
10月14日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢41名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】10月14日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、10月14日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1493年 | 島津忠良 | 戦国大名・島津氏の政治指導者 |
| 1690年 | 佐竹義峯 | 久保田藩主 |
| 1701年 | 松平忠愛 | 上田藩主 |
| 1811年 | 大関増儀 | 黒羽藩主 |
| 1821年 | 蜂須賀斉裕 | 徳島藩主 |
| 1854年 | 牧野弼成 | 田辺藩主・子爵 |
| 1855年 | 宮崎道三郎 | 法制史学者・日本法律学校創立者総代 |
| 1867年 | 正岡子規 | 俳人・歌人・随筆家 |
| 1897年 | 十一谷義三郎 | 小説家・翻訳家 |
| 1897年 | 田保橋潔 | 東洋史学者・朝鮮近代史研究者 |
| 1906年 | 高石勝男 | 競泳選手・日本水泳連盟会長 |
| 1921年 | 由良三郎 | ウイルス学者・推理作家 |
| 1921年 | 月丘夢路 | 俳優・社会活動家 |
| 1923年 | 茂山千之丞 | 狂言師・演出家 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】10月14日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1257年 | プシェミスウ2世 | ポーランド王 |
| 1404年 | マリー・ダンジュー | フランス王妃 |
| 1420年 | トマス・デ・トルケマダ | ドミニコ会修道士・異端審問所長官 |
| 1499年 | クロード・ド・フランス | フランス王妃・ブルターニュ女公 |
| 1630年 | ゾフィー・フォン・デア・プファルツ | ハノーファー選帝侯妃 |
| 1633年 | ジェームズ2世 | イングランド・スコットランド王 |
| 1643年 | バハードゥル・シャー1世 | ムガル皇帝 |
| 1687年 | ロバート・シムソン | スコットランドの数学者 |
| 1712年 | ジョージ・グレンヴィル | イギリス首相 |
| 1784年 | フェルナンド7世 | スペイン王 |
| 1801年 | ジョゼフ・プラトー | ベルギーの物理学者 |
| 1826年 | ジョルジュ・マティアス | フランスのピアニスト・作曲家 |
| 1840年 | フリードリッヒ・コールラウシュ | ドイツの物理学者 |
| 1853年 | チプリアン・ポルムベスク | ルーマニアの作曲家 |
| 1864年 | ステファン・ジェロムスキ | ポーランドの小説家 |
| 1871年 | アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー | オーストリアの作曲家・指揮者 |
| 1872年 | マルガレーテ・ズースマン | ドイツの思想家・文芸批評家 |
| 1882年 | エイモン・デ・ヴァレラ | アイルランド首相・大統領 |
| 1888年 | キャサリン・マンスフィールド | ニュージーランド出身の小説家 |
| 1890年 | ドワイト・D・アイゼンハワー | アメリカ大統領・陸軍元帥 |
| 1893年 | 葉問 | 中国武術家・詠春拳指導者 |
| 1894年 | E・E・カミングス | アメリカの詩人・画家 |
| 1898年 | モーリス・マルトノ | フランスの音楽教育者・発明家 |
| 1900年 | W・エドワーズ・デミング | アメリカの統計学者・品質管理思想家 |
| 1906年 | ハサン・アル=バンナー | エジプトの教育者・ムスリム同胞団創設者 |
| 1906年 | ハンナ・アーレント | ドイツ出身の政治思想家 |
| 1907年 | イグナス・ゲルブ | ポーランド出身のアッシリア学者 |
10月14日生まれの代表的な偉人
宮崎道三郎
- 生没年:1855年10月14日(安政2年9月4日)~1928年4月18日(昭和3年4月18日)
- 国:日本
- 肩書き:法制史学者・教育者
伊勢国津の藩士の家に生まれ、東京大学で法学を修めた後、ドイツへ留学してローマ法とゲルマン法を学びました。帝国大学法科大学で日本初期の法制史講座を担い、日本法律学校、現在の日本大学の創立者総代にもなりました。外国法の受容だけでなく、日本の古代・中世法を史料から比較する研究の基盤を整えました。一方、その学問は近代国家が統一的な法体系と国民史を必要とした時代に形成されたものです。帝国大学中心の制度や植民地統治と法学知の関係を含め、近代化の成功だけで評価しない視点が必要です。
正岡子規
- 生没年:1867年10月14日(慶応3年9月17日)~1902年9月19日(明治35年9月19日)
- 国:日本
- 肩書き:俳人・歌人・随筆家
伊予松山に生まれ、新聞『日本』の記者として日清戦争にも従軍した後、結核性脊椎炎と闘いながら創作と批評を続けました。俳句では「写生」を掲げて月並俳諧を批判し、短歌では『歌よみに与ふる書』によって万葉的な直接表現を提唱しました。高浜虚子、河東碧梧桐、伊藤左千夫らを育て、近代俳句・短歌の制度化に決定的な影響を与えました。一方、革新者という物語は江戸俳諧の多様さや同時代の女性作者を見えにくくします。従軍記と国家意識、病床の苦痛を美談へ回収する受容にも注意が必要です。
田保橋潔
- 生没年:1897年10月14日(明治30年10月14日)~1945年2月26日(昭和20年2月26日)
- 国:日本
- 肩書き:東洋史学者
北海道に生まれ、東京帝国大学で東洋史を学び、京城帝国大学教授として近代の日朝・日清関係を研究しました。外交文書を広く用いた『近代日鮮関係の研究』は、条約交渉と列強関係を実証的に組み立てた基礎研究となりました。日本近代外交史と朝鮮近代史を接続した史料批判は、戦後の研究にも長く参照されています。一方、朝鮮総督府の朝鮮史編修会に関わった研究は植民地支配の知的制度の内部で行われました。精密な実証性と、朝鮮人の主体や抵抗を帝国の外交史へ従属させる枠組みを分けて検討する必要があります。
ジョゼフ・プラトー
- 生没年:1801年10月14日~1883年9月15日
- 国:ベルギー
- 肩書き:物理学者
ブリュッセルに生まれ、視覚の残像と回転図形の知覚を実験的に研究しました。1830年代に円盤上の連続画像を回転させるフェナキスティスコープを考案し、運動する映像を人工的に見せる原理を普及させました。その研究は生理光学から映画前史、アニメーション史へ連なる重要な節目となりました。一方、映画を一人の発明者へ還元する説明は、ファラデー、シュタンプファー、玩具職人らの並行した貢献を隠します。失明を太陽凝視実験だけの結果とする通説にも医学史上の留保があり、英雄的自己犠牲の物語として扱うべきではありません。
ステファン・ジェロムスキ
- 生没年:1864年10月14日~1925年11月20日
- 国:ポーランド
- 肩書き:小説家・劇作家
ロシア分割支配下のポーランドで没落地主の家に生まれ、図書館員や家庭教師をしながら社会の矛盾を描きました。『無産者たち』『灰』などで貧困、民族独立、知識人の責任を結び付け、若い共和国の良心と呼ばれました。写実と象徴を交差させた文体はポーランド近代文学に大きな影響を残しました。一方、民族再生を男性知識人の自己犠牲へ集中させる構図や、女性人物の扱いには当時の限界があります。愛国文学としてのみ読むと、階級支配と軍事的ナショナリズムへの本人の批判が薄まります。
エイモン・デ・ヴァレラ
- 生没年:1882年10月14日~1975年8月29日
- 国:アイルランド
- 肩書き:政治家・首相・大統領
ニューヨークに生まれアイルランドで育ち、数学教師から独立運動へ入り、1916年のイースター蜂起に参加しました。シン・フェイン党とフィアナ・フォイルを率い、首相として1937年憲法の制定と英連邦からの自立を進め、後に大統領を務めました。第二次世界大戦で中立を維持した政策は主権確立の象徴となりました。一方、英愛条約への反対は内戦と深い分断を招きました。憲法がカトリック的家族像を強めたことで女性や宗教的少数者の自由を狭め、ヒトラー死去時の弔意表明も厳しく批判されています。
キャサリン・マンスフィールド
- 生没年:1888年10月14日~1923年1月9日
- 国:ニュージーランド・イギリス
- 肩書き:小説家
ウェリントンの裕福な植民者家庭に生まれ、ロンドンへ移って雑誌文化とモダニズム文学の中心で活動しました。『園遊会』『幸福』などの短編で、視点の揺れ、沈黙、日常の階級差を繊細な構成に変えました。短編小説の形式を刷新し、ヴァージニア・ウルフら同時代作家にも刺激を与えました。一方、マオリ社会を含む植民地ニュージーランドの描写には入植者階級の距離があります。結核による早世と私生活を悲劇的天才像へ閉じ込めず、編集者や夫による死後の刊行が作品像を作った点も考慮すべきです。
ドワイト・D・アイゼンハワー
- 生没年:1890年10月14日~1969年3月28日
- 国:アメリカ
- 肩書き:軍人・第34代大統領
テキサス州に生まれ、陸軍士官学校を経て第二次世界大戦中の連合国遠征軍最高司令官となりました。ノルマンディー上陸作戦を含む西部戦線を統合し、戦後はNATO軍司令官を経て二期の大統領を務めました。州間高速道路整備、朝鮮戦争休戦、冷戦期の同盟管理に長期的な影響を残しました。一方、核抑止とCIAによるイラン・グアテマラ政権転覆は民主主義と人命へ重大な損害を与えました。公民権で連邦権力を行使した一方、制度的人種差別への対応は慎重すぎたとの批判があります。
E・E・カミングス
- 生没年:1894年10月14日~1962年9月3日
- 国:アメリカ
- 肩書き:詩人・画家
マサチューセッツ州に生まれ、第一次世界大戦中に救急隊員として渡仏し、拘禁体験も作品へ取り込みました。小文字、句読法、行配置、造語を大胆に操作し、愛、自然、反権威を視覚的な詩へ変えました。印刷面そのものを意味生成の場とする作法は、英語詩と視覚詩へ広い影響を与えました。一方、実験的な体裁だけを革新とみなすと伝統的韻律への深い依存を見落とします。一部作品の人種的・反ユダヤ的表現や、個人主義が社会的不平等への分析を欠く点も批判的に読む必要があります。
モーリス・マルトノ
- 生没年:1898年10月14日~1980年10月8日
- 国:フランス
- 肩書き:音楽教育者・電子楽器発明家
パリに生まれ、第一次世界大戦中の無線通信の音から着想を得て電子楽器の開発に取り組みました。1928年にオンド・マルトノを公開し、鍵盤とリボンによる連続音程、独特の拡声器で電気音に繊細な表情を与えました。メシアン、オネゲル、ジョリヴェらの作品を通じて電子音楽と管弦楽の接点を広げました。一方、発明者中心の物語は演奏法を開拓した妹ジネットや製作者の労働を隠しがちです。楽器の普及が限定されたこと、電子音楽史を単線的な技術進歩として語れないことにも注意が必要です。
W・エドワーズ・デミング
- 生没年:1900年10月14日~1993年12月20日
- 国:アメリカ
- 肩書き:統計学者・品質管理思想家
アイオワ州に生まれ、物理学と数理統計を学び、国勢調査局で標本調査と工程管理を実践しました。戦後日本で統計的品質管理を講義し、ばらつきの理解、継続的改善、経営者の責任を結び付けました。デミング賞と品質管理運動を通じ、製造業だけでなくサービスや行政の運営にも影響しました。一方、日本の産業復興を一人の米国人教師の功績とする語りは、日本側研究者・労働者・企業の蓄積を過小評価します。品質向上の手法も、過労や監視を強める管理へ転用されれば人間尊重という理念に反します。
ハサン・アル=バンナー
- 生没年:1906年10月14日~1949年2月12日
- 国:エジプト
- 肩書き:教育者・イスラム運動指導者
イギリスの影響下にあったエジプトで教師となり、1928年にムスリム同胞団を創設しました。宗教教育、慈善、労働者組織、反植民地主義を結び付け、イスラムを社会と政治の包括的原理として提示しました。その組織モデルは中東各地のイスラム運動に長期的な影響を与えました。一方、同胞団は大衆福祉を担う一方で秘密組織と政治暴力を抱え、少数者・女性・世俗政治への立場にも大きな論争があります。1949年の暗殺を殉教物語だけで捉えず、王政、国家弾圧、組織内部の責任を併せて検討すべきです。
ハンナ・アーレント
- 生没年:1906年10月14日~1975年12月4日
- 国:ドイツ・アメリカ
- 肩書き:政治思想家
ドイツのユダヤ人家庭に生まれ、ナチ政権から亡命してフランスを経てアメリカへ渡りました。『全体主義の起源』『人間の条件』で、無権利状態、公共的行為、全体主義支配の構造を分析しました。アイヒマン裁判報告の「悪の凡庸さ」は、思考停止と官僚制の責任をめぐる議論を現在まで喚起しています。一方、その裁判報告はユダヤ人評議会への記述やアイヒマン像の単純化をめぐり強い批判を受けました。人種と植民地主義の扱いにも限界があり、鋭い概念を歴史資料の代わりにしてはなりません。
10月14日に起きた歴史的な出来事
- 1066年10月14日|ヘイスティングズの戦い
ノルマンディー公ギヨームの軍がイングランド王ハロルド2世を破り、ノルマン征服の帰趨を決めました。王権、土地保有、英語文化を大きく変えましたが、征服後の接収、反乱鎮圧、住民への暴力を王朝交代の成功物語へ埋没させてはなりません。 - 1758年10月14日|ホッホキルヒの戦い
七年戦争でオーストリア軍が夜明け前にプロイセン軍を急襲し、大きな損害を与えました。フリードリヒ2世の不敗神話を揺さぶりましたが、勝利は戦争全体を決しきれず、村落の破壊と兵士・住民の犠牲を伴いました。 - 1806年10月14日|イエナ・アウエルシュタットの戦い
ナポレオン軍が二つの戦場でプロイセン軍を破り、ベルリン占領とプロイセン国家改革の契機を作りました。軍制革新の典型とされる一方、徴兵、略奪、占領負担を市民へ押し付け、フランス支配への民族主義的反発も強めました。 - 1854年10月14日(嘉永7年8月23日)|日英和親条約調印
江戸幕府とイギリスが長崎・箱館の開港、遭難船救助などを定めた条約に調印しました。欧米諸国との条約網が広がる一歩でしたが、軍事力を背景にした交渉で関税や司法主権の問題を後の不平等条約体制へつなげました。 - 1863年10月14日(文久3年9月2日)|井土ヶ谷事件
横浜近郊でフランス軍士官カミュが浪士に殺害され、幕末の攘夷暴力が外交問題になりました。幕府は犯人捜索と賠償を迫られ、開港場警備の弱さが露呈しました。外国人殺傷だけでなく、報復要求が地域社会へ与えた圧力も見る必要があります。 - 1872年10月14日(明治5年9月12日)|日本初の鉄道が正式開業
新橋と横浜を結ぶ鉄道の開業式が行われ、日本の近代交通政策を象徴する路線が営業を始めました。人と物の移動、時刻制度、都市形成を変えましたが、用地取得、外国借款、沿線の負担を含む国家主導開発でもありました。 - 1892年10月14日|『シャーロック・ホームズの冒険』刊行
コナン・ドイルのホームズ短編をまとめた最初の単行本がロンドンで刊行されました。観察と推理を軸に探偵小説の世界的な型を広めましたが、帝国都市ロンドンの秩序観や、外国人・女性・階級を類型化する表現も批判的に読む必要があります。 - 1905年10月14日(明治38年10月14日)|日本山岳会の前身が結成
小島烏水らが山岳会を結成し、登山記録、測量、会報による近代登山文化を育てました。山を信仰や生業の場からスポーツと科学の対象にも変えましたが、案内人や地域住民の知識が都市知識人の探検功績へ吸収された面があります。 - 1914年10月14日|日本軍がドイツ領南洋諸島の占領を完了
第一次世界大戦への参戦後、日本海軍が赤道以北のドイツ領諸島を占領しました。後の南洋群島委任統治と太平洋進出の基盤となりましたが、島民の政治参加を欠く植民地支配であり、軍事化と資源動員を進めました。 - 1926年10月14日|『クマのプーさん』刊行
A・A・ミルンの物語集がイギリスで刊行され、E・H・シェパードの挿絵とともに児童文学の古典となりました。親子の遊びを普遍的世界へ変えましたが、実在の息子クリストファー・ロビンは名声による負担を受け、商品化も作品像を左右しました。 - 1933年10月14日|ドイツが国際連盟脱退を表明
ナチ政権はジュネーブ軍縮会議から退席し、国際連盟からの脱退方針を発表しました。ヴェルサイユ体制を拒む再軍備への転換点でした。国民投票による追認は独裁下の宣伝であり、後の侵略と迫害を可能にした国際協調の崩壊でした。 - 1943年10月14日|ソビボル絶滅収容所の蜂起
ナチ占領下ポーランドのソビボルで囚人が親衛隊員らを襲い、数百人が脱走を試みました。絶滅施設における主体的抵抗を示しましたが、多くは地雷、銃撃、追跡で殺され、生存者も反ユダヤ主義と戦後の沈黙に苦しみました。 - 1947年10月14日|有人機が水平飛行で音速突破
チャック・イェーガー操縦のベルX-1がマッハ1を超え、航空技術の壁とされた圧縮性問題を実証的に越えました。高速航空と宇宙開発へ道を開きましたが、軍事研究、危険な試験飛行、技術者集団の貢献を英雄一人へ還元できません。 - 1953年10月14日|キビヤ村虐殺
アリエル・シャロン指揮下のイスラエル軍部隊がヨルダン支配下のキビヤを襲撃し、家屋を爆破して多数の住民を殺害しました。越境攻撃への報復と説明されましたが、民間人への集団的懲罰であり、地域の暴力循環と難民問題を深めました。 - 1964年10月14日|キング牧師のノーベル平和賞決定
アメリカ公民権運動を率いたマーティン・ルーサー・キング・ジュニアへの授賞が発表されました。非暴力運動への国際的支持を強めましたが、個人英雄化は草の根の女性活動家や急進派を隠し、人種差別と貧困、警察暴力は受賞後も続きました。 - 2017年10月14日|モガディシュ爆発事件
ソマリアの首都で爆薬を積んだトラックが爆発し、五百人を超える死者を出す同国最悪級のテロとなりました。長期内戦と脆弱な治安体制が背景です。犯行の政治的文脈だけでなく、医療不足、身元確認の困難、遺族の長期的被害が深刻でした。