
8月1日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢77名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】8月1日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、グレゴリオ暦に換算した日付に基づいて掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 845年 | 菅原道真 | 学者・政治家 |
| 1313年 | 光厳天皇 | 北朝初代天皇 |
| 1377年 | 後小松天皇 | 第100代天皇・北朝第6代天皇 |
| 1625年 | 水野勝貞 | 福山藩主 |
| 1661年 | 相馬昌胤 | 相馬中村藩主 |
| 1665年 | 松平輝貞 | 高崎藩主 |
| 1687年 | 池田吉泰 | 鳥取藩主 |
| 1709年 | 成瀬正泰 | 犬山藩主 |
| 1730年 | 鍋島直興 | 蓮池藩主 |
| 1761年 | 酒井抱一 | 絵師・俳人 |
| 1765年 | 南部信房 | 八戸藩主 |
| 1860年 | 初代根津嘉一郎 | 実業家・東武鉄道経営者 |
| 1861年 | 奥繁三郎 | 政治家 |
| 1881年 | 会津八一 | 歌人・美術史家 |
| 1882年 | 石原謙 | キリスト教史学者 |
| 1885年 | 木下杢太郎 | 医学者・詩人 |
| 1886年 | 加納久朗 | 銀行家・政治家 |
| 1886年 | 宮嶋資夫 | 小説家・労働運動家 |
| 1889年 | 室生犀星 | 詩人・小説家 |
| 1891年 | 渡辺泰邦 | 政治家・ジャーナリスト |
| 1892年 | 成田きん | 長寿者・きんさんぎんさん |
| 1892年 | 蟹江ぎん | 長寿者・きんさんぎんさん |
| 1899年 | 松方三郎 | 登山家・ジャーナリスト |
| 1899年 | 伊藤熹朔 | 舞台美術家 |
| 1905年 | 初代水谷八重子 | 俳優 |
| 1906年 | 耕治人 | 小説家 |
| 1907年 | 大澤壽人 | 作曲家 |
| 1907年 | 宮本常一 | 民俗学者 |
| 1908年 | 窪田章一郎 | 歌人 |
| 1915年 | 小平忠 | 政治家 |
| 1915年 | 児玉三夫 | 教育学者 |
| 1927年 | 小沢潔 | 政治家 |
| 1927年 | 三塚博 | 政治家・大蔵大臣 |
| 1927年 | 河野俊二 | 実業家 |
| 1929年 | 菅原勝伴 | 法学者 |
| 1931年 | 三好迪 | 聖書学者 |
| 1931年 | 増淵健 | 編集者・映画評論家 |
| 1931年 | 若原一郎 | 歌手 |
| 1933年 | 武下和平 | 島唄歌手 |
| 1933年 | 金田正一 | プロ野球選手・監督 |
| 1935年 | 田中信夫 | 声優 |
| 1936年 | 三ツ矢歌子 | 俳優 |
| 1938年 | 中島順三 | アニメプロデューサー |
| 1938年 | ジャッキー吉川 | 音楽家 |
| 1939年 | 八代目杵屋彌吉 | 長唄三味線方家元 |
| 1943年 | 田村正和 | 俳優 |
【海外】8月1日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 紀元前10年 | クラウディウス | ローマ皇帝 |
| 126年 | ペルティナクス | ローマ皇帝 |
| 1520年 | ジグムント2世 | ポーランド王 |
| 1626年 | シャブタイ・ツヴィ | 宗教運動指導者 |
| 1744年 | ジャン=バティスト・ラマルク | 博物学者 |
| 1770年 | ウィリアム・クラーク | 探検家・軍人 |
| 1779年 | フランシス・スコット・キー | 弁護士・詩人 |
| 1817年 | リチャード・ダッド | 画家 |
| 1818年 | マリア・ミッチェル | 天文学者 |
| 1819年 | ハーマン・メルヴィル | 小説家・詩人 |
| 1830年 | マザー・ジョーンズ | 労働運動家 |
| 1843年 | ロバート・トッド・リンカーン | アメリカ陸軍長官 |
| 1849年 | ジョージ・マーサー・ドーソン | 地質学者・探検家 |
| 1858年 | ハンス・ロット | 作曲家 |
| 1863年 | ガストン・ドゥメルグ | フランス大統領 |
| 1865年 | エウシェン | スウェーデン王族・画家 |
| 1885年 | ゲオルク・ド・ヘヴェシー | 化学者 |
| 1896年 | ペトロ・サムティン | ウクライナ軍人 |
| 1899年 | ジミー・エンジェル | 飛行家 |
| 1906年 | デジデル・ミリー | 画家・美術評論家 |
| 1907年 | マルガ・フォン・エッツドルフ | 飛行家 |
| 1918年 | 周璇 | 歌手・俳優 |
| 1930年 | ピエール・ブルデュー | 社会学者 |
| 1933年 | アントニオ・ネグリ | 政治哲学者 |
| 1933年 | ドム・デルイーズ | 俳優・コメディアン |
| 1933年 | ミーナー・クマーリー | 俳優 |
| 1936年 | ウィリアム・ドナルド・ハミルトン | 進化生物学者 |
| 1936年 | イヴ・サン=ローラン | ファッションデザイナー |
| 1941年 | ナタリー・ドロン | 俳優 |
| 1942年 | ジェリー・ガルシア | ギタリスト・歌手 |
| 1942年 | アンドレ・ギャニオン | 作曲家・ピアニスト |
8月1日生まれの代表的な偉人
ジャン=バティスト・ラマルク
- 生没年:1744年8月1日~1829年12月18日
- 国:フランス
- 肩書き:博物学者
無脊椎動物を分類・研究し、生物種は不変ではなく、環境と生活様式に応じて長い時間をかけて変化すると体系的に論じました。用不用と獲得形質の遺伝を重視した機構は現代遺伝学の説明とは一致しませんが、変化する生物界を自然法則で説明する課題を明確にします。「下等」から「高等」へ進む直線的進歩観には限界があるものの、ダーウィン以前に進化を包括的な研究問題へした意義は大きいです。誤った学説の代名詞にせず、科学が仮説の修正で進むことを示す人物です。
酒井抱一
- 生没年:1761年8月1日(宝暦11年7月1日)~1829年1月4日(文政11年11月29日)
- 国:日本
- 肩書き:絵師・俳人
姫路藩主家に生まれ、出家後に尾形光琳の作品を研究して、琳派の装飾性を江戸の繊細な季節感と結びつけました。『夏秋草図屏風』では風雨に揺れる草花を銀地へ描き、光琳の『風神雷神図屏風』の裏面として自然の力を異なる視点から応答させます。光琳百回忌の展覧と図録『光琳百図』によって先行作家を体系的に顕彰し、「琳派」という系譜を後世へ伝えました。大名家の文化資本に支えられながら、模倣ではなく編集と再解釈によって美術の伝統を作った人物です。
マリア・ミッチェル
- 生没年:1818年8月1日~1889年6月28日
- 国:アメリカ
- 肩書き:天文学者・教育者
ナンタケット島で天体観測を学び、1847年に望遠鏡で彗星を発見して国際的に認められた最初期の米国女性天文学者となりました。ヴァッサー大学の教授として黒点、惑星、恒星を観測し、女子学生へ実験と自立した判断を重視する科学教育を行います。女性には男性より低い給与しか支払われないことへ抗議し、女性参政権運動にも関わりました。個人の例外的成功にとどまらず、女性が研究職へ参加する制度と専門家共同体を広げた人物です。
ハーマン・メルヴィル
- 生没年:1819年8月1日~1891年9月28日
- 国:アメリカ
- 肩書き:小説家・詩人
捕鯨船員などの海上経験を基に、『白鯨』で一頭の鯨を追う航海を、知識、宗教、労働、資本、狂気をめぐる巨大な物語へ変えました。多国籍の乗組員と百科全書的な文体は、民主的共同体の可能性と、エイハブ船長の専制が全員を破滅へ導く危険を並置します。生前の後半は評価を失い税関職員として働きましたが、20世紀に再発見されました。先住民や異文化の描写には同時代の偏見もある一方、帝国と人間中心主義を批判的に読む余地を持つ作家です。
ゲオルク・ド・ヘヴェシー
- 生没年:1885年8月1日~1966年7月5日
- 国:ハンガリー・スウェーデン
- 肩書き:化学者
放射性同位体を目印として物質の移動を追跡するトレーサー法を開発し、植物の代謝から人体の循環まで、見えない化学過程を測定できるようにしました。元素ハフニウムの発見にも関わり、同位体が化学的にはほぼ同じ性質を持つことを研究へ利用します。ナチス占領下では没収を防ぐためノーベル賞メダルを王水に溶かし、戦後に金を回収して再鋳造させた逸話でも知られます。放射線利用には被曝管理が不可欠ですが、診断医学と生物化学へ定量的な時間軸をもたらした研究者です。
室生犀星
- 生没年:1889年8月1日(明治22年8月1日)~1962年3月26日(昭和37年3月26日)
- 国:日本
- 肩書き:詩人・小説家
金沢で複雑な出生事情と養家での孤独を経験し、故郷への愛憎、貧困、家族への渇望を『愛の詩集』や『抒情小曲集』に表しました。小説『性に眼覚める頃』『杏っ子』では、自伝的素材を用いて、親子や男女の関係に潜む依存と傷を描きます。女性像には男性中心の視線や家父長的価値観が残りますが、自身の弱さと醜さを隠さない語りが作品の緊張を生みました。詩と小説を往来し、近代都市の周縁から「故郷」と家族の意味を問い続けた作家です。
ウィリアム・ドナルド・ハミルトン
- 生没年:1936年8月1日~2000年3月7日
- 国:イギリス
- 肩書き:進化生物学者
個体が自分の繁殖を減らしても血縁者の繁殖を助ける行動が、共有する遺伝子を通じて進化し得ることを「包括適応度」とハミルトン則で示しました。利他行動を集団の利益という曖昧な説明から、血縁度、利益、費用の関係へ置き換え、社会性昆虫や協力行動の研究を変えます。性比や寄生生物と性の進化にも重要な理論を残しました。一方、人間社会へ遺伝的説明を安易に拡張すると文化や権力を見落とすため、理論の適用範囲を慎重に区別する必要があります。
イヴ・サン=ローラン
- 生没年:1936年8月1日~2008年6月1日
- 国:フランス・アルジェリア
- 肩書き:ファッションデザイナー
ディオールの後継デザイナーを経て自身のブランドを設立し、女性用タキシード「ル・スモーキング」やサファリジャケットで、男性服の記号を女性の自己表現へ転用しました。既製服ラインを通じて高級服のデザインをより広い市場へ届け、美術作品、北アフリカ、各地域の衣服から大胆に引用します。女性の自由を広げたとの評価がある一方、痩身中心の美の規範や、他文化を商品化する視線、巨大ブランド産業の労働問題も検討が必要です。服装が性別、階級、権力を交渉する公共言語であることを示した人物です。
8月1日に起きた歴史的な出来事
- 607年8月1日(推古天皇15年7月3日)|第2回遣隋使を派遣
小野妹子を使者とする遣隋使が派遣されました。対等性を意識した国書で隋との外交を試み、仏教、制度、技術を学ぶ留学生・学問僧の往来を通じて古代国家形成を進めました。 - 1291年8月1日|スイス盟約者同盟の伝統的成立日
ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの共同防衛盟約が8月初めに結ばれたとされます。後世に8月1日が建国記念日となりましたが、現在の連邦国家は長い同盟拡大と政治改革の結果です。 - 1774年8月1日|プリーストリーが酸素を単離
ジョゼフ・プリーストリーが酸化水銀を加熱し、燃焼と呼吸を強く支える気体を得ました。彼はフロギストン説で解釈しましたが、ラヴォアジエらの研究と結びつき、近代化学の燃焼理論を変えました。 - 1798年8月1日|ナイルの海戦
ネルソン率いるイギリス艦隊がアブキール湾のフランス艦隊を攻撃し、ナポレオンのエジプト遠征軍を本国から切り離しました。地中海の制海権を変える一方、欧州列強による中東介入を深めました。 - 1834年8月1日|英領で奴隷廃止法が発効
イギリス帝国の多くの地域で奴隷制廃止が実施されましたが、元奴隷所有者には巨額の補償が支払われ、解放された人々には支払われませんでした。「徒弟制度」による拘束も残り、自由の実現は段階的でした。 - 1894年8月1日(明治27年)|日清両国が宣戦布告
朝鮮をめぐる軍事衝突を受け、日本と清が正式に宣戦を布告しました。戦争は日本の帝国化、台湾植民地化、東アジア秩序の再編を進め、両国と朝鮮の兵士・住民へ大きな犠牲を強いました。 - 1914年8月1日|ドイツがロシアへ宣戦布告
総動員の停止を求めた最後通牒の後、ドイツ帝国がロシア帝国へ宣戦しました。同盟と軍事動員計画が外交の余地を急速に狭め、地域紛争を第一次世界大戦へ拡大させました。 - 1924年8月1日(大正13年)|阪神甲子園球場竣工
兵庫県西宮に大規模野球場が完成し、全国中等学校優勝野球大会の会場となりました。学生野球と地域文化を育てる一方、全国的なメディア行事として学校や選手へ過大な期待を負わせる場にもなりました。 - 1936年8月1日|ベルリンオリンピック開幕
ナチ政権が国威と人種政策を覆い隠す大規模な宣伝行事として大会を利用しました。一方、ジェシー・オーエンスらの活躍は人種的優越の主張を揺さぶり、スポーツと独裁政治の関係を示しました。 - 1944年8月1日|ワルシャワ蜂起
ポーランド国内軍と市民がドイツ占領軍へ蜂起しました。ソ連軍の支援が届かないまま63日間戦って降伏し、多数の住民が死亡、市街は計画的に破壊され、戦後の政治対立にも影響しました。 - 1946年8月1日|ハンガリーがフォリントを導入
史上最悪規模のハイパーインフレーションでペンゲーが機能を失った後、新通貨フォリントが導入されました。通貨安定は生活再建を助けましたが、同時にソ連圏の統制経済へ組み込まれる過程でもありました。 - 1960年8月1日|ダホメが独立
フランス領西アフリカのダホメ共和国が独立し、後のベナン共和国となりました。植民地支配から主権を回復しましたが、地域対立、軍事政権、冷戦下の経済依存という国家建設の難題に直面しました。 - 1981年8月1日|MTV放送開始
米国で音楽映像専門チャンネルMTVが放送を始め、ミュージックビデオを音楽産業の中心的な宣伝形式へ変えました。若者文化を世界化する一方、当初は黒人アーティストの放送が少ないとの批判を受けました。