10月17日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

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10月17日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢39名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!

【日本】10月17日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、10月17日と一致する人物だけを掲載しています。

生年人物名肩書き
1877年福井直秋音楽教育者・武蔵野音楽大学創立者
1888年中村貫之銀行家・華族
1888年沢田廉三外交官・国連大使
1888年鈴鹿栄軟式野球用ボール発明者・実業家
1891年山崎保代陸軍軍人・アッツ島守備隊長
1897年橋本平八彫刻家
1898年鈴木鎮一ヴァイオリン教育者
1903年立野信之小説家
1904年長谷健小説家
1908年宮本顕治文芸評論家・政治家
1908年尾本信平実業家
1909年川島武宜法社会学者
1910年村上菊一郎フランス文学者
1915年殿山泰司俳優・随筆家
1934年三保敬太郎ジャズ・ピアニスト・作曲家
1935年新井豊美詩人
1944年町村信孝政治家・衆議院議長

※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。

【海外】10月17日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

生年人物名肩書き
1760年アンリ・ド・サン=シモンフランスの社会思想家
1813年ゲオルク・ビューヒナードイツの劇作家・医学者
1820年エドゥアール・ロシュフランスの天文学者
1854年カール・カウツキーチェコ出身の社会主義理論家
1864年ロバート・ランシングアメリカ国務長官
1880年ウラジーミル・ジャボチンスキーシオニズム運動指導者・作家
1883年A・S・ニイルイギリスの教育者
1892年ハーバート・ハウエルズイギリスの作曲家
1898年ロッテ・レーニャオーストリア出身の歌手・俳優
1900年ジーン・アーサーアメリカの俳優
1905年フェリックス・ウフェ=ボワニコートジボワール大統領
1909年ノルベルト・ボッビオイタリアの法哲学者
1912年ヨハネ・パウロ1世ローマ教皇
1912年フィリベール・ツィラナナマダガスカル大統領
1915年アーサー・ミラーアメリカの劇作家
1918年リタ・ヘイワースアメリカの俳優・ダンサー
1918年コンスタンディノス・ミツォタキスギリシャ首相
1919年趙紫陽中国共産党総書記・国務院総理
1920年メリナ・メルクーリギリシャの俳優・文化相
1925年ラミズ・アリアアルバニア大統領
1926年クラウス・キンスキードイツの俳優
1935年ピーター・ボイルアメリカの俳優

10月17日生まれの代表的な偉人

橋本平八

  • 生没年:1897年10月17日(明治30年10月17日)~1935年11月1日(昭和10年11月1日)
  • 国:日本
  • 肩書き:彫刻家

三重県の農家に生まれ、上京して佐藤朝山に木彫を学び、院展を中心に活動しました。『花園に遊ぶ天女』『幼児表情』などで木の量感と精神性を結び、仏教・神秘思想を参照した独自の近代彫刻を作りました。弟の詩人北園克衛らとの交流を通じ、彫刻と前衛芸術の接点にも位置します。一方、三十八歳で早世したため作品数が限られ、神秘的天才という評価が制作技法と同時代制度を覆いがちです。非西洋的伝統の回復という語りも、国家主義的な「日本性」との距離を慎重に検討すべきです。

鈴木鎮一

  • 生没年:1898年10月17日(明治31年10月17日)~1998年1月26日(平成10年1月26日)
  • 国:日本
  • 肩書き:ヴァイオリン教育者

名古屋のヴァイオリン製造家に生まれ、ドイツ留学で演奏を学んだ後、幼児が母語を習得する過程を音楽教育へ応用しました。反復聴取、親子の参加、早期教育を柱とする「才能教育」は松本から世界へ広がりました。専門家養成だけでなく、音楽を通じた人格形成という理念に大きな影響を与えました。一方、成功例の強調は家庭の時間・費用負担や、子どもの意思より親と教師の規律を優先する危険を隠します。教育法の効果を普遍的に語るには、選抜、脱落、文化差の検証も必要です。

宮本顕治

  • 生没年:1908年10月17日(明治41年10月17日)~2007年7月18日(平成19年7月18日)
  • 国:日本
  • 肩書き:文芸評論家・政治家

山口県に生まれ、東京帝国大学在学中の芥川龍之介論で注目され、やがて日本共産党へ入りました。治安維持法下で長期収監され、戦後は党書記長・委員長として議会路線と自主独立路線を確立しました。ソ連・中国と距離を取りつつ党組織を維持した手腕は戦後左翼政治に大きな影響を残しました。一方、党内規律と民主集中制は異論を狭め、査問事件をめぐる説明や指導責任は論争が続きます。長期指導を反権力の一貫性だけで評価せず、組織内権力とジェンダーの偏りも見る必要があります。

川島武宜

  • 生没年:1909年10月17日(明治42年10月17日)~1992年5月21日(平成4年5月21日)
  • 国:日本
  • 肩書き:法社会学者

岐阜県に生まれ、東京帝国大学で民法を学び、戦後日本の法社会学を制度化しました。『日本人の法意識』で、契約・権利・紛争処理が近代法の形式と社会慣行の間でずれる問題を論じました。農村、家族、所有、調停の実証研究は、条文だけでなく「生きた法」を見る研究へ広い影響を与えました。一方、「日本人」を一つの法意識で括る議論は地域、階級、ジェンダー、在日外国人の差を平板化します。西欧近代を到達基準とする発展段階論的な枠組みも、今日では批判的に再検討されています。

アンリ・ド・サン=シモン

  • 生没年:1760年10月17日~1825年5月19日
  • 国:フランス
  • 肩書き:社会思想家

パリの貴族家庭に生まれ、アメリカ独立戦争に参加し、フランス革命後の社会再編を構想しました。世襲身分ではなく科学者、技術者、産業者が公共利益のため生産を組織すべきだと論じました。その思想はサン=シモン主義、社会主義、実証主義、鉄道・金融事業の理念へ広がりました。一方、専門家が社会を上から管理する構想は民主的統制を弱める危険があります。「産業」の進歩は植民地拡張と労働規律にも接続し、後世の弟子による体系化と本人の断片的著述を区別すべきです。

ゲオルク・ビューヒナー

  • 生没年:1813年10月17日~1837年2月19日
  • 国:ドイツ
  • 肩書き:劇作家・医学者

ヘッセン大公国の医師家庭に生まれ、医学と自然科学を学びながら急進的な民主運動へ参加しました。農民へ蜂起を呼び掛ける『ヘッセンの急使』、戯曲『ダントンの死』『ヴォイツェック』で貧困、国家暴力、主体の分裂を描きました。断片と口語を生かした作品は自然主義、表現主義、現代演劇を先取りしました。一方、革命家としての神話は共同執筆者と農民運動の主体を隠すことがあります。未完稿『ヴォイツェック』の配列と題名は後世の編集によるため、完成作品のように断定できません。

カール・カウツキー

  • 生没年:1854年10月17日~1938年10月17日
  • 国:オーストリア・ドイツ
  • 肩書き:社会主義理論家

プラハに生まれ、ウィーンで学んだ後にドイツ社会民主党の理論家となり、雑誌『ノイエ・ツァイト』を長く編集しました。マルクスの遺稿編集と資本主義発展論を通じ、第二インターナショナルの「正統派マルクス主義」を形作りました。議会制と大衆政党を重視する議論は社会民主主義へ長く影響しました。一方、第一次世界大戦への党の対応で曖昧な立場を取り、レーニンから「背教者」と攻撃されました。段階論が植民地社会の多様な道を軽視し、革命と民主主義の緊張を解き切れなかった限界があります。

A・S・ニイル

  • 生没年:1883年10月17日~1973年9月23日
  • 国:イギリス
  • 肩書き:教育者

スコットランドの教師家庭に生まれ、強制と試験中心の学校教育へ反発し、1921年にサマーヒル・スクールを創設しました。授業出席を子どもの選択に任せ、全校集会で子どもと大人が一票ずつ持つ自治を実践しました。自由学校、オルタナティブ教育、子どもの権利をめぐる世界的議論へ強い影響を与えました。一方、自由と放任の境界、学力保障、卒業後の適応をめぐる批判があります。寄宿学校へ参加できる家庭の階級的条件や、性的自由をめぐる本人の議論も現代の保護基準から慎重な検討が必要です。

フェリックス・ウフェ=ボワニ

  • 生没年:1905年10月17日~1993年12月7日
  • 国:コートジボワール
  • 肩書き:医師・初代大統領

フランス領西アフリカの首長家に生まれ、医師としてカカオ農民を組織し、強制労働廃止を求める政治運動へ進みました。フランス国会議員を経て独立後の初代大統領となり、輸出農業と外国投資で「イボワールの奇跡」と呼ばれる成長を実現しました。一方、一党支配、反対派弾圧、フランスへの強い依存が政治的自由を制限しました。カカオ経済は移民労働、森林破壊、価格変動に依存し、巨大な首都建設は地域格差と国家財政を圧迫しました。

ノルベルト・ボッビオ

  • 生没年:1909年10月17日~2004年1月9日
  • 国:イタリア
  • 肩書き:法哲学者・政治思想家

トリノに生まれ、法哲学を学び、ファシズム期の知識人社会を経験して戦後の自由主義的社会主義を代表しました。法実証主義、民主主義の手続、右派と左派の区別、平和と人権を明晰な概念分析で論じました。対立陣営の対話を促す公共知識人としてイタリア政治文化へ大きな影響を与えました。一方、形式的手続への信頼は、経済的不平等や植民地主義、人種・ジェンダー権力を十分説明しないとの批判があります。ファシズム期の請願書を含む本人の適応も、抵抗者像を単純化しない材料です。

ヨハネ・パウロ1世

  • 生没年:1912年10月17日~1978年9月28日
  • 国:イタリア・バチカン
  • 肩書き:ローマ教皇

北イタリアの労働者家庭に生まれ、司祭、ヴィットリオ・ヴェネト司教、ヴェネツィア総大司教を経て1978年8月に教皇へ選出されました。二つの教皇名を組み合わせ、第二バチカン公会議の継承と親しみやすい教皇像を示しました。在位33日で急死し、短い教皇職そのものが20世紀カトリック史の象徴となりました。一方、改革への期待は実行前に終わったため、後世の理想化には推測が多く含まれます。死因をめぐる陰謀説は証拠に乏しく、教会組織の不透明さへの批判と扇情的物語を区別すべきです。

アーサー・ミラー

  • 生没年:1915年10月17日~2005年2月10日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:劇作家

ニューヨークのユダヤ系家庭に生まれ、世界恐慌で家業が傾いた経験から労働、成功、家族の倫理を戯曲にしました。『セールスマンの死』『るつぼ』『みんな我が子』でアメリカンドリームと集団的告発の暴力を描きました。赤狩り期には下院非米活動委員会で友人の名を挙げることを拒み、表現の自由の象徴となりました。一方、作品の女性像は男性主人公の罪悪感を支える役割に偏るとの批判があります。マリリン・モンローとの結婚を創作神話へ利用した問題や、障害のある息子を施設へ預けた事実も評価から外せません。

趙紫陽

  • 生没年:1919年10月17日~2005年1月17日
  • 国:中国
  • 肩書き:政治家・中国共産党総書記

河南省に生まれ、共産党の地方幹部として広東・四川の農業と企業改革を進め、改革開放期に国務院総理、党総書記へ昇進しました。価格改革、地方分権、政治制度改革を提唱し、市場化の初期段階を主導しました。1989年の天安門広場で学生へ対話を求めた後に失脚し、死まで自宅軟禁されました。一方、改革は格差、腐敗、インフレを拡大し、本人も一党支配そのものを否定したわけではありません。悲劇的改革者像だけで、在職中の弾圧や労働者の要求を周縁化すべきではありません。

10月17日に起きた歴史的な出来事

  • 1346年10月17日|ネヴィルズ・クロスの戦い
    百年戦争期、イングランド軍が北部へ侵攻したスコットランド軍を破り、国王デイヴィッド2世を捕虜にしました。英仏戦争と英スコットランド関係を結ぶ転機でしたが、身代金負担と国境地帯の略奪は住民へ重くのしかかりました。
  • 1777年10月17日|サラトガで英軍降伏
    アメリカ独立戦争でバーゴイン将軍の英軍が大陸軍へ降伏しました。植民地側の勝利はフランス参戦を促し、戦争を国際化しました。一方、自由の勝利は奴隷制度を終わらせず、先住民諸国は双方の軍事行動と領土拡張で深刻な損害を受けました。
  • 1797年10月17日|カンポ・フォルミオ条約
    フランス共和国とオーストリアが講和し、第一次対仏大同盟戦争が終結しました。フランスのベルギー支配と北イタリア再編が認められましたが、ヴェネツィア共和国は住民の意思なく分割され、革命の解放理念と大国外交の矛盾が露呈しました。
  • 1806年10月17日|ハイチ皇帝デサリーヌ暗殺
    独立革命を率いたジャン=ジャック・デサリーヌが反対派に暗殺されました。奴隷制を打倒した新国家は南北に分裂しました。一方、独立の英雄であると同時に強権統治と1804年の白人虐殺に責任を負い、植民地暴力の連鎖を含めて評価する必要があります。
  • 1814年10月17日|ロンドン・ビール洪水
    醸造所の巨大なビール槽が破裂し、セント・ジャイルズの貧困地区へ大量の液体が流れ込み、八人が死亡しました。産業設備の安全規制が乏しい都市の危険を示しました。奇談として消費せず、被害が労働者居住区へ集中した階級性を見る必要があります。
  • 1859年10月17日(安政6年9月22日)|ヘボン夫妻が横浜へ到着
    宣教師・医師ジェームス・カーティス・ヘボン夫妻が来日し、診療、教育、聖書翻訳、辞書編纂を始めました。ヘボン式ローマ字と近代教育へ大きな影響を残しましたが、宣教は不平等条約下の外国人特権と西洋中心の文明観を伴いました。
  • 1877年10月17日(明治10年10月17日)|華族学校開校
    東京で華族学校、後の学習院が開校し、皇族・華族の子弟教育を制度化しました。近代国家のエリート養成機関となりましたが、身分制的特権を教育で再生産し、国民教育の平等理念とは緊張する存在でした。
  • 1907年10月17日|大西洋横断の商用無線通信開始
    マルコーニ社がアイルランドとカナダ間で一般向け無線電報業務を始めました。海底ケーブルに加わる長距離通信手段となり、航海と報道を変えました。一方、特許独占、軍事通信、植民地ネットワークへの利用も技術普及の一部でした。
  • 1931年10月17日(昭和6年10月17日)|十月事件計画が発覚
    橋本欣五郎ら陸軍将校が政党内閣を倒すクーデターを計画しましたが、決行前に発覚しました。満州事変期の軍部急進化を示しました。処分が軽かったため政治暴力への抑止が働かず、後の五・一五事件、二・二六事件へつながる環境を残しました。
  • 1945年10月17日|アルゼンチン「忠誠の日」
    労働者がブエノスアイレスに集まり、拘束されたフアン・ペロンの釈放を要求しました。労働組合を基盤とするペロニズム成立の象徴です。一方、大衆参加の拡大と同時に指導者崇拝、反対派への圧力、軍との結び付きも強まり、単純な民衆勝利ではありません。
  • 1956年10月17日|カルダーホール原子力発電所開所
    イギリス女王エリザベス2世がカルダーホールを開所し、商用規模で送電する初期の原子力発電所となりました。原子力平和利用の象徴とされましたが、施設は兵器用プルトニウム生産とも結び付き、放射性廃棄物問題を残しました。
  • 1961年10月17日|パリ虐殺
    アルジェリア独立支持者への夜間外出禁止に抗議したデモをパリ警察が暴力的に弾圧し、多数を殺害・拘束しました。フランス植民地戦争が本国都市へ及んだ事件です。死者数の隠蔽と長い公的沈黙は国家責任の認定を遅らせました。
  • 1973年10月17日|アラブ産油国が石油禁輸を決定
    第四次中東戦争でイスラエルを支援する国々に対し、アラブ産油国が減産と禁輸を進めました。第一次石油危機として世界経済と省エネルギー政策を変えましたが、物価高と失業を招き、権威主義的産油国への依存も強めました。
  • 1979年10月17日|マザー・テレサのノーベル平和賞決定
    コルカタで貧者や死にゆく人を支援した活動に対し、ノーベル平和賞授賞が発表されました。世界の貧困への関心を高めましたが、施設の医療水準、苦痛の宗教的称揚、植民地主義的な救済像、資金提供者の倫理をめぐる批判があります。
  • 1989年10月17日|ロマ・プリータ地震
    米国サンフランシスコ湾岸でマグニチュード6.9の地震が起き、高架道路や建物が崩壊して多数が死亡しました。耐震設計と緊急対応の改善を促しましたが、低所得者地区の住宅喪失と復興格差が災害の社会的不平等を示しました。
  • 1992年10月17日|服部剛丈射殺事件
    交換留学生の服部剛丈が米国ルイジアナ州で訪問先を間違え、住人に射殺されました。刑事裁判で無罪となり、銃所持と正当防衛をめぐる日米の議論を呼びました。被害者の行動に責任を転嫁せず、人種化された恐怖と銃規制の構造を見る必要があります。
  • 2017年10月17日|シリア民主軍がラッカ制圧を発表
    クルド人部隊を主力とするシリア民主軍が、ISILの主要拠点だったラッカの制圧を発表しました。住民を抑圧した支配は崩れましたが、米軍主導の空爆と市街戦で多数の民間人が死亡し、街の破壊、避難民、地雷、統治権をめぐる対立が残りました。

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