扱い、告白詩の代表者としてピュリツァー賞を受けました。女性の身体と精神医療を詩の中心へ置き、後代の詩人やフェミニズム文学へ大きな影響を与えました。一方、自死を作品の必然や美的結末として扱うべきではなく、治療者との境界侵害をめぐる記録、家族への暴力証言、編集による私生活公開の倫理も慎重に扱う必要があります。
カール・セーガン
- 生没年:1934年11月9日~1996年12月20日
- 国:アメリカ
- 肩書き:天文学者・科学普及家
ニューヨークのユダヤ系家庭に生まれ、惑星探査と宇宙開発が国家競争から科学研究へ広がる時代に天文学へ進みました。金星の温室効果、火星環境、惑星大気を研究し、探査機の地球外知的生命へのメッセージ制作とテレビ番組『コスモス』を主導しました。宇宙科学を歴史、哲学、核軍縮と結び付けて一般へ伝え、批判的思考と科学リテラシーの世界的普及に貢献しました。一方、「核の冬」など公共的主張にはモデルの不確実性をめぐる論争があり、魅力的な語り手への信頼と個々の科学的根拠を区別して検討する必要があります。
11月9日に起きた歴史的な出来事
- 1180年11月9日(治承4年10月20日)|富士川の戦い
源頼朝らの軍と平維盛率いる平氏軍が駿河国富士川付近で対峙し、平氏軍が大規模戦闘前に撤退しました。東国武士勢力の自信を高め、頼朝が鎌倉を拠点に政権を築く流れを強めました。なお、水鳥の羽音で敗走したという逸話は軍記物語による誇張の可能性があり、地域住民の徴発と戦乱被害も見落とせません。 - 1494年11月9日|メディチ家がフィレンツェから追放
フランス王シャルル8世の侵入と市民の反発のなか、ピエロ・デ・メディチがフィレンツェを追われました。サヴォナローラの影響力が高まり、共和国政治と宗教改革的統治が試みられる転機となりました。なお、政権交代は派閥対立、財産没収、言論統制を伴い、共和制も安定した市民民主主義とは言えませんでした。 - 1799年11月9日(フランス革命暦ブリュメール18日)|ブリュメールのクーデタ
ナポレオン・ボナパルトが軍と議会内の協力者を用いて総裁政府を倒し、統領政府を樹立しました。フランス革命期を終わらせ、行政・法制度の集中と後の帝政へ進む権力基盤をつくりました。なお、安定と改革の成果の一方で議会を威圧し選挙を形骸化した軍事クーデターであり、革命理念の権威主義的転換を示しました。 - 1867年11月9日(慶応3年10月14日)|徳川慶喜が大政奉還を表明
江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が二条城で諸藩重臣へ政権返上の方針を示し、朝廷へ上表しました。幕府という統治機構を形式上終わらせ、王政復古と明治国家成立への政治的転換を加速しました。なお、内戦回避だけでなく徳川家が新体制で主導権を保つ構想もあり、その後の戊辰戦争で多くの軍民が犠牲となったため平和的革命と単純化できません。 - 1888年11月9日|メアリー・ジェイン・ケリー殺害
ロンドンのホワイトチャペルでメアリー・ジェイン・ケリーが殺害され、切り裂きジャック事件の確実な最後の犠牲者とされました。都市貧困、警察捜査、新聞報道、女性への暴力をめぐる近代社会史の象徴的事件となりました。なお、犯人探しの娯楽化は被害女性の人生と尊厳を奪い、貧困や性産業に置かれた構造的危険を怪奇物語の背景へ追いやります。 - 1918年11月9日|ドイツ皇帝退位と共和国宣言
革命が各都市へ広がるなかヴィルヘルム2世の退位が発表され、ベルリンで共和国樹立が宣言されました。ドイツ帝国を終わらせ、ワイマール共和国と第一次世界大戦休戦への道を開きました。なお、体制転換は兵士・労働者の運動に支えられた一方、旧軍・官僚機構が残り、革命派への暴力と後の反民主主義を生む妥協も抱えました。 - 1923年11月9日|ミュンヘン一揆鎮圧
前日に政権奪取を試みたナチ党員らがミュンヘン中心部を行進し、警察との銃撃で一揆は失敗しました。投獄されたヒトラーが裁判と著作を宣伝へ利用し、選挙と合法手段を通じて独裁を目指す戦略へ転じる契機となりました。なお、司法が反共和国勢力へ軽い処分しか科さなかったことが再起を許し、失敗した暴力運動を過小評価する危険を示します。 - 1938年11月9日|水晶の夜
ナチ政権下のドイツとオーストリアで、ユダヤ人の商店、住宅、シナゴーグが組織的に襲撃されました。財産没収、強制収容、国外追放から大量虐殺へ進む国家的迫害の重大な転機となりました。なお、自発的暴動ではなく党・警察・行政が関与した計画的暴力であり、割れたガラスを美化する呼称より犠牲者と加害制度を中心に記憶すべきです。 - 1953年11月9日|カンボジア独立
フランス領インドシナの一部だったカンボジアが完全独立を達成し、シハヌーク国王の独立運動が実を結びました。植民地統治を終え主権国家として国際社会へ進む一方、冷戦下で中立政策を模索する出発点となりました。なお、独立後も権力集中、周辺国の介入、内戦が続き、王の功績だけで民衆運動や植民地支配が残した制度的弱さを隠せません。 - 1962年11月9日(昭和37年11月9日)|LT貿易覚書調印
高碕達之助と廖承志が日中長期総合貿易に関する覚書へ調印し、国交のない日本と中国の準政府間貿易を整えました。経済交流を通じて政治対話を維持し、1972年の日中国交正常化へ至る実務的な橋渡しとなりました。なお、台湾との関係や冷戦構造のなかで政治利用され、貿易利益が歴史認識や人権問題を自動的に解決したわけではありません。 - 1963年11月9日(昭和38年11月9日)|三井三池三川炭鉱炭じん爆発
福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で炭じん爆発が起き、四百五十八人が死亡し、多数が一酸化炭素中毒となりました。戦後日本最大級の労働災害として、企業の安全管理、労災補償、後遺症医療のあり方を問いました。なお、合理化で坑内環境と人員に無理が生じたとの指摘があり、生存者と家族は長期障害、差別、補償闘争に苦しみました。 - 1963年11月9日(昭和38年11月9日)|鶴見事故
横浜市の東海道貨物線で貨物列車が脱線し、並走する旅客列車二本が衝突して百六十一人が死亡しました。三河島事故後の鉄道安全対策をさらに見直し、車両・線路・運行管理の総合的な事故研究を促しました。なお、原因を運転士個人へ帰せず、競合脱線という複合現象、設備設計、組織的なリスク管理、遺族支援を検証する必要があります。 - 1965年11月9日|北アメリカ大停電
送電保護装置の設定と電力網の連鎖的遮断により、米国北東部とカナダの広域で停電が発生しました。相互接続された大規模インフラの脆弱性を示し、電力系統の監視、運用基準、緊急対応の改善を促しました。なお、都市機能の停止は病院、交通、低所得者へ不均衡な負担を与え、単一の故障を社会災害へ拡大させる集中システムの危険を示しました。 - 1967年11月9日|アポロ4号打ち上げ
NASAが巨大ロケットのサターンVを初めて打ち上げ、無人アポロ宇宙船の高速度再突入などを一括試験しました。月面着陸に必要な推進力と機体安全性を確認し、アポロ計画を有人飛行へ進める重要な成功となりました。なお、宇宙開発は科学技術を発展させた一方、冷戦の威信競争と巨額軍需、発射場周辺の土地収用や環境負荷を伴いました。 - 1989年11月9日|ベルリンの壁開放
東ドイツ政府の旅行規制発表が混乱して伝えられ、市民が検問所へ殺到し、国境警備隊が通行を認めました。東西ベルリンを隔てた壁が実質的に開き、東欧革命、ドイツ統一、冷戦終結を象徴する出来事となりました。なお、歓喜の一方で統一後の失業、資産移転、東西格差が生じ、壁で死亡した人々と移民・少数者の経験も統一物語から外せません。 - 1994年11月9日|ダームスタチウム発見
ドイツ重イオン研究所のチームが鉛とニッケルの原子核を衝突させ、原子番号110の元素を生成・検出しました。超重元素の安定性と原子核構造を探る研究を前進させ、元素名は研究地ダルムシュタットにちなみました。なお、生成原子はごく少数で寿命も短く、独立確認と命名には時間を要しました。巨大装置と国際チームの成果を一人の発見者へ帰せません。 - 2005年11月9日|金星探査機ビーナス・エクスプレス打ち上げ
欧州宇宙機関がカザフスタンから探査機を打ち上げ、金星の大気、雲、プラズマ環境を長期観測しました。地球に近い大きさながら極端な温室環境となった金星を調べ、惑星気候と大気進化の比較研究を深めました。なお、宇宙探査には打ち上げ失敗、宇宙ごみ、費用負担があり、成果を地球の気候問題への単純な類推に使わない慎重さも必要です。