10月20日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

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10月20日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢40名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!

【日本】10月20日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、10月20日と一致する人物だけを掲載しています。

生年人物名肩書き
1733年杉田玄白蘭方医・『解体新書』翻訳者
1775年京極高有豊岡藩主
1780年鍋島斉直佐賀藩主
1793年渡辺崋山画家・田原藩家老
1819年遠山友禄苗木藩主
1865年石橋忍月文芸評論家・小説家
1879年河上肇経済学者・社会思想家
1900年赤堀四郎生化学者
1902年吉川清一実業家・丸善石油社長
1905年中川信夫映画監督
1906年坂口安吾小説家・評論家
1907年大伴麟三映画監督
1909年杉山寧日本画家
1911年石津謙介ファッションデザイナー
1923年三野重和実業家・クボタ社長
1925年野中広務政治家・内閣官房長官
1931年小野直広心理学者
1932年石田勝心映画監督
1934年眉村卓小説家

※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。

【海外】10月20日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

生年人物名肩書き
1620年アルベルト・カイプオランダの画家
1632年クリストファー・レンイギリスの建築家・天文学者
1784年第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルイギリス首相
1819年カール・ミクリポーランドのピアニスト・作曲家
1822年トマス・ヒューズイギリスの作家・社会改革家
1854年アルチュール・ランボーフランスの詩人
1859年ジョン・デューイアメリカの哲学者・教育学者
1874年チャールズ・アイヴズアメリカの作曲家
1882年ベラ・ルゴシハンガリー出身の俳優
1891年ジェームズ・チャドウィックイギリスの物理学者
1897年アドルフ・ドイチュイギリスの作曲家・編曲家
1901年アデレイド・ホールアメリカ出身のジャズ歌手
1904年エノリア・マクミランアメリカの公民権運動家・教育者
1905年フレデリック・ダネイアメリカの推理作家・編集者
1910年ロバート・ピロッシュアメリカの脚本家・映画監督
1913年グランパ・ジョーンズアメリカの音楽家
1914年フェイヤード・ニコラスアメリカのダンサー・振付家
1917年ステファン・エセルフランスの外交官・人権活動家
1923年オトフリート・プロイスラードイツの児童文学作家
1925年アート・バックウォルドアメリカの風刺作家
1928年李鵬中華人民共和国国務院総理

10月20日生まれの代表的な偉人

杉田玄白

  • 生没年:1733年10月20日(享保18年9月13日)~1817年6月1日(文化14年4月17日)
  • 国:日本
  • 肩書き:蘭方医・翻訳者

若狭小浜藩医の家に生まれ、江戸で外科を学び、前野良沢らと小塚原の腑分けを見学しました。オランダ語解剖書を共同翻訳した『解体新書』を1774年に刊行し、人体理解と蘭学の社会的信頼を大きく高めました。晩年の『蘭学事始』は翻訳の苦闘と学問ネットワークを後世へ伝えました。一方、『解体新書』は良沢、桂川甫周、絵師小田野直武、腑分けを担った人々の共同成果です。死刑囚の遺体利用と被差別身分の解剖技術を無名化した医学史の倫理にも注意が必要です。

渡辺崋山

  • 生没年:1793年10月20日(寛政5年9月16日)~1841年11月23日(天保12年10月10日)
  • 国:日本
  • 肩書き:画家・田原藩家老

江戸の田原藩邸に生まれ、家計を支えるため肖像画を描きながら藩政と蘭学に携わりました。写実的な肖像と山水画を制作し、『慎機論』で幕府の対外政策を批判しました。蛮社の獄で処罰され、国元で蟄居中に自害した生涯は、学問と言論統制の象徴となりました。一方、開明的知識人としての評価だけで、藩財政改革が農民へ課した負担を見落とせません。自害を高潔な殉教として美化せず、幕府の監視と家臣倫理が追い込んだ構造を見る必要があります。

河上肇

  • 生没年:1879年10月20日(明治12年10月20日)~1946年1月30日(昭和21年1月30日)
  • 国:日本
  • 肩書き:経済学者・社会思想家

山口県の旧藩士家庭に生まれ、京都帝国大学で経済学を教え、貧困と資本主義の矛盾を社会へ問いかけました。『貧乏物語』は富の偏在と奢侈を平易に論じ、後にマルクス経済学へ進んで『資本論』研究と翻訳に取り組みました。共産党への資金援助で投獄され、知識人の社会的責任を体現しました。一方、初期の貧困論には慈善主義と禁欲道徳の限界があり、構造的搾取の理解も変化しました。党への献身と自己批判を一貫した英雄像へ整えると、理論上の転換と組織政治の緊張が隠れます。

坂口安吾

  • 生没年:1906年10月20日(明治39年10月20日)~1955年2月17日(昭和30年2月17日)
  • 国:日本
  • 肩書き:小説家・評論家

新潟の政治家家庭に生まれ、東洋大学でインド哲学を学び、同人誌と翻訳を経て文学活動へ入りました。敗戦直後の『堕落論』『白痴』で、戦時道徳と天皇制的な自己欺瞞を暴き、人間の弱さから再出発する思想を示しました。歴史小説、推理小説、随筆を横断し、戦後文学と大衆文化へ強い影響を残しました。一方、「堕ちる」個人の自由は女性の家事・性愛を男性作家の救済へ用いる面があります。薬物依存と破天荒さを無頼派の魅力として美化せず、家族と周囲が負った負担も見る必要があります。

クリストファー・レン

  • 生没年:1632年10月20日~1723年3月8日
  • 国:イングランド
  • 肩書き:建築家・天文学者

ウィルトシャーの聖職者家庭に生まれ、オックスフォードで数学と天文学を研究し、王立協会創設期の実験科学を担いました。1666年のロンドン大火後、セント・ポール大聖堂と多数の教区教会を設計し、古典主義と構造技術を都市復興へ結び付けました。建築家という職能と科学的設計の形成に大きな影響を与えました。一方、作品は職人、測量士、石工、委員会との共同成果であり、レン一人の都市計画ではありません。復興事業が貧困層を排除し、国教会と王権の威信を空間化した点も検討が必要です。

第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル

  • 生没年:1784年10月20日~1865年10月18日
  • 国:イギリス
  • 肩書き:政治家・首相

アイルランド貴族の家に生まれ、長く陸軍大臣・外相を務めた後、首相として自由党政治を率いました。列強の均衡と海軍力を使い、ベルギー独立、クリミア戦争、イタリア統一など欧州外交へ強い影響を与えました。議会政治と世論を結ぶ活動的な外交は「砲艦外交」の典型となりました。一方、アヘン戦争、インド支配、中国への武力行使を正当化し、帝国の商業利益を他地域の主権より優先しました。国内での人気を自由主義と同一視せず、植民地住民が負った暴力から評価すべきです。

アルチュール・ランボー

  • 生没年:1854年10月20日~1891年11月10日
  • 国:フランス
  • 肩書き:詩人

アルデンヌ地方に生まれ、十代で家出と反抗を重ねながら、普仏戦争とパリ・コミューン前後の動乱を詩へ取り込みました。『地獄の季節』『イリュミナシオン』で感覚の錯乱、散文詩、主体の変容を追究し、象徴主義からシュルレアリスムへ決定的な影響を与えました。二十歳前後で文学を離れ、アフリカ交易へ転じた生涯も神話化されました。一方、天才少年の反抗だけを称えるとヴェルレーヌとの暴力的関係や女性・家族の役割が消えます。東アフリカでの武器・象牙交易と植民地経済への関与も作品の自由と切り離せません。

ジョン・デューイ

  • 生没年:1859年10月20日~1952年6月1日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:哲学者・教育学者

バーモント州に生まれ、哲学と心理学を学び、シカゴ大学実験学校で経験に基づく教育を実践しました。『民主主義と教育』などで、知識を固定した真理ではなく問題解決の道具と捉え、学校を協働的民主社会の場と位置付けました。進歩主義教育、公共哲学、社会改革へ世界的影響を与えました。一方、「子ども中心」が基礎知識を軽視すると受け取られたことや、実験学校で妻アリスらの貢献が過小評価された問題があります。アメリカ民主主義論も人種差別と帝国主義への分析が不十分でした。

チャールズ・アイヴズ

  • 生没年:1874年10月20日~1954年5月19日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:作曲家・保険業者

コネティカット州の楽隊長の家に生まれ、イェール大学で学ぶ一方、保険業で成功して作曲を私的に続けました。行進曲、賛美歌、民謡を異なる調性と拍子で同時に鳴らし、『答えのない質問』『コンコード・ソナタ』など実験的作品を生みました。生前の演奏機会は少なかったものの、後世のアメリカ音楽と前衛へ大きな影響を与えました。一方、孤立した先駆者像は同時代の演奏者と編集者による普及を隠します。男性的な「頑健さ」を芸術価値と結ぶ発言や、事業家としての特権も批判的に見る必要があります。

ジェームズ・チャドウィック

  • 生没年:1891年10月20日~1974年7月24日
  • 国:イギリス
  • 肩書き:物理学者

マンチェスター近郊に生まれ、ラザフォードのもとで原子核研究を行い、第一次世界大戦中はドイツで抑留されました。1932年に電荷を持たない中性子を実験的に確認し、原子核構造、同位体、核分裂研究を飛躍させました。この発見でノーベル物理学賞を受賞し、マンハッタン計画の英国代表も務めました。一方、中性子物理は原子力と医療へ貢献すると同時に核兵器を可能にしました。本人の戦争協力を不可避な科学進歩として免責せず、広島・長崎と軍拡への責任を考える必要があります。

エノリア・マクミラン

  • 生没年:1904年10月20日~2006年10月24日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:教育者・公民権運動家

メリーランド州に生まれ、教師として黒人学校の資源不足と賃金差別に直面しました。大学院教育を受けた後、州内の黒人教師給与平等運動を組織し、全米黒人地位向上協会で長く活動しました。1984年にNAACP初の女性全国会長となり、女性と教育者の指導力を公民権運動史へ刻みました。一方、会長職は象徴的前進でも、組織内の資金問題や世代間対立を解消しませんでした。有名な男性指導者中心の歴史が、地方女性教師の継続的組織労働を隠してきた点も重要です。

ステファン・エセル

  • 生没年:1917年10月20日~2013年2月26日
  • 国:フランス
  • 肩書き:外交官・人権活動家

ベルリンのユダヤ系家庭に生まれフランスへ移住し、自由フランスに参加して逮捕・強制収容所収監を経験しました。戦後は外交官として国連に勤務し、世界人権宣言作成期のフランス代表団に加わりました。九十代の小冊子『怒れ!』は不平等と政治的無関心への抗議を各国の若者へ促しました。一方、宣言の「起草者」と単独で呼ぶのは役割を誇張し、多国籍の女性を含む委員の貢献を隠します。パレスチナ支持発言を含む後年の政治姿勢も、象徴的良心として無批判に扱うべきではありません。

オトフリート・プロイスラー

  • 生没年:1923年10月20日~2013年2月18日
  • 国:ドイツ
  • 肩書き:児童文学作家

チェコスロバキアのドイツ語圏に生まれ、第二次世界大戦へ従軍しソ連の捕虜収容所から帰還した後、小学校教師となりました。『大どろぼうホッツェンプロッツ』『クラバート』『小さい魔女』で民話を再構成し、恐怖、権力、自由を子どもの視点から描きました。作品は多数の言語へ翻訳され、戦後児童文学の古典となりました。一方、青年期にナチ体制下で書いた作品と所属を長く公にしなかった問題があります。後年の語句改訂も、差別表現の修正と歴史の消去のどちらかだけで捉えられません。

10月20日に起きた歴史的な出来事

  • 1687年10月20日|ペルー地震
    リマとカヤオ周辺を巨大地震と津波が襲い、数千人が死亡したと伝えられます。植民地都市の建築と防災を変えましたが、被害記録は支配層と教会中心で、先住民・アフリカ系住民の死や復旧労働が十分残されていません。
  • 1827年10月20日|ナヴァリノの海戦
    ギリシャ独立戦争で英仏露連合艦隊がオスマン・エジプト艦隊を撃破しました。ギリシャ独立を決定的に後押ししましたが、正式な宣戦前の戦闘で多数の水兵が死亡し、大国の介入が地域住民の自己決定を左右しました。
  • 1870年10月20日|第1バチカン公会議閉会
    ローマ占領によって公会議が休会・閉会し、教皇不可謬性を定めた会議は中断されました。近代国家とカトリック教会の関係を再編しましたが、中央集権化は司教団や信徒の多様な意見を狭め、反対派との分裂を生みました。
  • 1883年10月20日|アンコン条約調印
    太平洋戦争を戦ったチリとペルーが講和し、ペルーはタラパカを割譲しました。硝石資源と国境をめぐる戦争を終結へ向かわせましたが、占領、住民の国籍変更、先住民地域の分割、ボリビアの内陸国化という長期的対立を残しました。
  • 1885年10月20日(明治18年10月20日)|日本がメートル条約へ加盟
    日本が国際的な度量衡標準を定めるメートル条約に加盟し、科学・貿易・工業の単位統一へ進みました。近代産業の基盤となりましたが、尺貫法との併存は長く続き、国家による標準化が地域の慣行を一方的に劣位化する面もありました。
  • 1927年10月20日(昭和2年10月20日)|大隈講堂竣工
    早稲田大学に大隈重信を記念する講堂が完成し、式典、演説、演劇の公共空間となりました。大学の象徴的建築として親しまれましたが、教育機関の顕彰が政治家個人の権力と植民地期の大学制度を無批判に記念する危険もあります。
  • 1933年10月20日(昭和8年10月20日)|屋島丸沈没
    暴風雨の神戸沖で客船屋島丸が沈没し、乗客・船員六十人以上が死亡、行方不明となりました。気象情報と船舶安全の限界を示しました。台風という自然要因だけでなく、出航判断、救命設備、事業者と行政の責任を検証すべき事故です。
  • 1944年10月20日|米軍がレイテ島へ上陸
    マッカーサー指揮下の米軍がフィリピンのレイテ島に上陸し、同地の大規模戦闘が始まりました。日本占領からの解放へ向かう転機でしたが、日本軍、米軍、ゲリラの戦闘と飢餓でフィリピン民間人が甚大な犠牲を負いました。
  • 1949年10月20日(昭和24年10月20日)|『きけ わだつみのこえ』刊行
    戦没学生の遺稿を集めた書籍が刊行され、戦争で奪われた若い知性の声を戦後社会へ伝えました。反戦平和運動の重要な文献となりましたが、編集による文章選択、学徒以外の兵士やアジアの被害者が周縁化される点に注意が必要です。
  • 1950年10月20日|国連軍が平壌を占領
    朝鮮戦争で米韓を中心とする国連軍が北朝鮮の首都平壌を占領しました。戦線は中国国境へ接近し、中国人民志願軍の介入を招きました。占領と反攻の中で処刑、避難、空爆が続き、民間人の被害と分断が深まりました。
  • 1961年10月20日(昭和36年10月20日)|舞台『放浪記』初演
    菊田一夫脚本、森光子主演の『放浪記』が芸術座で初演され、林芙美子の生涯を描く長寿公演へ発展しました。女性主演の商業演劇史に大きな足跡を残しましたが、実在作家の貧困と複雑な戦争責任が成功物語へ整理される点は検討が必要です。
  • 1963年10月20日(昭和38年10月20日)|日生劇場開場
    東京・日比谷に村野藤吾設計の日生劇場が開場し、オペラ、演劇、ミュージカルの拠点となりました。企業メセナと独特の建築空間を示しましたが、文化施設の集中、企業の宣伝効果、上演労働の不安定さも公共文化の評価に含める必要があります。
  • 1967年10月20日(昭和42年10月20日)|代々木公園開園
    旧陸軍練兵場、米軍住宅、東京五輪選手村を経た土地に都立代々木公園が開園しました。大都市の緑地と集会空間になりましたが、軍用地と占領の歴史、野宿者の排除、イベント利用と市民の自由な使用の衝突も抱えています。
  • 1973年10月20日|土曜日の夜の虐殺
    ニクソン米大統領がウォーターゲート事件の特別検察官解任を命じ、司法長官らが辞任しました。大統領権力と司法独立をめぐる憲政危機となりました。制度が最終的に働いた成功だけでなく、権力者の違法行為を止めるまでの遅れを重視すべきです。
  • 1973年10月20日|シドニー・オペラハウス開場
    デンマークの建築家ヨーン・ウッツォンが基本設計した劇場が正式開場しました。構造工学と造形の世界的象徴となりましたが、費用超過と政治介入でウッツォンは完成前に離脱し、建設地ベネロング・ポイントの先住民史も長く軽視されました。
  • 1982年10月20日|ルジニキの惨事
    モスクワのルジニキ競技場でサッカー試合終了時に観客が狭い階段へ集中し、多数が圧死しました。公式発表は長く死者数を過少に伝えました。観客の行動だけでなく、出口管理、警備判断、国家の情報隠蔽が被害と記憶を深刻化させました。
  • 1991年10月20日|ウッタルカシ地震
    インド北部ヒマラヤ地域で大地震が起き、千人を超える人々が死亡し、多数の村落が被災しました。山地の建築耐震性と救援アクセスの課題を示しました。貧困、道路開発、斜面環境の変化が自然現象を社会的災害へ拡大しました。
  • 2011年10月20日|ムアンマル・カッザーフィー死亡
    リビア内戦で旧指導者カッザーフィーがシルトで反政府勢力に拘束された後、死亡しました。四十二年の独裁は終わりましたが、裁判を経ない殺害の疑い、NATO介入、武装勢力の乱立により、民主化より長期的な国家分裂と暴力が続きました。

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