10月26日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

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10月26日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢45名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!

【日本】10月26日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、10月26日と一致する人物だけを掲載しています。

生年人物名肩書き
1825年岩倉具視公家・政治家
1836年関口隆吉官僚・静岡県知事
1847年菊池九郎教育者・政治家
1853年徳川昭武水戸藩主・外交使節
1855年小村寿太郎外交官・外務大臣
1870年加藤寛治海軍軍人
1870年下岡忠治内務官僚・農商務次官
1886年阿部みどり女俳人
1888年物集和子小説家
1893年高垣勝次郎実業家・三菱商事社長
1893年佐喜眞興英法学者・民俗学者
1894年伊原宇三郎洋画家
1894年竹内時男科学ジャーナリスト
1902年高井としを労働運動家
1908年松田道雄医師・育児評論家
1913年織田作之助小説家
1916年渡久地政信作曲家
1919年篠原三代平経済学者
1924年小泉淳作日本画家
1925年瀬川昌治映画監督
1943年常石敬一科学史家
1944年山川啓介作詞家

※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。

【海外】10月26日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

生年人物名肩書き
1491年正徳帝明の第11代皇帝
1645年アールト・デ・ヘルデルオランダの画家
1673年ディミトリエ・カンテミールモルダヴィア公・学者
1685年ドメニコ・スカルラッティイタリアの作曲家
1694年ユーハン・ヘルミク・ルーマンスウェーデンの作曲家
1757年カール・レオンハルト・ラインホルトオーストリアの哲学者
1759年ジョルジュ・ダントンフランス革命家
1794年コンスタンチン・トーンロシアの建築家
1795年ニコラオス・マンザロスギリシャの作曲家
1797年ジュディッタ・パスタイタリアのオペラ歌手
1800年ヘルムート・フォン・モルトケプロイセンの軍人・参謀総長
1802年ミゲル1世ポルトガル王
1842年ヴァシーリー・ヴェレシチャーギンロシアの画家
1849年フェルディナント・ゲオルク・フロベニウスドイツの数学者
1874年マーティン・ローリーイギリスの化学者
1880年アンドレイ・ベールイロシアの小説家・詩人
1902年カール・シャウプアメリカの財政学者
1911年ソーリー・マクリーンスコットランド・ゲール語詩人
1912年ドン・シーゲルアメリカの映画監督
1916年フランソワ・ミッテランフランス大統領
1919年モハンマド・レザー・パフラヴィーイラン国王
1924年ヨハンナ・マルツィハンガリーのヴァイオリニスト
1934年ジャック・ルーシェフランスのピアニスト・作曲家

10月26日生まれの代表的な偉人

岩倉具視

  • 生没年:1825年10月26日(文政8年9月15日)~1883年7月20日(明治16年7月20日)
  • 国:日本
  • 肩書き:公家・政治家

京都の公家に生まれ、幕末に公武合体を唱えた後、王政復古と倒幕政治の中枢へ進みました。明治政府では版籍奉還、廃藩置県に関わり、岩倉使節団の特命全権大使として欧米制度を視察しました。帰国後は急進的な征韓論を抑え、華族制度と立憲体制の形成へ影響しました。一方、政変と宮廷工作を駆使し、天皇権威を政治権力の統合へ用いました。使節団も植民地帝国を近代化の模範として観察しており、民衆参加の乏しい上からの改革でした。

小村寿太郎

  • 生没年:1855年10月26日(安政2年9月16日)~1911年11月26日(明治44年11月26日)
  • 国:日本
  • 肩書き:外交官・外務大臣

日向国飫肥藩士の家に生まれ、大学南校とハーバード大学で学び、外務省へ入りました。清国、韓国、米国、ロシアで勤務し、外務大臣としてポーツマス条約を締結し、関税自主権の回復を完成させました。列強と対等な条約関係を目指す日本外交の象徴となりました。一方、韓国併合と満洲権益の拡大を進めた帝国外交の当事者でもあります。講和で賠償金を得られなかったことへの国内暴動を「国民の無理解」だけで説明せず、戦争指導部の情報操作も見る必要があります。

阿部みどり女

  • 生没年:1886年10月26日(明治19年10月26日)~1980年9月10日(昭和55年9月10日)
  • 国:日本
  • 肩書き:俳人

北海道札幌に生まれ、結婚後に療養を契機として俳句を始め、高浜虚子に師事しました。北海道の自然と家庭生活を詠み、俳誌『駒草』を創刊して北方の俳句文化と女性俳人の育成に尽力しました。長い創作活動は中央文壇に偏らない近代俳句の地域的広がりを示しました。一方、母性や家庭性に限定する評価は、句の観察力と批評性を狭めます。結社運営を主宰者個人の功績へ集約せず、投稿者、編集者、家族の無償労働も含めて捉える必要があります。

佐喜眞興英

  • 生没年:1893年10月26日(明治26年10月26日)~1925年6月13日(大正14年6月13日)
  • 国:日本
  • 肩書き:法学者・民俗学者

沖縄県宜野湾の旧家に生まれ、東京帝国大学で法学を学び、裁判官を務めながら故郷の祭祀と社会慣行を研究しました。『南島説話』『女人政治考』などで琉球弧の説話、女性祭司、共同体を記録し、沖縄民俗学の先駆者となりました。法学と民俗学を横断する視点は後の南島研究へ影響しました。一方、短い生涯と断片的資料から思想を一貫した体系として描くのは危険です。また、本土学界のカテゴリーで地域文化を分類する作業が、植民地主義的な視線を再生産する可能性もあります。

織田作之助

  • 生没年:1913年10月26日(大正2年10月26日)~1947年1月10日(昭和22年1月10日)
  • 国:日本
  • 肩書き:小説家

大阪の仕出し屋の家に生まれ、旧制高校を中退した後、劇作と小説へ進みました。『夫婦善哉』『世相』で大阪の庶民、商売、男女関係を速度感ある語りで描き、坂口安吾、太宰治らと無頼派に数えられました。標準語中心の近代文学へ大阪語と都市生活のリズムを刻みました。一方、女性人物が男性の放縦を支える構図や、貧困を人情味へ回収する面があります。結核と覚醒剤による早世を破滅型作家の魅力として美化せず、出版環境と家族の負担を見るべきです。

ドメニコ・スカルラッティ

  • 生没年:1685年10月26日~1757年7月23日
  • 国:イタリア・スペイン
  • 肩書き:作曲家

ナポリの作曲家アレッサンドロ・スカルラッティの家に生まれ、ローマやリスボンの宮廷で活動しました。ポルトガル王女マリア・バルバラに仕え、スペイン移住後も彼女のために五百曲を超える鍵盤ソナタを書きました。手の交差、急速な反復、イベリアの舞曲を取り入れた語法は鍵盤音楽の可能性を広げました。一方、作品の年代と意図には不明点が多く、単一楽章形式を古典派ソナタの直系とみなすのは単純です。宮廷文化は王族の富と植民地収入に支えられていました。

ジョルジュ・ダントン

  • 生没年:1759年10月26日~1794年4月5日
  • 国:フランス
  • 肩書き:革命家・政治家

フランス北東部の法律家家庭に生まれ、パリで弁護士となり、コルドリエ地区の民衆政治から革命指導者へ進みました。王政打倒と共和国防衛を訴え、公安委員会創設にも関わった後、恐怖政治の緩和を唱えました。雄弁と行動力はフランス革命の象徴となりました。一方、九月虐殺への責任、金銭をめぐる疑惑、植民地政策への姿勢には議論があります。ロベスピエールの専制に倒れた寛容な英雄という像だけでは、本人が非常措置と戦争動員を推進した事実を隠します。

ヘルムート・フォン・モルトケ

  • 生没年:1800年10月26日~1891年4月24日
  • 国:プロイセン・ドイツ
  • 肩書き:軍人・参謀総長

メクレンブルクの貴族家庭に生まれ、デンマーク軍からプロイセン軍へ移り、参謀教育と地図作成に携わりました。鉄道、電信、分進合撃を用いる動員計画を整え、対デンマーク、オーストリア、フランス戦争の勝利を指揮しました。近代参謀本部と作戦術のモデルは各国軍へ広がりました。一方、効率的な動員は総力戦への道を開き、勝利は多数の兵士・民間人の死とドイツ帝国の軍国主義化を伴いました。「計画は敵との接触後も不変ではない」という知性だけで戦争責任を薄められません。

ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン

  • 生没年:1842年10月26日~1904年4月13日
  • 国:ロシア
  • 肩書き:画家

ロシアの地主家庭に生まれ、海軍教育と美術学校を経て中央アジアやバルカンの戦場を取材しました。頭蓋骨の山を描く『戦争の神髄』などで、英雄的戦争画とは異なる死、荒廃、兵士の日常を示しました。国際巡回展は近代の反戦視覚文化へ強い影響を与えました。一方、中央アジアの人々を異国的・残酷な存在として描く構図には帝国の視線があります。従軍者としてロシア軍の拡張に同行した立場と、戦争批判の緊張を保って評価すべきです。

フェルディナント・ゲオルク・フロベニウス

  • 生没年:1849年10月26日~1917年8月3日
  • 国:ドイツ
  • 肩書き:数学者

ベルリン近郊に生まれ、ベルリン大学で学び、チューリヒとベルリンで研究・教育を行いました。群の表現論、フロベニウス写像、行列理論、微分方程式に基礎的成果を残し、有限群を線形代数で研究する道を開きました。抽象代数学と数論の発展に長期的影響を与えました。一方、定理名は共同体による知識形成を一人の名へ集中させます。後世の整った理論から読むと、当時の問題設定やデデキント、シューアらとの相互作用を見落としやすい点に注意が必要です。

マーティン・ローリー

  • 生没年:1874年10月26日~1936年11月2日
  • 国:イギリス
  • 肩書き:化学者

ヨークシャーに生まれ、ロンドンで化学を学び、大学で物理化学の研究と教育を行いました。1923年、ブレンステッドと独立に、酸をプロトン供与体、塩基を受容体とする定義を提唱しました。水溶液に限られない酸塩基反応の理解を可能にし、化学教育と反応機構論へ定着しました。一方、定義はルイス酸塩基論などと用途が異なり、すべての反応を説明する唯一の理論ではありません。「ブレンステッド=ローリー」という名も、実験技術者や先行研究の貢献を見えにくくします。

フランソワ・ミッテラン

  • 生没年:1916年10月26日~1996年1月8日
  • 国:フランス
  • 肩書き:政治家・大統領

フランス南西部の保守的家庭に生まれ、第二次世界大戦中の捕虜経験とヴィシー政権勤務を経てレジスタンスへ移りました。社会党を再編し、1981年から大統領として死刑廃止、地方分権、欧州統合を進めました。第五共和政で左派が政権を担う道を定着させました。一方、緊縮政策への転換、ルワンダ政権支援、核実験、盗聴事件に重大な批判があります。ヴィシー時代の人脈を長く保った事実も、抵抗の英雄像と並べて検証すべきです。

モハンマド・レザー・パフラヴィー

  • 生没年:1919年10月26日~1980年7月27日
  • 国:イラン
  • 肩書き:国王

テヘランに生まれ、1941年に父の退位を受けて国王となりました。石油収入を用いる「白色革命」で土地改革、教育、女性参政権、工業化を進め、地域大国化を目指しました。急速な社会変容は都市中間層を拡大しました。一方、1953年の政変後は米英の支援を受け、秘密警察による拷問、政党抑圧、格差と腐敗を深めました。近代化を称えるだけでも、革命後の混乱から独裁を懐古するだけでも、国民の多様な経験を捉えられません。

10月26日に起きた歴史的な出来事

  • 1597年10月26日|鳴梁海戦
    朝鮮水軍の李舜臣が鳴梁海峡で日本水軍を破り、慶長の役の補給と制海権へ打撃を与えました。少数艦隊の勝利として称賛されますが、秀吉の侵略戦争が朝鮮の都市・農村と双方の兵士へ甚大な被害を与えた背景が重要です。
  • 1605年10月26日|火薬陰謀事件を告げる書簡
    イングランド貴族モンティーグル卿に議会出席を避けるよう警告する匿名書簡が届き、火薬陰謀事件発覚の端緒となりました。大量殺害を防ぎましたが、事件後の反カトリック法と集団的疑念は宗教少数者への抑圧を強めました。
  • 1774年10月26日|第1回大陸会議閉会
    北米十三植民地の代表が英国の強圧的諸法への共同対応を決め、権利宣言と不輸入を採択して閉会しました。独立革命への政治的連携を築きましたが、奴隷、女性、先住民は代表されず、自由の範囲は限定的でした。
  • 1825年10月26日|エリー運河開通
    五大湖とハドソン川を結ぶエリー運河が全通し、ニューヨークと内陸部の輸送費を大幅に下げました。市場統合と都市成長を促しましたが、先住民の土地収奪、移民労働者の危険な作業、環境改変を伴いました。
  • 1860年10月26日|テアーノの会見
    ガリバルディがサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と会見し、征服地を王へ委ねました。イタリア統一の象徴となりましたが、南部住民の共和的期待は抑えられ、その後の徴兵・課税・弾圧へ不満が広がりました。
  • 1905年10月26日|ノルウェー=スウェーデン同君連合解消を承認
    スウェーデン王オスカル2世がノルウェー王位への権利放棄を認め、両国の連合解消が確定しました。交渉による国家独立の例ですが、住民投票で女性に公的投票権がなく、完全な民主的自己決定ではありませんでした。
  • 1909年10月26日(明治42年10月26日)|伊藤博文暗殺
    ハルビン駅で韓国の独立運動家安重根が伊藤博文を射殺しました。日本による韓国保護国化への抵抗として起き、翌年の併合へ影響しました。英雄・テロリストという国別評価だけでなく、植民地支配の暴力と個人暗殺の倫理を考える必要があります。
  • 1942年10月26日|南太平洋海戦
    ガダルカナル島をめぐり日米空母部隊が交戦し、双方が艦艇と航空機に大きな損害を受けました。日本側は戦術的戦果を得ても熟練搭乗員を大量に失い、長期戦能力を損ないました。海上での多数の死を勝敗表だけに還元できません。
  • 1947年10月26日(昭和22年10月26日)|改正刑法公布
    日本国憲法に合わせた刑法改正が公布され、不敬罪、姦通罪などが廃止されました。法の下の平等と民主化を反映しましたが、性暴力規定や家族観にはなお旧来の限界が残り、被害者の権利保障には後の改正を要しました。
  • 1951年10月26日|中国人民解放軍がラサへ入城
    人民解放軍部隊がチベットのラサへ入り、十七か条協定に基づく統合が軍事的に進みました。中国政府は平和解放と位置付けますが、協定の強制性とチベット側の同意をめぐる争いがあり、後の抵抗と亡命へつながりました。
  • 1955年10月26日|オーストリア永世中立宣言
    占領軍撤退後のオーストリア議会が永世中立を憲法で宣言しました。冷戦下で主権回復と東西間外交を可能にしましたが、中立は道徳的無関与を意味せず、ナチ時代の加害責任を「最初の犠牲者」論で回避する傾向もありました。
  • 1961年10月26日(昭和36年10月26日)|大分交通別大線列車事故
    大分市内の別大線で電車が土砂崩れに乗り上げ脱線し、対向車と衝突して多数の死傷者を出しました。災害時の運行管理と斜面対策の不足を示しました。豪雨という自然要因だけでなく、情報伝達と設備責任の検証が必要です。
  • 1963年10月26日(昭和38年10月26日)|日本初の原子力発電
    日本原子力研究所の動力試験炉JPDRが初発電に成功し、日本の原子力発電時代が始まりました。エネルギー技術の節目でしたが、核燃料、放射性廃棄物、事故リスク、立地地域への負担を伴うことが後に明確になりました。
  • 1977年10月26日|最後の自然感染天然痘患者を確認
    ソマリアで天然痘の最後の自然感染例となる患者が発症し、その後の監視を経て世界根絶が宣言されました。予防接種と国際協力の歴史的成果ですが、強制的接種への不信、現場医療者の危険、研究用ウイルス保管問題は残りました。
  • 1979年10月26日|朴正煕大統領暗殺
    韓国の朴正煕大統領が中央情報部長に射殺され、十八年に及ぶ権威主義支配が終わりました。政治転換の機会は生まれましたが、軍部の再掌握と光州事件へ続きました。経済成長で拷問、言論弾圧、労働抑圧を相殺できません。
  • 2001年10月26日|米国愛国者法成立
    同時多発テロ後、米国で捜査・監視権限を大幅に拡大する愛国者法が成立しました。テロ対策の情報共有を進めましたが、令状・プライバシー・表現の自由を弱め、イスラム系住民や移民への差別的監視を拡大しました。
  • 2015年10月26日|ヒンドゥークシュ地震
    アフガニスタン北東部を震源とする大地震が南アジア広域を襲い、数百人が死亡しました。国境を越える防災協力の必要を示しましたが、山岳地の貧困、紛争、脆弱な建築と道路が救援を妨げ、被害を拡大しました。

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