
9月7日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢35名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】9月7日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、グレゴリオ暦に換算した日付に基づいて掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 923年 | 朱雀天皇 | 第61代天皇 |
| 1291年 | 洞院公賢 | 公卿・有職故実学者 |
| 1641年 | 徳川家綱 | 江戸幕府第4代将軍 |
| 1641年 | 榊原政房 | 姫路藩第2代藩主 |
| 1702年 | 毛利元尭 | 徳山藩第4代藩主 |
| 1713年 | 亀井茲満 | 津和野藩第4代藩主 |
| 1721年 | 徳川宗尹 | 一橋徳川家初代当主 |
| 1815年 | 入江長八 | 左官・工芸家 |
| 1834年 | 水野忠良 | 沼津藩第5代藩主 |
| 1840年 | 津軽承昭 | 弘前藩第12代藩主 |
| 1877年 | 野々村戒三 | 歴史学者・能楽研究者 |
| 1888年 | 佐久間鼎 | 心理学者・言語学者 |
| 1899年 | 渡辺政之輔 | 労働運動家 |
| 1900年 | 杉村章三郎 | 行政法学者 |
| 1903年 | 島木健作 | 小説家 |
| 1908年 | 吉村順三 | 建築家 |
| 1915年 | 伊藤清 | 数学者 |
【海外】9月7日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1533年 | エリザベス1世 | イングランド女王 |
| 1707年 | ビュフォン | 博物学者・作家 |
| 1726年 | フランソワ=アンドレ・フィリドール | 作曲家・チェス棋士 |
| 1740年 | ヨハン・トビアス・セルゲル | 彫刻家 |
| 1795年 | ジョン・ポリドリ | 医師・作家 |
| 1807年 | ヘンリー・シーウェル | 初代ニュージーランド首相 |
| 1810年 | ヘルマン・ゴッセン | 経済学者 |
| 1829年 | アウグスト・ケクレ | 化学者 |
| 1836年 | ヘンリー・キャンベル=バナマン | イギリス首相 |
| 1860年 | グランマ・モーゼス | 画家 |
| 1867年 | J・P・モーガン・ジュニア | 銀行家 |
| 1870年 | アレクサンドル・クプリーン | 作家 |
| 1887年 | イーディス・シットウェル | 詩人・批評家 |
| 1909年 | エリア・カザン | 映画監督・演出家 |
| 1911年 | トドル・ジフコフ | ブルガリア国家評議会議長 |
| 1912年 | デビッド・パッカード | 技術者・実業家 |
| 1917年 | ジェイコブ・ローレンス | 画家 |
| 1927年 | エリック・ヒル | 絵本作家 |
9月7日生まれの代表的な偉人
朱雀天皇
- 生没年:923年9月7日(延長元年7月24日)~952年9月6日(天暦6年8月15日)
- 国:日本
- 肩書き:第61代天皇
8歳で即位し、伯父の藤原忠平が摂政・関白として政務を担う摂関政治の下で在位しました。在位中には平将門の乱と藤原純友の乱が相次ぎ、朝廷は地方の武士を動員して鎮圧しました。これら承平・天慶の乱は、地方軍事力の成長と王権の統治方法が変わる転機となりました。一方、政治実績を幼い天皇個人へ帰すことはできず、史料も摂関家中心です。反乱鎮圧を国家秩序の回復としてのみ語ると、地方の負担や権力紛争の背景を見落とします。
エリザベス1世
- 生没年:1533年9月7日~1603年3月24日
- 国:イングランド
- 肩書き:イングランド女王
宗教改革後の対立を中道的な国教会体制へまとめ、44年余の治世で王権と議会、諸派の均衡を保ちました。スペイン無敵艦隊を退けた時代には海上交易と演劇文化が栄え、シェイクスピアらの活動する「エリザベス朝」を形づくりました。結婚を外交資源として利用し、自らを国家の象徴へ演出した女性君主でもあります。一方、カトリック弾圧、アイルランドでの征服と虐殺、私掠船と奴隷貿易への王室関与がありました。「黄金時代」という像は、戦争、貧困、植民地膨張の費用を覆い隠します。
徳川家綱
- 生没年:1641年9月7日(寛永18年8月3日)~1680年6月4日(延宝8年5月8日)
- 国:日本
- 肩書き:江戸幕府第4代将軍
10歳で将軍となり、保科正之や大老酒井忠清らの補佐を受けて約29年間幕府を統治しました。末期養子の禁を緩和して大名家の断絶を減らし、殉死を禁止し、武力中心の統治から法と儀礼を重んじる文治政治への移行を進めました。明暦の大火後には江戸の再建と防火空間の整備が行われました。一方、本人の病弱さから政治は重臣へ集中し、「左様せい様」と呼ばれる受動的な像も作られました。再建と幕藩秩序の安定は、農民への年貢と身分統制に支えられていました。
ビュフォン
- 生没年:1707年9月7日~1788年4月16日
- 国:フランス
- 肩書き:博物学者・数学者
王立植物園の管理者として標本、観察、地理情報を集め、全36巻の『博物誌』で地球、動物、人間を一つの自然史として記述しました。地球の年齢を聖書年代よりはるかに長く見積もり、生物が環境によって変化する可能性を論じ、進化思想と地質学の前史を作りました。専門家以外にも読まれる文章で自然研究を公共文化へ広げました。一方、人間集団を気候による「退化」の序列で説明し、ヨーロッパを基準とする人種論を支えました。百科全書的知識は植民地から集めた標本と報告にも依存しています。
ジョン・ポリドリ
- 生没年:1795年9月7日~1821年8月24日
- 国:イギリス
- 肩書き:医師・作家
バイロンの侍医として1816年のジュネーヴ湖畔に同行し、怪奇物語を競作した集まりから短編『吸血鬼』を生みました。民間伝承の怪物を、上流社会に入り込む魅力的で冷酷な貴族へ変え、現代的な吸血鬼文学の原型を作りました。この人物像はストーカーや後世の映画・大衆文化へ継承されました。一方、作品は当初バイロン作と誤記され、若い医師の創作は著名人の影に隠れました。短い生涯を「呪われたロマン派」の逸話に還元すると、職業的不安、出版市場、精神的苦痛の現実を美化してしまいます。
アウグスト・ケクレ
- 生没年:1829年9月7日~1896年7月13日
- 国:ドイツ
- 肩書き:化学者
炭素が四つの結合を作り、炭素原子同士が鎖を形成するという構造理論を発展させ、有機化学の表記と推論を一変させました。ベンゼンを六員環として表す構造式は芳香族化合物の反応を整理し、染料、医薬、材料化学の発展に基盤を与えました。学生を研究室で訓練する教育を通じ、構造化学の国際的学派を作りました。一方、蛇が尾をかむ夢から環構造を着想したという有名な回想は後年の自己物語で、発見は同時代の複数研究者との競争と共有知識に基づきます。化学工業の成長は汚染と軍需にもつながりました。
グランマ・モーゼス
- 生没年:1860年9月7日~1961年12月13日
- 国:アメリカ
- 肩書き:画家
農場労働と家事を長く続け、70代後半から本格的に絵を描き始め、季節の農村生活を明るい俯瞰構図で表しました。正規の美術教育を受けない画家として紹介され、展覧会と複製品を通じて20世紀アメリカのフォークアートを広く知らしめました。高齢からの創作は年齢と創造性をめぐる固定観念を崩しました。一方、「素朴なおばあさん」という宣伝は、農業経営、刺繍、家族労働で培った技能と判断を過小評価します。郷愁的な雪景色は農村の貧困、人種関係、女性の無償労働を画面外に置く面もあります。
エリア・カザン
- 生没年:1909年9月7日~2003年9月28日
- 国:オスマン帝国生まれ・アメリカ
- 肩書き:映画監督・演出家
グループ・シアターとアクターズ・スタジオで、俳優の内面経験を重視する演技法を広め、マーロン・ブランドらを育てました。『欲望という名の電車』『波止場』『エデンの東』で家族、階級、移民、権力への反抗を生々しい演技から描き、舞台と映画の表現を変えました。一方、1952年に下院非米活動委員会で元共産党員の仲間の名を証言し、ブラックリストへ加担しました。『波止場』を密告の自己正当化と読む議論もあり、作品の革新性と同僚へ与えた損害は切り離せません。
伊藤清
- 生没年:1915年9月7日(大正4年9月7日)~2008年11月10日(平成20年11月10日)
- 国:日本
- 肩書き:数学者
不規則に揺らぐ現象を扱う確率過程に対し、現在「伊藤解析」と呼ばれる微積分の体系を築きました。伊藤の補題と確率微分方程式は、物理現象、生物集団、制御理論、金融商品の価格モデルを共通の数学で記述する道具となりました。戦時期の統計局勤務中から独創的研究を進め、国際的な確率論の基盤を変えました。一方、金融工学での利用は市場リスクを管理する一方、複雑なモデルへの過信と投機を支えました。数学的定理の正しさと社会での利用結果は区別し、共同研究者と翻訳者の役割も見る必要があります。
9月7日に起きた歴史的な出来事
- 1191年9月7日|アルスフの戦い
第3回十字軍でリチャード1世の軍がサラーフッディーン軍を退け、ヤッファへの進路を確保しました。軍事的規律の成功として語られますが、聖地をめぐる戦争は宗教の名で征服と虐殺を繰り返し、地域住民に長い負担を課しました。 - 1303年9月7日|アナーニ事件
フランス王フィリップ4世の側近らが教皇ボニファティウス8世をアナーニで拘束し、教皇権と王権の対立が頂点に達しました。教皇の権威低下とアヴィニョン捕囚へつながりましたが、宗教制度と国家権力双方の財政・司法支配をめぐる争いでした。 - 1651年9月7日(慶安4年7月23日)|慶安の変発覚
由井正雪ら浪人が幕府転覆を計画したとして摘発され、正雪は自害し関係者が処刑されました。幕府が浪人増加の危険を認識して政策を調整する契機となりましたが、密告と連座による処罰は社会不安をさらに広げました。 - 1776年9月7日|潜水艇タートルの攻撃
アメリカ独立戦争で一人乗り潜水艇タートルが英艦イーグルへ爆薬を取り付けようとし、攻撃には失敗しました。潜水艦による初の実戦攻撃とされ技術史上重要ですが、水中技術が早くから秘密攻撃と軍拡へ向けられた例でもあります。 - 1798年9月7日(寛政10年7月27日)|近藤重蔵が択捉島に標柱を建立
幕府の調査隊が択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を立て、ロシアの南下を意識して領有を示しました。北方調査の節目ですが、アイヌの生活圏と交易を和人国家が一方的に領土化し、場所請負制の支配を強める過程でした。 - 1812年9月7日|ボロジノの戦い
ナポレオンのロシア遠征で両軍がモスクワ西方で激突し、一日で数万人が死傷しました。フランス軍は前進したもののロシア軍を壊滅させられず、補給不足と冬季撤退による遠征失敗へ向かいました。 - 1822年9月7日|ブラジル独立宣言
ポルトガル王子ペドロがサンパウロ近郊で独立を宣言し、のちにブラジル皇帝となりました。植民地から主権国家への移行でしたが、王政、大土地所有、奴隷制は維持され、先住民やアフリカ系住民の自由には直結しませんでした。 - 1901年9月7日|北京議定書調印
義和団事件後、清朝が日本を含む列強11か国と議定書を結び、巨額賠償、北京駐兵、砲台破壊を受け入れました。戦闘を終結させましたが、国家財政と民衆へ長期負担を課し、列強の半植民地的支配を強めました。 - 1923年9月7日|国際刑事警察委員会設立
ウィーンの国際警察会議で国境を越える犯罪情報を交換する組織が設けられ、後の国際刑事警察機構へつながりました。捜査協力を進めましたが、政治警察や権威主義国家による情報悪用を防ぐ中立性と人権保障が常に課題となります。 - 1940年9月7日|ロンドン大空襲始まる
ドイツ空軍がロンドンへの大規模な連続爆撃を開始し、住宅地、港湾、鉄道が破壊され多数の民間人が死亡しました。英国の抵抗を崩せませんでしたが、都市住民を直接標的とする総力戦が日常生活へ持ち込まれました。 - 1953年9月7日|フルシチョフがソ連共産党第一書記に
スターリン死後の権力闘争のなか、フルシチョフが党第一書記に選ばれました。後にスターリン批判と雪解けを進めましたが、ハンガリー動乱の武力鎮圧、核軍拡、党独裁を維持し、自由化には明確な限界がありました。 - 1977年9月7日|新パナマ運河条約調印
カーター米大統領とトリホス将軍が、1999年末までに運河の管理権をパナマへ移す条約へ署名しました。植民地的な運河地帯支配の是正でしたが、米軍介入の歴史とパナマ国内の権威主義、運河利益の分配問題は残りました。 - 1978年9月7日|ゲオルギー・マルコフ暗殺事件
ブルガリア共産政権を批判した亡命作家マルコフがロンドンで毒物を仕込んだ小球を打ち込まれ、数日後に死亡しました。傘による暗殺として知られ、冷戦下の秘密警察が国外の言論まで暴力で封じた象徴です。 - 1986年9月7日|デズモンド・ツツがケープタウン大主教に就任
反アパルトヘイト運動を率いたツツが、南アフリカ聖公会で初の黒人大主教となりました。非暴力と経済制裁を訴える道徳的基盤を強めましたが、宗教指導者の象徴性だけで国家暴力と経済的不平等を解消できるわけではありませんでした。