
8月12日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢42名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】8月12日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、グレゴリオ暦に換算した日付に基づいて掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1604年 | 徳川家光 | 江戸幕府第3代将軍 |
| 1712年 | 建部清庵 | 蘭方医 |
| 1717年 | 毛利宗広 | 長州藩第6代藩主 |
| 1746年 | 大久保忠喜 | 烏山藩第4代藩主 |
| 1793年 | 小笠原長貴 | 越前勝山藩第7代藩主 |
| 1850年 | 山本芳翠 | 洋画家 |
| 1893年 | 一万田尚登 | 銀行家・政治家 |
| 1896年 | 海野厚 | 童謡作家・俳人 |
| 1899年 | 柴田等 | 農林官僚 |
| 1907年 | 淡谷のり子 | 歌手 |
| 1907年 | 山内壮夫 | 彫刻家 |
| 1909年 | 広瀬秀雄 | 天文学者 |
| 1917年 | 島田虔次 | 東洋史学者 |
| 1920年 | 梅田晴夫 | 劇作家・随筆家 |
| 1924年 | 白髪一雄 | 抽象画家 |
| 1925年 | 鈴木貞敏 | 警察官僚・政治家 |
| 1926年 | 岡部三郎 | 農水官僚・政治家 |
| 1929年 | 湯浅譲二 | 作曲家 |
| 1930年 | 喜多川千鶴 | 俳優 |
| 1935年 | 七代目春風亭柳橋 | 落語家 |
| 1940年 | 伊藤アキラ | 作詞家 |
| 1946年 | 遠山美枝子 | 新左翼活動家・山岳ベース事件被害者 |
【海外】8月12日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1503年 | クリスチャン3世 | デンマーク・ノルウェー国王 |
| 1762年 | ジョージ4世 | イギリス国王 |
| 1774年 | ロバート・サウジー | 詩人・桂冠詩人 |
| 1799年 | チャールズ・ランドシーア | 画家 |
| 1805年 | ヨハン・ロードベルトゥス | 経済学者 |
| 1831年 | ヘレナ・ブラヴァツキー | 神秘思想家・神智学協会共同創設者 |
| 1866年 | ハシント・ベナベンテ | 劇作家 |
| 1880年 | クリスティ・マシューソン | 野球選手 |
| 1881年 | セシル・B・デミル | 映画監督 |
| 1887年 | エルヴィン・シュレーディンガー | 理論物理学者 |
| 1897年 | オットー・シュトルーベ | 天文学者 |
| 1910年 | ユソフ・ビン・イサーク | シンガポール初代大統領 |
| 1910年 | ジェーン・ワイアット | 俳優 |
| 1911年 | サミュエル・フラー | 映画監督 |
| 1911年 | カンティンフラス | 俳優・コメディアン |
| 1920年 | パーシー・メイフィールド | R&B歌手・作曲家 |
| 1924年 | ムハンマド・ジア=ウル=ハク | パキスタン大統領 |
| 1932年 | シリキット | タイ王妃 |
| 1935年 | ジョン・カザール | 俳優 |
| 1937年 | ジーン・バッキー | 野球選手 |
8月12日生まれの代表的な偉人
徳川家光
- 生没年:1604年8月12日(慶長9年7月17日)~1651年6月8日(慶安4年4月20日)
- 国:日本
- 肩書き:江戸幕府第3代将軍
父秀忠から将軍職を継ぎ、参勤交代の制度化、武家諸法度の改定、老中を中心とする幕政機構の整備を進め、徳川政権を将軍個人の家政から全国統治の制度へ固めました。大名統制とともに長崎貿易を管理し、ポルトガル船の来航禁止やキリスト教禁制を徹底して、後世にいう「鎖国」体制の骨格を作ります。一方、島原・天草一揆の鎮圧では多数の死者を出し、宗教弾圧と身分秩序の強化によって安定を実現しました。長期平和の基礎を築いた統治者であると同時に、その秩序が移動、信仰、異議申し立てを厳しく制限したことまで含めて評価する必要があります。
ロバート・サウジー
- 生没年:1774年8月12日~1843年3月21日
- 国:イギリス
- 肩書き:詩人・著述家
コールリッジらと若い時期に急進的な共同体構想を抱き、のちに桂冠詩人として王政と国教会を擁護する保守派へ転じました。詩だけでなく伝記、歴史、評論を大量に執筆し、ネルソン提督やブラジル史を英語圏の読者へ広めました。童話『三びきのくま』の原型を活字化した人物としても知られます。政治的転向は同時代のバイロンらに激しく批判され、植民地世界を英国側の資料と価値観から叙述した限界もあるため、勤勉な文人像と帝国知識人としての立場を切り分けて読むべきです。
ヘレナ・ブラヴァツキー
- 生没年:1831年8月12日~1891年5月8日
- 国:ロシア帝国・アメリカ
- 肩書き:神秘思想家・神智学協会共同創設者
東西の宗教、古代思想、心霊主義を組み合わせ、1875年に神智学協会を共同創設して、物質科学だけでは捉えられない普遍的知恵の探究を掲げました。『ヴェールを脱いだイシス』『秘密教義』は欧米のオカルティズム、宗教比較、近代美術やインドの宗教復興へ広い影響を与えます。一方、超自然的現象の演出やチベットの師からの書簡には詐欺・捏造の疑いが繰り返し向けられました。人類の段階的進化を説く体系には人種的序列や文化の恣意的な借用も含まれ、異文化への関心を開いた功績と、植民地主義的な想像が生んだ歪みを同時に見る必要があります。
ハシント・ベナベンテ
- 生没年:1866年8月12日~1954年7月14日
- 国:スペイン
- 肩書き:劇作家
大げさな筋立てが支配していたスペイン演劇に、日常会話の機知と社会観察を持ち込み、上流階級、地方社会、家族関係の偽善を風刺しました。『作られた利害』では仮面劇の形式を用いて、金銭と評判によって人間関係が組み立てられる仕組みを描き、1922年にノーベル文学賞を受賞します。多数の作品と劇場実務によって近代スペイン演劇を国際化しましたが、内戦後にフランコ体制へ順応した姿勢は批判されています。洗練された風刺が既存秩序を根底から揺さぶるより、観客が安心して笑える範囲に収まったという限界もあります。
セシル・B・デミル
- 生没年:1881年8月12日~1959年1月21日
- 国:アメリカ
- 肩書き:映画監督・プロデューサー
ハリウッド初期から長編映画を作り、『十戒』『クレオパトラ』『地上最大のショウ』など、巨大なセット、群衆場面、宣伝を結びつけたスペクタクル映画を確立しました。宗教、歴史、性的誘惑を豪華な見せ場へ変換する手法は、映画産業が世界規模の娯楽となる過程を象徴します。制作管理と興行感覚に優れ、監督を大衆が認識するブランドへした人物でもあります。一方、歴史改変、聖書物語の道徳的単純化、人種・植民地表象の固定観念が多く、壮大さが支配者側の歴史観を自然なものに見せる危険も残しました。
エルヴィン・シュレーディンガー
- 生没年:1887年8月12日~1961年1月4日
- 国:オーストリア
- 肩書き:理論物理学者
物質粒子の状態を波動関数で表すシュレーディンガー方程式を提示し、量子力学を計算可能な理論として発展させました。波動力学と行列力学が等価であることを示し、1933年にノーベル物理学賞を受賞します。著書『生命とは何か』は遺伝情報を物理学的に考える契機となり、分子生物学者にも影響を与えました。有名な「シュレーディンガーの猫」は量子論を日常物体へ単純適用する奇妙さを示す批判的思考実験であり、万能な説明として消費されがちな点と、本人の哲学的主張が実験事実と区別されるべき点に注意が必要です。
オットー・シュトルーベ
- 生没年:1897年8月12日~1963年4月6日
- 国:ロシア帝国・アメリカ
- 肩書き:天文学者
ロシア革命と内戦を経て米国へ移住し、恒星のスペクトルから温度、化学組成、自転、星間物質を読み解く観測天文学を大きく前進させました。ヤーキス天文台、マクドナルド天文台の運営に携わり、大型望遠鏡と組織的観測を結びつけ、米国天文学の研究基盤を拡大します。地球外生命探査についても、惑星が例外ではない可能性を早くから論じました。一方、大施設中心の研究は資金と観測時間を一部機関へ集中させ、個人観測者や周縁の研究者を排除しうるため、科学的功績と制度形成の権力を併せて見る必要があります。
淡谷のり子
- 生没年:1907年8月12日(明治40年8月12日)~1999年9月22日(平成11年9月22日)
- 国:日本
- 肩書き:歌手
クラシック声楽を学んだ発声と低い声を生かし、『別れのブルース』『雨のブルース』などで都市の孤独と大人の感情を歌い、日本のブルース歌謡を代表する存在となりました。洋装と自己演出を貫き、女性歌手が自らの芸術観を公に語る先例を作ります。戦時中は軍の慰問に赴きながら、もんぺ姿や軍歌の歌唱を拒んだという証言で知られますが、後年の回想には自己神話化が含まれる可能性もあります。戦後のテレビでは辛口審査員として親しまれた一方、その厳格な歌唱観が別の大衆表現を狭く評価した面もありました。
白髪一雄
- 生没年:1924年8月12日(大正13年8月12日)~2008年4月8日(平成20年4月8日)
- 国:日本
- 肩書き:抽象画家
具体美術協会に参加し、天井から吊ったロープにつかまり、床に広げた絵具を素足で押し広げる「フット・ペインティング」を創始しました。絵画を手先の構図から全身の運動、重力、物質との衝突へ変え、戦後日本の前衛美術を国際的なアクション絵画史へ位置づけます。制作行為は写真や映像を通じて作品と同じほど重要になり、絵画とパフォーマンスの境界を揺さぶりました。一方、激しい身体性が英雄的な男性作家像として商品化され、具体の共同実践や助手の労働が個人の天才物語に隠れやすい点は批判的に見る必要があります。
ムハンマド・ジア=ウル=ハク
- 生没年:1924年8月12日~1988年8月17日
- 国:パキスタン
- 肩書き:軍人・大統領
陸軍参謀長から1977年のクーデターでブットー政権を倒し、戒厳令下で大統領となりました。ソ連のアフガニスタン侵攻後は米国、サウジアラビアと協力し、ムジャヒディンへの武器と資金の供給拠点を築いて冷戦の前線国家を形成します。国内ではイスラム化を掲げ、刑法や家族法を変更しましたが、女性と宗教少数派への差別、政党活動・報道の抑圧、ブットー処刑によって権威主義を深めました。短期的な軍事同盟が武装勢力と情報機関の力を膨張させ、後世の地域紛争へ重い遺産を残した統治者です。
8月12日に起きた歴史的な出来事
- 1099年8月12日|アスカロンの戦い
第1回十字軍の軍勢がエジプトのファーティマ朝軍を破り、エルサレム攻略後の支配を固めました。十字軍国家の成立を助けた一方、宗教的正当化のもとで征服と住民追放が続く時代の出発点となりました。 - 1202年8月12日(建仁2年7月23日)|源頼家が征夷大将軍に就任
源頼家が父頼朝の後継として征夷大将軍に任じられました。しかし御家人の合議と北条氏の権力が強まり、将軍個人の統治は制約され、翌年の失脚と暗殺へ向かう鎌倉政治の転換点となりました。 - 1335年8月12日(建武2年7月23日)|護良親王が鎌倉で殺害
中先代の乱で鎌倉が危機に陥るなか、幽閉されていた護良親王が足利直義の命を受けた家臣に殺害されました。建武政権内部の対立と、天皇親政が武家勢力を統御できなかった現実を象徴する事件です。 - 1676年8月12日|フィリップ王戦争が終結へ
ワンパノアグ族の指導者メタコメットが植民地側に殺され、ニューイングランドの大規模戦争が終結へ向かいました。植民者にも大損害を与えましたが、先住民社会は土地、人口、政治的自立を決定的に失いました。 - 1759年8月12日|クネルスドルフの戦い
七年戦争でロシア・オーストリア連合軍がフリードリヒ2世率いるプロイセン軍を壊滅寸前まで破りました。勝利側の連携不足でベルリン攻略には至らず、戦術的勝利が政治的成果へ直結しない例となりました。 - 1823年8月12日(文政6年7月7日)|シーボルトが出島に着任
ドイツ人医師シーボルトがオランダ商館医として長崎へ到着し、鳴滝塾で西洋医学と博物学を教えました。知識交流を広げた一方、収集活動は欧州による日本の自然・地理情報の獲得でもありました。 - 1851年8月12日|シンガーがミシン特許を取得
アイザック・シンガーが実用性を高めたミシンの米国特許を取得しました。衣服生産を高速化し家庭と工場を変えましたが、特許訴訟、女性の低賃金労働、縫製産業の過酷な分業も拡大しました。 - 1877年8月12日|火星の衛星ダイモスを発見
米国海軍天文台のアサフ・ホールが火星の外側の衛星ダイモスを発見しました。大型望遠鏡と継続観測の成果で、惑星系の理解を進め、数日後のフォボス発見へつながりました。 - 1883年8月12日|最後のクアッガが死亡
アムステルダムの動物園で飼育されていた最後のクアッガが死に、このシマウマの一亜種は絶滅しました。乱獲と生息地の農牧地化が原因で、人間が絶滅を認識しないまま種を失う危険を示しました。 - 1898年8月12日|ハワイがアメリカ領となる
ハワイ共和国の併合手続きにより、島々は正式に米国領となりました。戦略拠点と砂糖資本の利益が拡大した一方、先住ハワイ人の王国と主権は武力・政治圧力のもとで奪われました。 - 1918年8月12日(大正7年)|米騒動で鈴木商店本店が焼き討ち
米価高騰への抗議が神戸へ広がり、買い占めの象徴とみなされた鈴木商店本店が群衆に焼かれました。生活危機が企業、政府、出兵政策への怒りと結びつき、寺内内閣退陣を促しました。 - 1935年8月12日(昭和10年)|相沢事件
皇道派の相沢三郎中佐が、統制派の中心人物とされた陸軍省軍務局長・永田鉄山を斬殺しました。軍内部の派閥対立が暴力化し、翌年の二・二六事件へ向かう政治的不安を深めました。 - 1953年8月12日|ソ連がRDS-6実験を実施
ソ連が熱核反応を利用したRDS-6を爆発させ、核兵器競争を一段と激化させました。米ソ双方が破壊力を競うなか、実験地域の住民と兵士は被曝の危険を十分知らされませんでした。 - 1957年8月12日(昭和32年)|朝日訴訟が提起される
結核療養中の朝日茂が、月600円の生活保護では憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」を保障しないとして国を訴えました。裁判は社会保障を行政の恩恵ではなく権利として考える契機となりました。 - 1960年8月12日|通信衛星エコー1A打ち上げ
巨大な金属膜の気球で電波を反射する受動型通信衛星エコー1Aが打ち上げられました。大陸間の音声・映像通信の可能性を示し、能動型通信衛星と宇宙通信網の発展を促しました。 - 1962年8月12日(昭和37年)|堀江謙一が単独太平洋横断
堀江謙一が小型ヨット「マーメイド号」で西宮からサンフランシスコへ到着し、日本人初の単独無寄港太平洋横断を成し遂げました。出国手続きの問題はありましたが、若者の挑戦と海洋冒険の象徴となりました。 - 1978年8月12日(昭和53年)|日中平和友好条約に調印
日本と中華人民共和国が、主権尊重、不可侵、紛争の平和的解決などを定める条約に調印しました。国交正常化を制度化しましたが、戦争責任と歴史認識をめぐる対話が完了したわけではありません。 - 1981年8月12日|IBM PC 5150発売
IBMがパーソナルコンピュータ5150を発売し、公開性の高い部品構成とOS採用によって互換機市場が急拡大しました。標準化は普及を促した一方、計算機産業の主導権を少数企業へ集中させました。 - 1985年8月12日(昭和60年)|日本航空123便墜落事故
羽田発大阪行きの日本航空123便が群馬県の御巣鷹山中に墜落し、520人が死亡しました。単独機として最悪の航空事故となり、修理不良、組織の安全管理、救難体制の検証を迫りました。