
10月19日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢35名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】10月19日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、10月19日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1878年 | 岡田正平 | 農業技術者・新潟県知事 |
| 1894年 | 加藤常賢 | 漢学者・中国思想史研究者 |
| 1898年 | 鎌倉芳太郎 | 染織家・沖縄文化研究者 |
| 1899年 | 山本豊市 | 彫刻家 |
| 1899年 | 仁田勇 | 物理化学者・結晶化学者 |
| 1912年 | 山田一雄 | 指揮者・作曲家 |
| 1913年 | 星野和平 | 実業家・映画プロデューサー |
| 1917年 | 鈴木晰成 | 映画プロデューサー・作家 |
| 1923年 | 牛田正郎 | 実業家・日本熱学工業社長 |
| 1927年 | 童門冬二 | 歴史小説家 |
| 1930年 | 三浦浩 | 小説家 |
| 1936年 | 佐藤大五郎 | 将棋棋士 |
| 1938年 | 阿奈井文彦 | ノンフィクション作家 |
| 1938年 | 米沢富美子 | 理論物理学者 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】10月19日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1433年 | マルシリオ・フィチーノ | フィレンツェの哲学者・翻訳家 |
| 1688年 | ウィリアム・チェゼルデン | イギリスの外科医・解剖学者 |
| 1851年 | 閔妃 | 朝鮮王妃 |
| 1862年 | オーギュスト・リュミエール | フランスの映画技術者・実業家 |
| 1871年 | ウォルター・B・キャノン | アメリカの生理学者 |
| 1882年 | ウンベルト・ボッチョーニ | イタリアの画家・彫刻家 |
| 1892年 | イルマリ・ハンニカイネン | フィンランドの作曲家・ピアニスト |
| 1892年 | 陳公博 | 中華民国の政治家 |
| 1899年 | ミゲル・アンヘル・アストゥリアス | グアテマラの小説家・外交官 |
| 1901年 | アーレイ・バーク | アメリカ海軍軍人 |
| 1908年 | ゲイル・トヴェイト | ノルウェーの作曲家 |
| 1909年 | マルグリット・ペレー | フランスの物理学者 |
| 1910年 | スブラマニアン・チャンドラセカール | インド出身の天体物理学者 |
| 1913年 | ヴィニシウス・ヂ・モライス | ブラジルの詩人・外交官 |
| 1916年 | エミール・ギレリス | ソ連のピアニスト |
| 1922年 | ジャック・アンダーソン | アメリカの調査報道記者 |
| 1924年 | ルボミール・シュトラウガル | チェコスロバキア首相 |
| 1931年 | ジョン・ル・カレ | イギリスの小説家 |
| 1932年 | ロバート・リード | アメリカの俳優 |
| 1939年 | 呉天明 | 中国の映画監督 |
| 1940年 | マイケル・ガンボン | アイルランド出身の俳優 |
10月19日生まれの代表的な偉人
鎌倉芳太郎
- 生没年:1898年10月19日(明治31年10月19日)~1983年8月3日(昭和58年8月3日)
- 国:日本
- 肩書き:染織家・沖縄文化研究者
香川県に生まれ、東京美術学校で図案を学び、教員として赴任した沖縄で首里城、工芸、民俗の調査を始めました。大正末から昭和初期に撮影・筆写した写真とノートは、沖縄戦で失われた建築・美術を復元する第一級資料となりました。戦後は紅型の制作でも重要無形文化財保持者となり、研究と実作を結びました。一方、文化財を「発見・保存」する本土研究者の権威は、沖縄側の担い手と知識の所有権を見えにくくします。琉球文化を日本文化へ包摂する枠組みと植民地主義的視線も検討が必要です。
仁田勇
- 生没年:1899年10月19日(明治32年10月19日)~1984年1月16日(昭和59年1月16日)
- 国:日本
- 肩書き:物理化学者・結晶化学者
東京に生まれ、東京帝国大学で物理化学を学び、欧州留学後に大阪帝国大学で結晶化学の研究室を築きました。X線回折を用いてペンタエリトリトールなどの結晶構造と相転移を解明し、日本の構造化学を国際水準へ押し上げました。高分子と物性研究の人材育成にも大きく寄与し、文化勲章を受けました。一方、大型装置と大学制度に支えられた成果を個人名だけへ集中させるべきではありません。戦時下の帝国大学科学が軍需・産業政策と結び付いた環境や、女性研究者の参入が限られた制度も評価に含める必要があります。
山田一雄
- 生没年:1912年10月19日(大正元年10月19日)~1991年8月13日(平成3年8月13日)
- 国:日本
- 肩書き:指揮者・作曲家
東京に生まれ、東京音楽学校で作曲とピアノを学び、若くして新交響楽団を指揮しました。戦後はNHK交響楽団をはじめ国内外の楽団で日本人作品と西洋古典を広く取り上げ、オペラと合唱にも尽力しました。演奏・作曲・教育を横断し、日本の職業指揮者文化の確立に寄与しました。一方、指揮者中心の評価は楽団員、合唱団、舞台スタッフの共同制作を隠しがちです。戦前・戦中の音楽界が国家行事と総動員体制に組み込まれた経緯も、戦後文化の出発点として検証すべきです。
米沢富美子
- 生没年:1938年10月19日(昭和13年10月19日)~2019年1月17日(平成31年1月17日)
- 国:日本
- 肩書き:理論物理学者
大阪に生まれ、京都大学で物理学を学び、結晶のような周期性を持たないアモルファス物質の電子状態を理論的に研究しました。コヒーレント・ポテンシャル近似の発展に貢献し、乱れた系の物性理解を進めました。日本物理学会初の女性会長となり、研究と子育てを両立した経験から女性研究者の環境改善を訴えました。一方、個人の超人的努力を成功モデルにすると、ケア負担と雇用差別を制度ではなく本人の能力へ転嫁します。科学界のジェンダー不均衡は象徴的登用だけでは解決しないという本人の問題提起を受け止める必要があります。
マルシリオ・フィチーノ
- 生没年:1433年10月19日~1499年10月1日
- 国:フィレンツェ共和国
- 肩書き:哲学者・翻訳家
フィレンツェ近郊に生まれ、メディチ家の支援を受けてプラトン全集と新プラトン主義文献をラテン語へ翻訳しました。『プラトン神学』で魂の不死と宇宙の連続性を論じ、キリスト教と古代哲学を統合しました。翻訳と書簡のネットワークはルネサンス人文主義、芸術、自然哲学へ広い影響を与えました。一方、「プラトン・アカデミー」を近代的な学校のように描く通説には誇張があります。占星術や魔術的自然観を非合理として切り捨てるのも、逆に秘教の大家として美化するのも歴史的文脈を失います。
ウォルター・B・キャノン
- 生没年:1871年10月19日~1945年10月1日
- 国:アメリカ
- 肩書き:生理学者
ウィスコンシン州に生まれ、ハーバード大学医学部でX線を使った消化運動の観察から生理学研究を始めました。交感神経と副腎の反応を「闘争か逃走か」と表現し、体内環境を一定に保つ働きをホメオスタシスとして体系化しました。その概念は医学、心理学、生態学、制御理論へ広い影響を与えました。一方、動物実験は侵襲と苦痛を伴い、当時の倫理基準を現在の視点から検討する必要があります。均衡を健康の標準とするモデルも、慢性疾患や社会的ストレスの複雑さを単純化する場合があります。
ウンベルト・ボッチョーニ
- 生没年:1882年10月19日~1916年8月17日
- 国:イタリア
- 肩書き:画家・彫刻家
南イタリアに生まれ各地で育ち、ミラノで未来派運動の中心となりました。『街路の力』『空間における連続性の唯一の形態』で、速度、機械、都市、身体の運動を分解・重層化しました。絵画と彫刻の境界を越える理論は20世紀美術とデザインへ大きな影響を残しました。一方、未来派の戦争賛美、男性性、国家主義はファシズム文化へ接続しました。第一次世界大戦従軍中の死を前衛芸術家の殉教として美化せず、本人が称揚した暴力の現実と結び付けて評価すべきです。
ミゲル・アンヘル・アストゥリアス
- 生没年:1899年10月19日~1974年6月9日
- 国:グアテマラ
- 肩書き:小説家・外交官
グアテマラシティに生まれ、独裁政権下の経験とパリでのマヤ研究を通じて文学を形成しました。『大統領閣下』『緑の法王』『トウモロコシの人間たち』で独裁、外国資本、先住民世界を神話的言語と社会批判で描きました。ラテンアメリカ文学の国際化に寄与し、ノーベル文学賞を受賞しました。一方、先住民文化の代弁者という評価は、非先住民知識人がマヤの声を再構成する権力差を隠します。外交官として国家に仕えた経歴と作品の革命性の緊張も見る必要があります。
マルグリット・ペレー
- 生没年:1909年10月19日~1975年5月13日
- 国:フランス
- 肩書き:物理学者・化学者
パリ近郊に生まれ、家計の事情から大学ではなく技術者養成課程へ進み、キュリー研究所でマリ・キュリーの助手となりました。アクチニウムの精製中に元素87を発見し、フランシウムと命名しました。後にストラスブール大学教授と科学アカデミー初の女性正会員となり、女性科学者の壁を破りました。一方、助手の熟練労働は長く研究代表者の名に隠され、放射線防護の不十分さが本人のがんと死につながりました。発見競争の栄光と、研究者が負った身体的リスクを併記すべきです。
スブラマニアン・チャンドラセカール
- 生没年:1910年10月19日~1995年8月21日
- 国:インド・アメリカ
- 肩書き:天体物理学者
英領インドのラホールに生まれ、ケンブリッジへの船旅の中で相対論的電子縮退圧を計算しました。白色矮星が一定質量を超えると安定できない「チャンドラセカール限界」を示し、恒星進化とブラックホール理論の基礎を築きました。厳密な数理研究を多分野へ展開し、ノーベル物理学賞を受賞しました。一方、エディントンによる公然の否定は植民地出身の若手研究者が直面した権威と人種の問題を示します。個人の忍耐の成功譚だけで、制度的排除を見えなくしてはなりません。
ヴィニシウス・ヂ・モライス
- 生没年:1913年10月19日~1980年7月9日
- 国:ブラジル
- 肩書き:詩人・外交官・作詞家
リオデジャネイロに生まれ、詩人と外交官として活動しながら音楽家たちと交流しました。アントニオ・カルロス・ジョビンと『黒いオルフェ』を制作し、『イパネマの娘』などの詞でボサノヴァを世界へ広げました。口語的な愛の詩とアフロ・ブラジル文化を舞台・歌へ結ぶ役割を果たしました。一方、黒人文化の表象を白人中上流知識人が仲介した権力差があります。多数の結婚と女性をミューズ化する作風、軍事政権による追放と本人の特権の両方を評価に含める必要があります。
エミール・ギレリス
- 生没年:1916年10月19日~1985年10月14日
- 国:ソビエト連邦
- 肩書き:ピアニスト
オデーサのユダヤ人家庭に生まれ、幼少期からピアノを学び、全ソ連音楽コンクールと国際コンクールで頭角を現しました。ベートーヴェン、ブラームス、プロコフィエフなどで強靭な構造と豊かな音色を両立し、冷戦期に西側で成功したソ連演奏家となりました。録音は現在も標準的解釈として参照されています。一方、国家は演奏旅行を文化外交へ利用し、レパートリーと移動を管理しました。孤高の巨匠像だけでなく、ユダヤ人差別、検閲、教師・録音スタッフの共同環境を見る必要があります。
ジョン・ル・カレ
- 生没年:1931年10月19日~2020年12月12日
- 国:イギリス
- 肩書き:小説家
イングランドに生まれ、詐欺師の父との不安定な家庭経験を経て、情報機関勤務のかたわら小説を書き始めました。『寒い国から帰ってきたスパイ』『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』で、冷戦諜報を忠誠と裏切りの道徳的灰色として描きました。スパイ小説を政治と心理の本格文学へ押し広げました。一方、情報機関員としての経験は作品の権威を高める一方、秘密活動の被害者を外側に置きます。後年の反戦・企業批判にも、男性エリート中心の視点と女性人物の扱いへの批判があります。
10月19日に起きた歴史的な出来事
- 1216年10月19日|イングランド王ジョン死去
マグナ・カルタをめぐる内戦中、ジョン王が死去し、幼いヘンリー3世が継承しました。反乱諸侯の一部が王党へ戻る契機となりましたが、王権と貴族の妥協は農民や都市下層の政治参加を意味せず、フランス軍との戦闘も続きました。 - 1453年10月19日|シャルル7世がボルドーへ入城
フランス王軍がボルドーを確保し、カレーを除く英領の喪失によって百年戦争は実質的に終結しました。王権集中とフランス国家形成を進めましたが、長期戦争、課税、略奪、疫病で地域住民が負った損害は王朝の勝利だけでは語れません。 - 1466年10月19日|第二次トルンの和約
ポーランド王国とドイツ騎士団の戦争が終結し、王領プロイセンがポーランド側へ移りました。バルト海交易と地域秩序を変えましたが、都市・農村の住民は複数の君主権と宗派政策に従属し、後世の民族国家が単純に領有根拠へ使えません。 - 1469年10月19日|アラゴン王子フェルナンドとカスティーリャ王女イサベル結婚
両王国の後継者が結婚し、後のスペイン王権統合の基盤を作りました。大西洋進出と国家形成へ大きな影響を与えましたが、宗教統一の名でユダヤ人・イスラム教徒を迫害・追放し、植民地征服へつながった負の遺産があります。 - 1781年10月19日|ヨークタウンで英軍降伏
コーンウォリス将軍の英軍が米仏連合軍へ降伏し、アメリカ独立戦争の大規模戦闘は終結へ向かいました。独立承認への決定打でしたが、新共和国は奴隷制度を維持し、先住民の領土を拡張したため、自由の範囲は著しく限定されました。 - 1812年10月19日|ナポレオン軍がモスクワ撤退開始
補給不足と冬の接近の中、フランス大陸軍が焼けたモスクワから退却を始めました。ロシア遠征失敗と帝国弱体化の転機となりましたが、焦土戦術、略奪、寒さ、病気により兵士だけでなく多数の民間人が犠牲となりました。 - 1864年10月19日|シーダークリークの戦い
南北戦争のシェナンドー渓谷で南軍の奇襲を受けた北軍が反撃し、戦略的勝利を得ました。北部の選挙と戦争継続を後押ししましたが、総力戦的な農地破壊と徴発は渓谷住民、奴隷化された人々へ深刻な負担を与えました。 - 1878年10月19日|ドイツ社会主義者鎮圧法成立
ビスマルク政権が社会民主主義組織、集会、出版を禁止しました。労働運動を抑圧しながら社会保険政策を進める統治の二面性を示しました。議員個人は選挙へ出られたため運動は地下と議会で拡大し、弾圧は政治的自由を大きく損ないました。 - 1900年10月19日(明治33年10月19日)|第4次伊藤内閣成立
立憲政友会を基盤とする伊藤博文の内閣が成立し、官僚と政党を結ぶ政権運営を試みました。日本の政党内閣化への一歩でしたが、貴族院・官僚との対立で短命に終わり、選挙権も納税資格を持つ男性へ限られていました。 - 1902年10月19日(明治35年10月19日)|早稲田大学開校式
東京専門学校が早稲田大学へ改称し、創立二十周年の開校式を行いました。私学による高等教育と政界・言論界の人材育成を広げましたが、当時の大学教育は男性中心で、帝国の官僚・植民地統治を支える知識生産にも関わりました。 - 1921年10月19日|リスボン「血の夜」
ポルトガル第一共和政の政変で武装勢力が首相経験者らを拉致・殺害しました。軍と急進派が不安定な議会政治を暴力で動かす危機を示しました。犯行責任の曖昧さと免責は、後の軍事独裁へ至る民主制度の弱体化を深めました。 - 1929年10月19日(昭和4年10月19日)|日比谷公会堂開場
東京市政会館に併設された日比谷公会堂が開場し、政治演説、音楽会、市民集会の主要会場となりました。都市の公共文化を支えましたが、演説空間は国家主義的動員にも利用され、公共施設への参加機会には階級・ジェンダー差がありました。 - 1943年10月19日|ストレプトマイシン分離
ラトガース大学の研究室で土壌微生物からストレプトマイシンが分離され、結核治療を変える抗生物質となりました。感染症死亡を大きく減らしましたが、功績配分をめぐり大学院生アルバート・シャッツと教授ワクスマンの争いが生じ、耐性菌も拡大しました。 - 1956年10月19日(昭和31年10月19日)|日ソ共同宣言調印
日本とソ連がモスクワで共同宣言に署名し、戦争状態を終結させて国交を回復しました。日本の国連加盟への道も開きましたが、平和条約と領土問題は解決せず、歯舞群島・色丹島の扱いをめぐる解釈対立が現在まで残っています。 - 1987年10月19日|ブラックマンデー
ニューヨーク株式市場でダウ平均が一日として当時最大の下落率を記録し、世界市場へ連鎖しました。プログラム売買と国際金融の結び付きを可視化し、取引停止制度の整備を促しましたが、損失と景気不安は投資家だけでなく雇用や年金にも及びました。 - 1989年10月19日|ギルフォード・フォー釈放
1974年の爆破事件で有罪とされた四人が、警察による自白強要と証拠不開示が明らかになって釈放されました。冤罪と対テロ司法の危険を示しました。長期拘禁で失われた人生は判決取消だけで回復せず、真犯人捜査と組織責任も残りました。 - 2005年10月19日|サダム・フセイン裁判開始
イラク特別法廷で旧大統領サダム・フセインらの公判が始まり、ドゥジャイル住民殺害が審理されました。独裁犯罪の責任を問う場でしたが、米軍占領下の法廷の正統性、弁護人殺害、死刑、より広い戦争犯罪が裁かれない選択性が批判されました。