12月3日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

偉人
  1. ホーム
  2. 偉人
  3. 12月3日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

12月3日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢41名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!

【日本】12月3日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、12月3日と一致する人物だけを掲載しています。

生年人物名肩書き
1703年松平親純杵築藩主
1714年吉川経永岩国領第6代領主
1791年吉川経賢岩国領第9代領主
1819年阿部正弘老中首座・福山藩第7代藩主
1835年小松帯刀薩摩藩家老・政治家
1842年色川三郎兵衛醤油醸造家・政治家
1845年朽木為綱福知山藩主
1879年永井荷風小説家
1882年種田山頭火自由律俳句の俳人
1887年東久邇宮稔彦王皇族・陸軍軍人・第43代内閣総理大臣
1888年水野仙子小説家
1889年小汀利得ジャーナリスト・時事評論家
1890年佐藤惣之助詩人・作詞家
1899年三宅徳三郎外科医・高松市長
1899年池田勇人大蔵官僚・第58~60代内閣総理大臣
1906年三淵乾太郎裁判官
1907年服部逸郎作曲家・作詞家・アナウンサー
1907年藤枝泉介官僚・政治家
1921年数原洋二実業家
1925年石坂公成免疫学者・IgE発見者
1928年久保田康耶歯学者・医師
1932年藤波孝生政治家・内閣官房長官
1940年篠山紀信写真家
1941年山脇百合子絵本作家・挿絵画家
1944年川又一英小説家・美術研究家

※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。

【海外】12月3日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

生年人物名肩書き
1799年マーガレット・オニール・イートンアメリカ政界のイートン事件の中心人物
1830年フレデリック・レイトンイギリスの画家・彫刻家
1857年ジョゼフ・コンラッドポーランド生まれのイギリス小説家
1862年ジュール・ランカンベルギーの政治家・首相
1877年リチャード・ピアースニュージーランドの航空技術者
1880年フェードア・フォン・ボックドイツの陸軍軍人
1883年アントン・ヴェーベルンオーストリアの作曲家
1895年アンナ・フロイトオーストリア生まれの児童精神分析家
1898年レジナルド・ブライスイギリスの日本文化研究者
1911年ニーノ・ロータイタリアの作曲家
1923年ソール・ライターアメリカの写真家・画家
1924年ジョン・バッカスアメリカの計算機科学者
1927年アンディ・ウィリアムスアメリカの歌手
1930年ジャン=リュック・ゴダールフランス・スイスの映画監督
1948年オジー・オズボーンイギリスのロック歌手
1949年路遥中国の小説家

12月3日生まれの代表的な偉人

阿部正弘

  • 生没年:1819年12月3日(文政2年10月16日)~1857年8月6日(安政4年6月17日)
  • 国:日本
  • 肩書き:老中首座・福山藩第7代藩主

譜代大名の家に生まれ、二十代で老中となり、欧米船が東アジアへ進出する危機の幕府政治を担いました。ペリー来航後に諸大名や朝廷へ意見を求め、日米和親条約を結ぶ一方、海防強化、人材登用、洋学振興を柱とする安政の改革を進めました。従来より広い政治参加を促した手法は幕末政局を変え、勝海舟らを登用して近代海軍と外交人材の基盤を作りました。一方、開国は不平等条約体制への入口となり、意見聴取も民衆を含まず、短い生涯のため改革の成果と矛盾を本人だけへ帰すことはできません。

小松帯刀

  • 生没年:1835年12月3日(天保6年10月14日)~1870年8月16日(明治3年7月20日)
  • 国:日本
  • 肩書き:薩摩藩家老・政治家

薩摩藩の一門家から小松家を継ぎ、島津久光の上京以後、若くして家老として藩政と中央政局を担いました。薩長同盟の交渉場所を提供し、坂本龍馬らを支援して海運・貿易を進め、大政奉還後は新政府の外交職にも就きました。西郷隆盛や大久保利通を組織的に支えた調整者として、倒幕と近代国家形成の実務面を再評価されています。一方、薩摩中心の政治過程と武力倒幕には反対勢力の犠牲があり、英雄化は下級藩士、商人、女性など多数の協力者を再び周縁化する危険があります。

永井荷風

  • 生没年:1879年12月3日(明治12年12月3日)~1959年4月30日(昭和34年4月30日)
  • 国:日本
  • 肩書き:小説家

東京の官僚家庭に生まれ、米国とフランスでの滞在を経て、急速に近代化する都市を批判的に観察しました。『あめりか物語』『ふらんす物語』『濹東綺譚』や長大な日記『断腸亭日乗』で、花街、路地、失われる江戸文化を描きました。権力と集団熱から距離を置く都市文学は、近代日本の表と裏を記録し、散歩者の視線を後代の作家へ伝えました。一方、女性を欲望の対象として描く男性中心の視点が強く、戦時下の沈黙を抵抗と美化しすぎると、社会的責任を回避した側面を見落とします。

種田山頭火

  • 生没年:1882年12月3日(明治15年12月3日)~1940年10月11日(昭和15年10月11日)
  • 国:日本
  • 肩書き:俳人

山口の地主家庭に生まれ、家業の破綻、家族の死、自身の飲酒問題を抱えながら自由律俳句へ進みました。荻原井泉水の『層雲』に参加し、出家後は托鉢と放浪を続けて『分け入つても分け入つても青い山』などを残しました。定型と季語に縛られず身体感覚と孤独を短い言葉へ凝縮し、放浪俳句を近代文学の一つの型として定着させました。一方、貧困と依存症を自由な旅として美化すると、周囲の援助や家族への負担が隠れ、句の成立事情も日記と後世の編集を照合して読む必要があります。

東久邇宮稔彦王

  • 生没年:1887年12月3日(明治20年12月3日)~1990年1月20日(平成2年1月20日)
  • 国:日本
  • 肩書き:皇族・陸軍軍人・第43代内閣総理大臣

皇族として陸軍教育を受け、フランス留学を経て陸軍大将となり、戦時期の軍中枢に近い立場を占めました。敗戦直後に首相へ就き、降伏文書調印、軍の解体、復員、占領軍受け入れを進め、五十四日で総辞職しました。唯一の皇族首相として戦争から占領への制度移行を担った経歴は、日本の敗戦処理を考えるうえで重要です。一方、『一億総懺悔』は指導者責任を国民全体へ拡散したと批判され、戦前の皇族軍人としての責任や戦後の新宗教・事業の混乱も含めて評価すべきです。

池田勇人

  • 生没年:1899年12月3日(明治32年12月3日)~1965年8月13日(昭和40年8月13日)
  • 国:日本
  • 肩書き:大蔵官僚・第58~60代内閣総理大臣

広島県に生まれ、大蔵官僚として戦時・占領期の財政を経験し、吉田茂の下で経済政策を担いました。首相として所得倍増計画を掲げ、貿易自由化、社会資本整備、教育拡大を進めて高度経済成長を政治の中心に据えました。安保闘争後の対立を生活向上の目標へ転換し、中間層意識と戦後日本の産業社会を形づくりました。一方、成長は公害、地域格差、過密と農村人口流出を伴い、『貧乏人は麦を食え』と要約された発言が示す生活者への鈍感さも批判されています。

石坂公成

  • 生没年:1925年12月3日(大正14年12月3日)~2018年7月6日(平成30年7月6日)
  • 国:日本
  • 肩書き:免疫学者

東京に生まれ、戦後の免疫学が抗体の種類とアレルギー機構を解明していく時期に医師・研究者となりました。妻の石坂照子らと共同で、即時型アレルギーを起こす免疫グロブリンEを発見し、その性質と反応機序を示しました。喘息、花粉症、アナフィラキシーの診断と治療研究を大きく進め、国際的なアレルギー学の標準概念を作りました。一方、発見を一人の男性研究者へ帰す語りは共同研究者、とくに照子の同等の貢献を薄め、基礎発見が患者の負担解消へ直結しない点にも注意が必要です。

ジョゼフ・コンラッド

  • 生没年:1857年12月3日~1924年8月3日
  • 国:ポーランド・イギリス
  • 肩書き:小説家

ロシア支配下ポーランドで亡命者の家庭に生まれ、フランス・イギリス商船の船員を経て英語で小説を書きました。『闇の奥』『ロード・ジム』『ノストローモ』で海、帝国、裏切り、語りの不確かさを多層的な構成によって描きました。非母語作家の文体と複数の語り手はモダニズム小説を先導し、植民地主義批判をめぐる文学研究の中心となりました。一方、アフリカ人を声なき背景として表象した点はチヌア・アチェベらに厳しく批判され、帝国批判が人種的想像力の限界を免れないことを読む必要があります。

アントン・ヴェーベルン

  • 生没年:1883年12月3日~1945年9月15日
  • 国:オーストリア
  • 肩書き:作曲家・指揮者

ウィーンで音楽学を学び、シェーンベルクの弟子として調性音楽の枠を越える新ウィーン楽派に加わりました。極端に短く凝縮した作品で十二音技法、音色旋律、点描的な楽器配置を追究し、作品全集も演奏時間数時間に収まります。戦後のブーレーズやシュトックハウゼンらはその構造を総音列技法の先駆として読み、前衛音楽の方向を決めました。一方、生前の政治的態度にはナチズムへの期待を示す記録があり、戦後の純粋な犠牲者像だけでは思想上の曖昧さと誤射死の歴史的背景を捉えられません。

アンナ・フロイト

  • 生没年:1895年12月3日~1982年10月9日
  • 国:オーストリア・イギリス
  • 肩書き:児童精神分析家

ウィーンでジークムント・フロイトの末娘として生まれ、教員経験を経て父の精神分析運動へ参加しました。『自我と防衛機制』で抑圧や投影などを整理し、亡命後のロンドンでは戦災児施設を運営して発達と養育環境を研究しました。子どもの治療に観察、教育、家族関係を組み込み、児童精神分析と発達心理学の制度化へ大きく貢献しました。一方、父による分析を受けた家族内の権力関係やメラニー・クライン派との論争があり、理論の多くは限られた臨床例に基づいて実証性を問われています。

ニーノ・ロータ

  • 生没年:1911年12月3日~1979年4月10日
  • 国:イタリア
  • 肩書き:作曲家

ミラノの音楽家家庭に生まれ、神童として作曲を始め、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院で古典的技法を磨きました。フェデリコ・フェリーニ作品のほか『ゴッドファーザー』『太陽がいっぱい』など百五十本以上の映画音楽を書きました。哀愁ある旋律とサーカス的音響を映像の記憶へ結びつけ、映画音楽を作品世界の語り手として定着させました。一方、親しみやすい旋律には自作旧作の再利用も多く、『ゴッドファーザー』の賞をめぐる資格問題が示すように独創性の評価は制作慣行と併せて考える必要があります。

ソール・ライター

  • 生没年:1923年12月3日~2013年11月26日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:写真家・画家

ピッツバーグのラビの家庭に生まれ、画家を志してニューヨークへ移り、戦後の街頭写真へ色彩感覚を持ち込みました。窓の曇り、反射、傘、看板で人物を部分的に隠し、商業ファッション写真と私的なカラー作品を並行して制作しました。報道性を重視した写真史の外で、色と抽象構成による都市の見方を先取りし、晩年の再発見後に世界的影響を与えました。一方、『忘れられた天才』という物語は同時代の女性・移民写真家や雑誌の編集労働を見えにくくし、後世の市場評価を当時の評価と混同してはなりません。

ジョン・バッカス

  • 生没年:1924年12月3日~2007年3月17日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:計算機科学者

第二次世界大戦後に数学を学び、機械語での煩雑な計算が大型計算機普及を妨げていたIBMへ入りました。チームを率いてFORTRANを開発し、さらに形式言語を記述するバッカス・ナウア記法と関数型計算の考えを提案しました。人間に近い記述で高速な機械語を生成する仕組みは科学技術計算を民主化し、プログラミング言語設計の基礎を作りました。一方、成果は大規模な共同開発であり、初期FORTRANは機械依存と命令型思考を強く残したため、一人の発明者像や直線的進歩史で語るべきではありません。

ジャン=リュック・ゴダール

  • 生没年:1930年12月3日~2022年9月13日
  • 国:フランス・スイス
  • 肩書き:映画監督・批評家

戦後パリの映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』周辺から登場し、既成の撮影所制度へ挑むヌーヴェルヴァーグを担いました。『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』などでジャンプカット、即興撮影、引用、音と画のずれを用いて映画文法を更新しました。商業映画、政治、広告、映像そのものを問い続ける実験は世界の監督、ビデオアート、批評理論へ大きく波及しました。一方、女性表象の対象化、毛沢東主義への接近、共同制作者との不均衡が批判され、晩年の自死を作品の過激さと安易に結びつけるべきでもありません。

12月3日に起きた歴史的な出来事

  • 1800年12月3日|ホーエンリンデンの戦い
    第二次対仏大同盟戦争でモロー率いるフランス軍がバイエルンの雪原でオーストリア軍を破りました。敗北したオーストリアは講和へ追い込まれ、フランス革命戦争終結とナポレオン体制の優位を決定づけました。なお、濃霧と森林で部隊が混乱し多数が死傷・捕虜となったため、戦略地図だけで兵士の過酷な経験を抽象化できません。
  • 1818年12月3日|イリノイ州成立
    旧北西部領土から発展したイリノイが合衆国二十一番目の州として連邦へ加入しました。五大湖とミシシッピ水系を結ぶ位置は農業、運河、鉄道、都市シカゴの成長を支えました。なお、州形成は先住民の土地喪失と強制移住の上に進み、奴隷制禁止にもかかわらず黒人の権利制限が残りました。
  • 1888年12月3日(明治21年12月3日)|香川県再置
    愛媛県から讃岐地域が分離して香川県が再設置され、現在につながる四十七都道府県の区画が整いました。明治初期に繰り返された府県統合の最終段階として、地方行政と地域アイデンティティの枠を固定しました。なお、境界確定は中央政府の行政効率を優先し、住民の生活圏や少数意見が必ずしも十分反映されたわけではありません。
  • 1904年12月3日|木星衛星ヒマリア発見
    リック天文台のチャールズ・パーラインが写真乾板から木星の第六衛星、のちのヒマリアを発見しました。ガリレオ衛星以外の小型外衛星研究を進め、太陽系天体の捕獲と軌道進化を考える材料になりました。なお、発見日は観測と確認、公表の日が区別される場合があり、名称と番号も後年確定したことを踏まえる必要があります。
  • 1910年12月3日|ネオン管の公開
    フランスの技術者ジョルジュ・クロードがパリのモーターショーでネオン放電管を一般公開しました。高電圧放電による鮮烈な光は広告、都市景観、照明デザインを変え、ネオンサイン産業を生みました。なお、華やかな夜景は大量消費と電力利用の象徴でもあり、製造時の高電圧・ガス管理と光害の問題を伴います。
  • 1916年12月3日(大正5年12月3日)|若松渡船沈没
    福岡県若松市の渡船が定員を大幅に超える乗客を乗せて沈没し、女性工員ら約百三十人が死亡しました。工業都市の通勤輸送と安全規制の欠陥を露呈し、過密運航と救命設備の改善を求める契機となりました。なお、犠牲者の多くが名の残りにくい労働者であり、単なる海難ではなく企業・行政の安全責任として記憶すべきです。
  • 1926年12月3日(大正15年12月3日)|円本刊行開始
    改造社が一冊一円の『現代日本文学全集』を刊行し、予約販売と大量印刷による円本ブームが始まりました。文学全集を中間層へ広げ、出版流通、作家収入、家庭の読書文化を大きく変えました。なお、安価さは市場集中と過剰競争を招き、正典化された作家以外や女性・植民地出身作家を周縁化した選集構成にも注意が必要です。
  • 1947年12月3日|『欲望という名の電車』初演
    テネシー・ウィリアムズの戯曲がブロードウェーで初演され、エリア・カザンが演出しました。欲望、階級、ジェンダー、精神の崩壊を生々しく描き、戦後アメリカ演劇と演技法へ大きな影響を与えました。なお、性暴力と精神疾患の描写は長く男性側の視点で上演され、作品の名声と登場人物への暴力を批判的に読み直す必要があります。
  • 1948年12月3日(昭和23年12月3日)|世界初の魚群探知機発売
    古野電気が超音波反射を利用して魚群の位置を船上に示す実用的な魚群探知機を発売しました。漁業の探索効率と航海技術を高め、日本発の海洋電子機器産業を発展させました。なお、漁獲効率の向上は資源の過剰利用も加速しうるため、技術革新は漁獲規制と生態系管理を伴わなければなりません。
  • 1966年12月3日|マカオ一二・三事件
    ポルトガル統治下マカオで学校建設をめぐる衝突から、中国系住民の抗議とゼネストが拡大しました。植民地政府が謝罪して中国側の要求を受け入れ、以後の統治で中国系団体の影響が決定的に強まりました。なお、文化大革命の政治動員も背景にあり、警察発砲による死傷者と双方の威圧を単純な民族解放物語へ還元できません。
  • 1967年12月3日|世界初の人から人への心臓移植
    南アフリカのケープタウンでクリスチャン・バーナードのチームが、事故死した提供者の心臓を患者へ移植しました。臓器移植外科の可能性を世界へ示し、脳死判定、提供同意、免疫抑制研究を急速に進めました。なお、受容者は十八日後に感染症で死亡し、アパルトヘイト下の医療格差と黒人スタッフの貢献が長く過小評価された点も重要です。
  • 1971年12月3日|第三次印パ戦争開戦
    東パキスタンの独立戦争と難民危機の中、パキスタン空軍のインド基地攻撃を契機に全面戦争となりました。インド軍と独立勢力の勝利によりバングラデシュ誕生が決定し、南アジアの国境と勢力均衡を変えました。なお、戦争以前から大量虐殺、性暴力、強制移住が起き、勝敗中心の軍事史ではベンガル住民の被害を捉えられません。
  • 1973年12月3日|パイオニア10号の木星接近
    米探査機パイオニア10号が人類の探査機として初めて木星近傍を通過し、画像と磁場・放射線データを送信しました。外惑星探査の航法と耐放射線設計を実証し、後続のボイジャーやガリレオ計画へ道を開きました。なお、画像の粗さや計器の限界を現在の観測と混同できず、惑星保護と宇宙ごみの倫理も後世の課題となりました。
  • 1989年12月3日|マルタ会談で冷戦終結を確認
    米大統領ジョージ・H・W・ブッシュとソ連書記長ミハイル・ゴルバチョフが地中海の艦上で会談しました。東欧革命が進む中で両首脳が対立時代の終結を確認し、軍縮と欧州秩序再編を加速させました。なお、正式な平和条約ではなく、ソ連国内の危機や地域紛争、核兵器が残ったため、一日で冷戦が完全に終わったとはいえません。
  • 1994年12月3日(平成6年12月3日)|初代PlayStation発売
    ソニー・コンピュータエンタテインメントがCD-ROMを用いる家庭用ゲーム機PlayStationを日本で発売しました。三次元CGと外部開発者向け環境を普及させ、ゲーム産業の流通、表現、国際競争を転換しました。なお、長時間利用や暴力表現をめぐる論争、開発費高騰と労働負担も広がり、技術革新だけを成功指標にできません。
  • 1997年12月3日|対人地雷禁止条約署名開始
    オタワで各国代表が対人地雷の使用、貯蔵、生産、移譲を禁じ、廃棄を義務づける条約へ署名しました。市民を戦後も殺傷する兵器を人道の観点から禁止し、NGOと被害者が軍縮外交を動かした画期となりました。なお、主要保有国の一部が未加入で、地雷除去と被害者支援の資金不足も続くため、条約成立だけで危険は解消していません。
  • 2014年12月3日(平成26年12月3日)|はやぶさ2打ち上げ
    JAXAの小惑星探査機はやぶさ2が種子島宇宙センターからH-IIAロケットで打ち上げられました。小惑星リュウグウで地下物質を採取して地球へ届け、太陽系初期と生命材料の研究を進めました。なお、長期計画は公的資金と多数の企業・研究者の協働で成り立ち、英雄的成功談だけで失敗リスクや宇宙活動の環境負荷を隠せません。

関連記事

12月3日前後の偉人と出来事

12月3日生まれの人物