
12月21日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢41名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】12月21日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、12月21日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1568年 | 黒田長政 | 福岡藩初代藩主 |
| 1652年 | 松平頼常 | 高松藩主 |
| 1742年 | 本多忠興 | 神戸藩主 |
| 1745年 | 水野勝起 | 結城藩主 |
| 1780年 | 黒住宗忠 | 黒住教開祖 |
| 1795年 | 水野忠啓 | 新宮藩主 |
| 1815年 | 加藤泰理 | 新谷藩主 |
| 1849年 | 生駒親敬 | 矢島藩初代藩主 |
| 1875年 | 大西良慶 | 僧侶・清水寺貫主 |
| 1881年 | 斎藤五百枝 | 画家・挿絵画家 |
| 1884年 | 黒木三次 | 華族・貴族院議員 |
| 1898年 | 茅誠司 | 物理学者 |
| 1899年 | 灘尾弘吉 | 政治家・衆議院議長 |
| 1906年 | 林竹二 | 教育哲学者 |
| 1907年 | 西田直道 | 作曲家・指揮者 |
| 1909年 | 松本清張 | 小説家 |
| 1914年 | 池田弥三郎 | 国文学者・民俗学者 |
| 1922年 | 沼田武 | 政治家・千葉県知事 |
| 1924年 | 勝井祐輔 | 実業家 |
| 1927年 | 小川国夫 | 小説家 |
| 1928年 | 佐藤慶 | 俳優・ナレーター |
| 1933年 | 高橋宏 | 実業家 |
| 1935年 | 小谷承靖 | 映画監督・演出家 |
| 1936年 | 足利健亮 | 地理学者 |
| 1938年 | 夏樹静子 | 小説家 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】12月21日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1401年 | マサッチオ | イタリアの画家 |
| 1639年 | ジャン・ラシーヌ | フランスの劇作家 |
| 1773年 | ロバート・ブラウン | イギリスの植物学者 |
| 1804年 | ベンジャミン・ディズレーリ | イギリス首相・作家 |
| 1805年 | トーマス・グレアム | イギリスの化学者 |
| 1815年 | トマ・クチュール | フランスの画家 |
| 1823年 | ジャン・アンリ・ファーブル | フランスの生物学者 |
| 1850年 | ズデニェク・フィビフ | チェコの作曲家 |
| 1878年 | ヤン・ウカシェヴィチ | ポーランドの論理学者 |
| 1890年 | ハーマン・J・マラー | アメリカの遺伝学者 |
| 1904年 | ジャン・バザン | フランスの画家 |
| 1905年 | アンソニー・パウエル | イギリスの小説家 |
| 1917年 | ハインリヒ・ベル | ドイツの作家 |
| 1918年 | クルト・ヴァルトハイム | オーストリアの政治家 |
| 1920年 | アリシア・アロンソ | キューバのバレエダンサー・振付家 |
| 1931年 | ギゼラ・ビルケマイヤー | ドイツの陸上競技選手 |
12月21日生まれの代表的な偉人
大西良慶
- 生没年:1875年12月21日(明治8年12月21日)~1983年2月15日(昭和58年2月15日)
- 国:日本
- 肩書き:僧侶・清水寺貫主
奈良に生まれ、法相宗の僧として学び、京都の清水寺で長く貫主を務めて寺院と社会の関係を考えました。清水寺の復興と文化財保護に尽力し、戦後の宗教界で平和祈願や青少年教育を行いました。長寿の僧侶として伝統寺院を観光だけでなく地域の信仰・福祉の場として発信し、文化財保存の制度化に寄与しました。一方、寺院の権威と観光収入に依存する保存は、女性や檀家以外の住民を周縁化し、戦争協力の宗教史を忘れさせる危険があります。
茅誠司
- 生没年:1898年12月21日(明治31年12月21日)~1988年11月9日(昭和63年11月9日)
- 国:日本
- 肩書き:物理学者
東京帝国大学で磁性と低温物理を研究し、戦後は東京大学総長や日本学術会議会長として科学政策を担いました。金属の磁気的性質を研究し、大学改革と科学研究費の拡充、原子力・平和問題への学術的発言を行いました。研究者の自治と大学の公共性を守る戦後科学者の代表として、学術会議と大学行政の制度形成に影響しました。一方、戦時中の研究動員と戦後の原子力推進の連続性、大学の男性中心性を十分に問わない科学者像には限界があります。
灘尾弘吉
- 生没年:1899年12月21日(明治32年12月21日)~1994年1月22日(平成6年1月22日)
- 国:日本
- 肩書き:政治家・衆議院議長
内務官僚を経て戦後の文部大臣・労働大臣を務め、教育行政と保守政党の議会運営を担いました。教育基本法後の学校制度、教員政策、国会改革に関わり、衆議院議長として与野党の手続きを調整しました。戦後官僚制と自民党政治の橋渡しをし、議会の継続性と教育国家の制度を安定させました。一方、教育内容への国家介入や労働運動への警戒を強めた政策もあり、議会の安定が少数者の声を保障したとは限りません。
林竹二
- 生没年:1906年12月21日(明治39年12月21日)~1985年4月14日(昭和60年4月14日)
- 国:日本
- 肩書き:教育哲学者
宮城教育大学などで教師教育に携わり、戦後の管理教育と受験競争を批判しながら授業の記録を重ねました。子どもが問いを発する授業と教師の対話を重視し、夜間中学や障害児教育の現場にも足を運びました。学習者の経験から授業を組み立てる実践は、教師中心の一斉授業を問い直し、教育研究のフィールドワークを広げました。一方、教師と子どもの関係を理想化すると家庭・貧困・障害の構造的制約が消え、実践記録の一般化にも慎重さが必要です。
松本清張
- 生没年:1909年12月21日(明治42年12月21日)~1992年8月4日(平成4年8月4日)
- 国:日本
- 肩書き:小説家・ノンフィクション作家
福岡の貧困家庭で育ち、印刷工を経て作家となり、高度成長期の社会の裏側を取材しました。『点と線』『砂の器』『日本の黒い霧』で犯罪、官僚制、戦争責任を描き、社会派推理を大衆文学の中心へ押し上げました。推理小説を社会構造の批判へ接続し、冤罪、格差、歴史の隠蔽を読者が考える公共的なジャンルへ変えました。一方、物語の因果が強すぎると複雑な歴史を陰謀へ単純化し、女性・障害者・被差別地域を犯罪の背景装置にする表現も批判対象になります。
池田弥三郎
- 生没年:1914年12月21日(大正3年12月21日)~1982年7月10日(昭和57年7月10日)
- 国:日本
- 肩書き:国文学者・民俗学者
東京に生まれ、慶應義塾大学で折口信夫の学問を継承し、古典文学と都市の民俗を調査しました。『日本の民俗』『まれびとの座』などで祭礼、芸能、言葉の伝承を分析し、テレビ・新聞でも古典を解説しました。折口学を戦後の大学と大衆メディアへ広げ、民俗を生活者の記憶として読む研究の裾野を広げました。一方、『日本人の心』を一つにまとめる語りは地域差・階級・植民地経験を消し、学問の継承が師弟関係に依存する問題もあります。
小川国夫
- 生没年:1927年12月21日(昭和2年12月21日)~2008年4月8日(平成20年4月8日)
- 国:日本
- 肩書き:小説家
静岡に生まれ、フランス留学とキリスト教への関心を背景に、土地の記憶と信仰の揺らぎを描きました。『アポロンの島』『逸民』などで、聖書的な象徴と地方の身体感覚を組み合わせ、純文学の新しい語りを試みました。中央の文壇から距離を置く地方の声と宗教的想像力を結び、戦後小説の多様な倫理を示しました。一方、信仰と孤独の美学が社会的な差別やジェンダーを抽象化し、作品の難解さを特権的な価値とする読まれ方にも限界があります。
ジャン・ラシーヌ
- 生没年:1639年12月21日~1699年4月21日
- 国:フランス
- 肩書き:劇作家
ポール=ロワイヤルで古典教育を受け、ルイ14世の宮廷文化と劇場の競争の中で悲劇作家として成功しました。『アンドロマック』『フェードル』で、王家の欲望と運命をアレクサンドランの整った台詞に凝縮しました。古典主義悲劇の心理描写と韻律は欧州演劇の規範となり、後世の翻訳・オペラ・映画へ広く再生産されました。一方、宮廷と男性の名誉を中心にした物語は奴隷・植民地・庶民の経験を排除し、女性の欲望を破滅へ結びつける性別規範も残します。
ロバート・ブラウン
- 生没年:1773年12月21日~1858年6月10日
- 国:イギリス・スコットランド
- 肩書き:植物学者
スコットランドの医師家庭に生まれ、オーストラリア探検隊の植物学者として未知の植物を採集しました。細胞核を発見し、花粉粒が水中で不規則に動くブラウン運動を記録して植物分類と顕微鏡研究を進めました。ブラウン運動の観察は後に原子分子論の証拠となり、植物学・物理学をつなぐ観察の精密さを示しました。一方、探検標本は植民地化と土地収奪に支えられ、先住民の知識と採集協力を欧州の個人名へ回収した科学史には問題があります。
ベンジャミン・ディズレーリ
- 生没年:1804年12月21日~1881年4月19日
- 国:イギリス
- 肩書き:政治家・小説家
ユダヤ系改宗者の家庭で育ち、作家活動を経て保守党の国会議員となり、二度首相を務めました。選挙法改正と帝国政策を推進し、ヴィクトリア女王をインド皇帝に戴冠させ、保守党を大衆政党へ再編しました。階級・宗教・帝国をめぐる議会政治の近代化に影響し、政治家が小説と演説で世論を動かすモデルを示しました。一方、帝国拡張と人種的序列を正当化し、労働者保護の改革も植民地支配と両立させたため、進歩的保守の英雄像には限界があります。
ジャン・アンリ・ファーブル
- 生没年:1823年12月21日~1915年10月11日
- 国:フランス
- 肩書き:昆虫学者・教育者
貧しい農家出身で教師となり、南仏の野外で昆虫の行動を長年観察しながら一般向けの科学書を書きました。『昆虫記』でスズメバチやフンコロガシの習性を実験的に記録し、行動を本能と環境の相互作用から描きました。研究室中心の科学に野外観察と文学的叙述を持ち込み、自然教育と動物行動学の普及に大きく寄与しました。一方、擬人化や雄中心の観察は動物の複雑さを単純化し、植民地博物学と当時の性別・階級観が記述に残っている点も重要です。
ヤン・ウカシェヴィチ
- 生没年:1878年12月21日~1956年2月13日
- 国:ポーランド
- 肩書き:論理学者・哲学者
ポーランド分割後の知的復興期に数学と哲学を学び、ワルシャワ学派の論理学研究を組織しました。多値論理と逆ポーランド記法を開発し、命題論理を形式化してコンピューターの式処理へ道を開きました。厳密な記号体系は現代論理学・プログラミング言語・人工知能の基盤となり、ポーランド学派の国際的評価を高めました。一方、形式化できる推論を知性全体と同一視できず、戦争と亡命で失われた研究者の多様性を天才の系譜だけで語る危険があります。
ハーマン・J・マラー
- 生没年:1890年12月21日~1967年4月5日
- 国:アメリカ
- 肩書き:遺伝学者
ショウジョウバエの遺伝学を研究し、放射線と突然変異の関係が核兵器時代の社会問題となる中で活動しました。X線照射で突然変異率が上がることを実証し、1946年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。放射線防護と遺伝的リスクの研究を進め、環境汚染・核実験への市民的警告の科学的根拠となりました。一方、優生学への関与と遺伝決定論的な発言は差別政策に利用され、科学的警告が人間の価値を遺伝で序列化する危険を併せ持ちます。
ハインリヒ・ベル
- 生没年:1917年12月21日~1985年7月16日
- 国:ドイツ
- 肩書き:作家・評論家
第二次世界大戦に兵士として動員され、戦後の西ドイツで瓦礫、帰還兵、カトリック社会の偽善を描きました。『そして一言も言わなかった』『失われた名誉』などで、戦争責任とメディアの暴力を批判しノーベル文学賞を受賞しました。加害と被害が混ざる戦後の日常を市民の視点から描き、ドイツの記憶政治と表現の自由を支えました。一方、テロ対策をめぐる国家批判が左派擁護と誤解され、女性・移民の経験をドイツ人男性の罪責へ従属させる面も残ります。
12月21日に起きた歴史的な出来事
- 69年12月21日|ウェスパシアヌスが皇帝として承認される
四皇帝の年の内戦で、ローマ元老院が東方軍を率いたウェスパシアヌスを皇帝として承認しました。フラウィウス朝が成立し、内戦後の財政再建と軍の統制を進める帝国統治が始まりました。なお、承認は軍事力と粛清を背景とし、ユダヤ戦争と属州の徴税負担、皇帝権の世襲化を安定の物語だけで隠せません。 - 1185年12月21日(文治元年11月29日)|守護・地頭の設置を朝廷が承認
源頼朝の申請を受け、後白河法皇が諸国の守護と荘園・公領の地頭を任命する権限を認めました。鎌倉幕府が全国の軍事・徴税を管理する制度的基盤となり、中世の二重支配を形成しました。なお、武士の治安維持という説明は荘園農民への収奪と朝廷・寺社の権利侵害を隠し、地域差の大きい制度でした。 - 1620年12月21日|ピルグリム・ファーザーズがプリマスへ上陸
メイフラワー号の入植者が北米ニューイングランドに到着し、船上契約で共同統治を取り決めました。後の米国建国神話で宗教的自由と自治の始まりとして記憶されました。なお、ワンパノアグなど先住民の土地と感染症被害、宗教的少数派を排除した植民地社会を『自由の起源』だけで語れません。 - 1844年12月21日|ロッチデール先駆者協同組合が開店
英国ランカシャーの労働者28人が出資し、公正な計量と配当を掲げる生活協同組合の店舗を開きました。消費者が共同所有する協同組合運動の原型となり、労働者の自助と公正取引の理念を広げました。なお、自助の成功談は低賃金・女性労働・植民地商品への依存を消し、組合内部の階級・性別の排除も残りました。 - 1872年12月21日|チャレンジャー号が世界海洋探検へ出航
英国海軍のチャレンジャー号が科学者を乗せ、深海の水温・生物・海底地形を測る航海に出ました。近代海洋学を制度化し、深海生態系と地球規模の海洋循環を研究する標準的な方法を残しました。なお、軍艦と帝国航路を使う探検は植民地の港と労働を利用し、標本収集が海洋資源の支配へつながる側面もあります。 - 1891年12月21日|最初のバスケットボール試合
マサチューセッツ州スプリングフィールドで、ジェームズ・ネイスミスが考案した室内競技の最初の試合が行われました。冬季の安全な運動として普及し、学校・YMCA・国際大会を通じて世界的なスポーツへ成長しました。なお、競技の制度化は人種隔離、性別の役割、選手の身体酷使と商業化を伴い、発明者中心の物語が生徒の共同創造を隠します。 - 1906年12月21日(明治39年12月21日)|阪神電鉄梅田駅開業
阪神電気鉄道が大阪・梅田のターミナルを開業し、都市間電車と市街地の商業を結びました。私鉄が沿線住宅・百貨店・娯楽を開発する日本型都市経営の先例となりました。なお、鉄道敷設は土地買収と沿線の階層化を進め、便利さの裏で農地や旧市街の住民が立ち退いた歴史を残します。 - 1912年12月21日(大正元年12月21日)|第3次桂内閣が成立
西園寺公望内閣の退陣後、桂太郎が三度目の内閣を組織しましたが、護憲運動と政党勢力の反発を受けました。大正政変へ至る藩閥政治と政党内閣の対立を明確にし、議会政治の転換点となりました。なお、『民衆が勝利した』という後世の語りは新聞・政党の動員を過大評価し、植民地支配と選挙権制限を除外しています。 - 1913年12月21日|世界初のクロスワードパズル掲載
米紙『ニューヨーク・ワールド』の娯楽欄に、アーサー・ウィンが作ったダイヤ形の語句パズルが掲載されました。新聞の余暇商品と大衆識字を結びつけ、言葉遊びを世界的なメディア文化へ発展させました。なお、英語中心の語彙と商業新聞の読者像が基準となり、知識を競争化するパズル文化は教育格差や広告依存も伴います。 - 1917年12月21日(大正6年12月21日)|三菱方城炭鉱爆発事故
福岡県の炭鉱で爆発事故が起き、坑内の作業員多数が死亡しました。労働安全規制と救護体制の不備を露呈し、炭鉱労働者の組織化と企業責任を問う世論を強めました。なお、犠牲者を『殉職』と美化すると、長時間労働、下請け構造、朝鮮人労働者の差別的配置が見えなくなります。 - 1937年12月21日|映画『白雪姫』がロサンゼルスで初公開
ウォルト・ディズニーが長編セルアニメーション『白雪姫』を完成させ、ハリウッドでプレミア上映を行いました。アニメーションを長編映画と大量商品化へ結び、世界の映像産業とキャラクター文化を変えました。なお、制作現場の過酷な労働と女性・人種のステレオタイプ、ディズニー社による著作権独占を成功神話から切り離せません。 - 1941年12月21日|日本・タイ同盟条約調印
日本軍のタイ進駐後、タイ政府が日本との軍事同盟条約に署名し、対英米戦への協力を約束しました。日本の東南アジア占領とタイの限定的な主権維持を結び、戦後の協力責任をめぐる議論を残しました。なお、『独立を守った』とするタイ側の物語と、日本軍の圧力・占領・強制労働を被害者の視点から併せて検討する必要があります。 - 1946年12月21日(昭和21年12月21日)|昭和南海地震
紀伊半島沖を震源とする巨大地震と津波が東海・近畿・四国を襲い、死者・行方不明者と家屋被害が発生しました。戦後復興期の防災行政と津波研究を促し、南海トラフ地震の周期性を社会へ意識させました。なお、占領下の報道統制で被害情報が遅れ、沿岸の漁村・女性・高齢者の避難困難が全国的な復興統計に埋もれました。 - 1958年12月21日|ド・ゴールがフランス大統領に選出
第五共和政憲法のもとで選挙人団がシャルル・ド・ゴールを大統領に選び、アルジェリア戦争の統治を強化しました。大統領権限を強める半大統領制を確立し、フランスの脱植民地化と欧州統合の方向を決めました。なお、強い行政権は議会と植民地住民の声を抑え、アルジェリアの暴力と非常権限を安定の成功物語から排除できません。 - 1972年12月21日|東西ドイツ基本条約調印
西ドイツと東ドイツが相互承認と国境尊重を定める基本条約に署名し、国連加盟への道を開きました。分断を前提に人道・交通交流を改善し、冷戦下の緊張緩和(デタント)を象徴しました。なお、相互承認は壁と監視、東独の人権侵害を解消せず、統一後の記憶では東西住民の経験差が単純化されました。 - 1988年12月21日|パンアメリカン航空103便爆破事件
ロンドン発ニューヨーク行き旅客機がスコットランド上空で爆破され、乗員・乗客と地上住民が死亡しました。国際航空保安と国家支援テロの責任追及を変え、長期の捜査と制裁、遺族運動につながりました。なお、捜査と裁判は政治交渉に左右され、犠牲者の国籍による扱いの差や、報復制裁が一般市民へ及ぼした負担も残りました。