
10月11日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢36名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】10月11日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、10月11日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1884年 | 今村正美 | 陸軍軍人 |
| 1885年 | 岩橋小弥太 | 歴史学者 |
| 1894年 | 由比忠之進 | 反戦運動家 |
| 1900年 | 今道潤三 | 実業家・放送経営者 |
| 1902年 | 黒沢幸一 | 検察官・弁護士 |
| 1904年 | 榎本健一 | 喜劇俳優・歌手 |
| 1910年 | 伊達里子 | 俳優 |
| 1913年 | 高橋博 | 洋画家 |
| 1914年 | 甘利正 | 経済学者 |
| 1916年 | 好川三郎 | 経営者・発明家 |
| 1921年 | 古島和雄 | 東洋史学者 |
| 1925年 | 岡本愛彦 | 映画監督・テレビ演出家 |
| 1928年 | 鈴木晄 | 映画編集技師 |
| 1938年 | 山尾三省 | 詩人 |
| 1940年 | 合田佐和子 | 美術家 |
| 1941年 | 砂川しげひさ | 漫画家 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】10月11日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1616年 | アンドレアス・グリューフィウス | ドイツの詩人・劇作家 |
| 1675年 | サミュエル・クラーク | イギリスの哲学者・神学者 |
| 1738年 | アーサー・フィリップ | イギリス海軍軍人・植民地総督 |
| 1739年 | グリゴリー・ポチョムキン | ロシアの軍人・政治家 |
| 1741年 | ジェームズ・バリー | アイルランドの画家 |
| 1755年 | ファウスト・デ・エルヤル | スペインの化学者 |
| 1758年 | ハインリヒ・オルバース | ドイツの天文学者・医師 |
| 1881年 | ルイス・フライ・リチャードソン | イギリスの数学者・気象学者 |
| 1881年 | ハンス・ケルゼン | オーストリア出身の法学者 |
| 1883年 | エドゥアール・シャットン | フランスの生物学者 |
| 1884年 | エレノア・ルーズベルト | アメリカの外交官・人権活動家 |
| 1885年 | フランソワ・モーリアック | フランスの小説家 |
| 1888年 | エミール・ボーンケ | ドイツの作曲家・指揮者 |
| 1896年 | ロマーン・ヤーコブソン | ロシア出身の言語学者 |
| 1909年 | ピエール・ジョルジュ | フランスの地理学者 |
| 1916年 | トルステン・ヘーゲルストランド | スウェーデンの地理学者 |
| 1919年 | アート・ブレイキー | アメリカのジャズ・ドラマー |
| 1925年 | エルモア・レナード | アメリカの小説家 |
| 1926年 | ティク・ナット・ハン | ベトナムの禅僧・平和運動家 |
| 1928年 | ロスコー・ロビンソン・ジュニア | アメリカ陸軍軍人 |
10月11日生まれの代表的な偉人
榎本健一
- 生没年:1904年10月11日(明治37年10月11日)~1970年1月7日(昭和45年1月7日)
- 国:日本
- 肩書き:喜劇俳優・歌手
浅草のレビュー劇場で頭角を現し、軽演劇一座「プペ・ダンサント」を経てエノケン一座を率いました。映画と舞台で歌、踊り、素早い身体表現を組み合わせ、「エノケン」の名で昭和初期の大衆喜劇を牽引しました。チャップリン的な動きと日本の寄席・浅草文化を結び、戦後の喜劇人にも大きな影響を与えました。一方、作品の多くはフィルム散逸や戦時統制の影響を受け、現存資料だけで活動全体を測れません。病気による片脚切断後の復帰を美談に限らず、興行制度と障害者表象の問題も含めて考える必要があります。
由比忠之進
- 生没年:1894年10月11日(明治27年10月11日)~1967年11月12日(昭和42年11月12日)
- 国:日本
- 肩書き:反戦運動家・エスペランティスト
印刷労働とエスペラント運動に関わり、戦後は反戦・平和運動を続けました。1967年、佐藤栄作首相の北ベトナム支持政策とアメリカのベトナム戦争に抗議する遺書を残し、首相官邸前で焼身自殺しました。その死は日本の戦争協力を問い、抗議行動の歴史に刻まれました。一方、自死を英雄的な自己犠牲として称揚すれば、生命を政治的訴えの手段にする危険を再生産します。個人の絶望だけでなく、当時の報道、運動組織、政府外交が声を受け止めなかった構造を検討すべきです。
古島和雄
- 生没年:1921年10月11日(大正10年10月11日)~2004年4月26日(平成16年4月26日)
- 国:日本
- 肩書き:東洋史学者
東京大学東洋文化研究所を中心に、中国近代の農村経済と土地制度を研究しました。実地調査資料と統計を用い、地主制、農業生産、市場関係を社会経済史として分析しました。日本の中国農村研究を、王朝政治中心の歴史から生活と生産の構造へ広げました。一方、日本人研究者による中国調査は戦前の植民地・占領政策と制度的に接続した資料を含み、その成立条件を問う必要があります。階級構造を重視する枠組みが地域差や農民個々の行為を単純化しないかも再検討されています。
合田佐和子
- 生没年:1940年10月11日(昭和15年10月11日)~2016年2月19日(平成28年2月19日)
- 国:日本
- 肩書き:美術家
多摩美術大学で学び、唐十郎の状況劇場や寺山修司の天井桟敷で舞台美術・ポスターを手がけました。油彩、写真、オブジェ、装幀を横断し、映画スターや見世物の記憶を妖しく退廃的な像へ組み替えました。1960年代以降のアングラ演劇と美術を結び、領域横断的な女性作家の先例となりました。一方、共同制作の成果が著名な男性演出家の名前へ回収されてきた構造を見直す必要があります。異国趣味や犯罪・病理のイメージを魅惑として用いる表現には、対象化やステレオタイプの危険もあります。
アーサー・フィリップ
- 生没年:1738年10月11日~1814年8月31日
- 国:イギリス
- 肩書き:海軍軍人・初代ニューサウスウェールズ総督
海軍士官として七年戦争などに従軍し、1788年に第一船団を率いてシドニー・コーブへ到着しました。流刑植民地ニューサウスウェールズの初代総督として食糧不足、刑罰、行政制度に対処しました。イギリス系オーストラリア国家の形成史では創設者と位置付けられます。一方、その「建国」はアボリジナル諸民族の主権と土地を無視する入植植民地主義の開始でした。疾病、暴力、資源収奪による人口減少を、囚人社会の苦難だけで覆い隠してはなりません。
ルイス・フライ・リチャードソン
- 生没年:1881年10月11日~1953年9月30日
- 国:イギリス
- 肩書き:数学者・気象学者・平和研究者
物理学と心理学を学び、偏微分方程式を格子上で数値計算して天気を予報する構想を示しました。手計算の試みは成功しませんでしたが、後の電子計算機による数値予報の原理を先取りしました。戦争発生を軍備、国境、経済の相互作用として数理化し、数量的平和研究にも道を開きました。一方、第一次世界大戦で救急隊員を務めたクエーカーとして軍事研究を拒み、職を離れる代償を負いました。社会紛争の数理モデルは測定可能な変数へ還元する限界があり、歴史的権力差を単純化し得ます。
ハンス・ケルゼン
- 生没年:1881年10月11日~1973年4月19日
- 国:オーストリア・アメリカ
- 肩書き:法学者
ウィーン大学で法学を教え、1920年オーストリア憲法と憲法裁判所制度の設計に深く関わりました。法を道徳や政治から方法上区別する純粋法学を体系化し、規範の段階構造と国際法一元論を提示しました。違憲審査と法実証主義の議論へ世界的影響を与えました。一方、法と道徳を分離する方法は、不正な実定法への抵抗を弱めるとの批判を受けました。ナチズムから亡命した経験を踏まえても、規範体系だけで権力、植民地主義、社会的不平等を十分説明できるわけではありません。
エレノア・ルーズベルト
- 生没年:1884年10月11日~1962年11月7日
- 国:アメリカ
- 肩書き:外交官・人権活動家・ファーストレディ
大統領夫人として全米を視察し、女性、労働者、アフリカ系市民の問題を新聞やラジオで取り上げました。国連人権委員会の議長として世界人権宣言の起草と1948年の採択を推進しました。公職を持たない大統領夫人の役割を政策提言と国際外交へ広げました。一方、夫の政権による日系人強制収容を阻止できず、初期には人種問題への対応も慎重でした。人権宣言も植民地支配を直ちに終わらせず、普遍的理念と国家の実践の隔たりを検証する必要があります。
フランソワ・モーリアック
- 生没年:1885年10月11日~1970年9月1日
- 国:フランス
- 肩書き:小説家・評論家
カトリック的家庭とボルドーのブルジョワ社会を背景に、『テレーズ・デスケルウ』『蝮のからみあい』で欲望、罪、救済を描きました。心理描写と抑制された文体が評価され、1952年にノーベル文学賞を受賞しました。レジスタンス紙への執筆やアルジェリア戦争での拷問批判にも関わりました。一方、宗教的救済の枠組みは女性や非信者の経験を狭く解釈することがあります。植民地戦争への批判もフランス知識人の発言権を中心に記憶され、アルジェリア人自身の政治と文学を後景化させない注意が必要です。
ロマーン・ヤーコブソン
- 生没年:1896年10月11日~1982年7月18日
- 国:ロシア帝国・アメリカ
- 肩書き:言語学者
モスクワ言語学サークルとロシア・フォルマリズムに参加し、革命後はプラハ、戦時中は北欧とアメリカへ移りました。音韻論の弁別特徴、失語症研究、コミュニケーションの六機能などを通じ、構造言語学を文学、人類学、記号論へ拡張しました。学問分野を越える理論は20世紀人文学へ広範な影響を与えました。一方、二項対立と体系性を強調する方法は、言語変化、話者の権力差、植民地状況を静的に扱う危険があります。亡命知識人ネットワークや共同研究者の貢献を、単独の巨匠像に回収しないことも重要です。
アート・ブレイキー
- 生没年:1919年10月11日~1990年10月16日
- 国:アメリカ
- 肩書き:ジャズ・ドラマー
ピッツバーグで音楽活動を始め、ビバップ期を経てジャズ・メッセンジャーズを長く率いました。強烈なプレスロールとポリリズムでハード・バップの推進力を作り、ホレス・シルヴァー、ウェイン・ショーター、ウィントン・マルサリスら多数の若手を育てました。バンドを実地教育の場にした功績はジャズ継承史で大きな意味を持ちます。一方、アフリカ音楽への関心を単純な「原点回帰」と語れば、多様な地域文化を一括してしまいます。薬物依存と音楽産業の過酷な労働、リーダーの権威が若手に与えた圧力も成功物語の外に置けません。
エルモア・レナード
- 生没年:1925年10月11日~2013年8月20日
- 国:アメリカ
- 肩書き:小説家・脚本家
広告文案の仕事と並行して西部小説を書き始め、後にデトロイトやフロリダを舞台とする犯罪小説へ移りました。簡潔な会話、視点の切り替え、滑稽で危険な犯罪者を描く『ゲット・ショーティ』『ラム・パンチ』などで人気を得ました。映画・テレビ化を通じ、現代犯罪物語の会話とテンポへ大きな影響を与えました。一方、「作家の声を見せない」文体も精密な編集と市場戦略の産物で、自然な会話の写しではありません。暴力や人種・性別の類型を娯楽化する箇所、映像化で原作の力関係が変わる点も批判的に読む必要があります。
ティク・ナット・ハン
- 生没年:1926年10月11日~2022年1月22日
- 国:ベトナム・フランス
- 肩書き:禅僧・平和運動家
若くして出家し、ベトナム戦争下で救援、学校、農村再建を行う「社会参加仏教」を提唱しました。和平を訴えて国外へ出た後、帰国を長く禁じられ、フランスのプラム・ヴィレッジからマインドフルネスを世界へ広めました。呼吸と日常実践を結ぶ教えは宗教間対話と非暴力運動に影響しました。一方、欧米での商品化されたマインドフルネスは、戦争と社会正義という実践の背景を切り離しがちです。僧団の権威、ジェンダー構造、政治との交渉を含め、聖人化せず組織として検証する必要があります。
10月11日に起きた歴史的な出来事
- 1634年10月11日|ブルハルディ洪水
北海沿岸を高潮が襲い、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン地方などで数千人が死亡し、島々と農地が失われました。堤防社会の脆弱性と沿岸地形を変える災害でした。一方、死者数は史料で大きく異なり、神罰物語ではなく貧困、堤防維持、土地所有の格差から被害を考える必要があります。 - 1649年10月11日|ウェックスフォード略奪
クロムウェル率いる議会派軍がアイルランドのウェックスフォードを攻略し、兵士だけでなく多数の住民が殺害され、町は略奪されました。港湾を制圧して王党派の補給を断つ軍事目的がありました。一方、犠牲者数には議論があっても、征服戦争と宗派対立が市民へ甚大な暴力を及ぼした事実は軽視できません。 - 1776年10月11日|バルカー島の戦い
アメリカ独立戦争中、シャンプレーン湖でベネディクト・アーノルド率いる艦隊がイギリス艦隊と交戦しました。アメリカ側は多くの艦を失いましたが、英軍の南下を翌年まで遅らせたと評価されます。一方、戦略的遅延という成功物語は、乗員の死傷と先住民地域を戦場化した侵攻を背景化しがちです。 - 1797年10月11日|キャンパーダウンの海戦
イギリス艦隊がオランダ艦隊を北海で破り、フランスのイギリス侵攻支援計画を挫きました。革命戦争期の制海権維持に大きく寄与しました。一方、拿捕艦数を競う叙事ではなく、双方の水兵の死傷、徴募、海上封鎖が民間経済に与えた損害も見る必要があります。 - 1852年10月11日|シドニー大学開学
オーストラリア最初の大学としてシドニー大学が授業を開始し、宗派に限定されない高等教育制度を掲げました。専門職養成と研究の中心へ発展しました。一方、大学の土地と知識制度は先住民の主権を無視した植民地社会の上に築かれ、女性や非白人への門戸も当初は限られていました。 - 1865年10月11日|モラント・ベイ反乱
ジャマイカで土地、司法、貧困への不満を抱く黒人住民が抗議し、衝突へ発展しました。植民地総督は戒厳令を敷き、数百人を処刑・殺害して多数を鞭打ちました。暴動の秩序回復ではなく、奴隷制廃止後も続く人種支配と国家暴力として評価する必要があります。 - 1899年10月11日|第二次ボーア戦争始まる
南アフリカのボーア二共和国がイギリスへ最後通牒を出した後、戦争が始まりました。金鉱支配と帝国競争を背景に、ゲリラ戦と焦土作戦へ拡大しました。イギリスの強制収容所でボーア人女性・子どもと黒人アフリカ人が多数死亡し、白人国家間戦争だけとして語れません。 - 1906年10月11日|サンフランシスコ日本人学童隔離命令
サンフランシスコ教育委員会が日系児童を「東洋人学校」へ移す命令を実施しました。日本政府の抗議を受けて翌年撤回されましたが、代わりに移民制限の日米紳士協約へつながりました。外交的解決は人種差別をなくさず、移民家族の権利を国家間取引の対象にしました。 - 1910年10月11日|セオドア・ルーズベルトが飛行機に搭乗
元アメリカ大統領ルーズベルトがライト式飛行機に短時間搭乗し、大統領経験者として初の飛行となりました。航空技術が公開実演から政治的象徴へ広がる出来事でした。一方、見世物的な初記録は、操縦士、整備者、事故犠牲者の積み重ねと航空の軍事利用を見えにくくします。 - 1962年10月11日|第2バチカン公会議開幕
ローマ教皇ヨハネ23世が公会議を開き、典礼、教会観、他宗教、信教の自由をめぐる改革を進めました。カトリック教会が現代社会との対話へ踏み出す転換点です。一方、改革の受容は地域で不均衡で、女性の聖職参加や性的虐待の制度問題を解決せず、保守派との対立も残しました。 - 1968年10月11日|アポロ7号打ち上げ
アメリカがアポロ計画初の有人飛行となるアポロ7号を打ち上げ、司令・機械船の性能を地球周回軌道で実証しました。前年のアポロ1号火災後の安全改修を確認し、月着陸へ道を開きました。一方、宇宙競争は冷戦軍拡と結び付き、巨額予算の配分や乗員と地上要員の危険を伴いました。 - 1975年10月11日|『サタデー・ナイト・ライブ』放送開始
アメリカNBCが生放送コメディ番組を開始し、時事風刺、音楽、若手コメディアンの登竜門として長期的影響を与えました。テレビが同時代政治を笑いへ変える形式を定着させました。一方、出演者と作家の人種・性別の偏り、過酷な制作環境、差別的な笑いをめぐる批判も繰り返されています。 - 1984年10月11日|キャサリン・サリバンが女性初の船外活動
スペースシャトル・チャレンジャーの飛行でサリバンが船外活動を行い、アメリカ人女性として初の記録を作りました。宇宙飛行士職の性別障壁を崩す象徴となりました。一方、個人の突破だけで制度的平等が完成したわけではなく、選抜、装備設計、家庭責任の偏りはその後も課題でした。 - 1986年10月11日|レイキャビク首脳会談開始
レーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長がアイスランドで核軍縮を協議しました。合意には至りませんでしたが、中距離核戦力全廃条約への突破口となりました。一方、戦略防衛構想をめぐる対立が包括的削減を阻み、核抑止体制と被爆者・核実験被害者の現実を残しました。 - 2013年10月11日|シチリア海峡移民船沈没
マルタ近海で難民・移民を乗せた船が沈み、二百人以上が死亡しました。シリア戦争などから逃れる人々が安全な入国経路を得られない状況を示しました。「密航」の個人責任へ還元せず、国境政策、救助調整の遅れ、収容制度が死を生む構造を問う必要があります。 - 2023年10月11日(令和5年10月11日)|藤井聡太が将棋八冠独占
王座戦で藤井聡太が勝利し、当時の主要八タイトルを史上初めて同時に保持しました。若い棋士の研究法とAI活用は将棋界の競技・観戦文化を変えました。一方、個人記録への集中は対局者全体、記録・運営者、女性棋士制度との格差や長時間対局の健康負担を見えにくくします。 - 2024年10月11日(令和6年10月11日)|日本被団協へのノーベル平和賞決定
日本原水爆被害者団体協議会への授賞が発表され、被爆者の証言と核兵器廃絶運動が国際的に評価されました。核使用を許さない規範を経験者の声が支えた点に大きな意味があります。一方、被爆者への差別と補償の遅れ、植民地出身・在外被爆者の救済格差、日本政府の核抑止依存は未解決です。