
9月5日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢35名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】9月5日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、グレゴリオ暦に換算した日付に基づいて掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1567年 | 伊達政宗 | 仙台藩初代藩主 |
| 1604年 | 松平定房 | 今治藩初代藩主 |
| 1732年 | 酒井忠温 | 庄内藩第6代藩主 |
| 1737年 | 松平信礼 | 吉田藩第2代藩主 |
| 1782年 | 前田斉広 | 加賀藩第12代藩主 |
| 1839年 | 酒井忠惇 | 姫路藩第10代藩主 |
| 1848年 | 山内量平 | 牧師・神学者 |
| 1889年 | 南原繁 | 政治学者・東京大学総長 |
| 1898年 | 高橋邦太郎 | フランス文学者・翻訳家 |
| 1903年 | 棟方志功 | 版画家 |
| 1910年 | 竹脇昌作 | アナウンサー・随筆家 |
| 1913年 | 霜多正次 | 小説家 |
| 1923年 | 西丸震哉 | 食生態学者・探検家 |
| 1928年 | 浜田幸一 | 政治家 |
【海外】9月5日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 989年 | 范仲淹 | 北宋の政治家・文人 |
| 1187年 | ルイ8世 | フランス王 |
| 1319年 | ペドロ4世 | アラゴン王 |
| 1533年 | ヤコポ・ザバレラ | 哲学者・論理学者 |
| 1568年 | トマソ・カンパネッラ | 哲学者・神学者 |
| 1638年 | ルイ14世 | フランス王 |
| 1667年 | ジョヴァンニ・サッケーリ | 数学者・司祭 |
| 1704年 | モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール | 画家 |
| 1735年 | ヨハン・クリスティアン・バッハ | 作曲家 |
| 1774年 | カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ | 画家 |
| 1781年 | アントン・ディアベリ | 作曲家・楽譜出版者 |
| 1791年 | ジャコモ・マイアベーア | 作曲家 |
| 1867年 | エイミー・ビーチ | 作曲家・ピアニスト |
| 1902年 | ダリル・F・ザナック | 映画製作者 |
| 1905年 | アーサー・ケストラー | 作家・ジャーナリスト |
| 1908年 | ジョズエ・デ・カストロ | 医師・地理学者 |
| 1912年 | ジョン・ケージ | 作曲家 |
| 1927年 | ポール・ボルカー | 経済官僚・FRB議長 |
| 1929年 | アンドリアン・ニコラエフ | 宇宙飛行士 |
| 1939年 | クローデット・コルヴィン | 公民権運動家 |
| 1946年 | フレディ・マーキュリー | 歌手・作曲家 |
9月5日生まれの代表的な偉人
伊達政宗
- 生没年:1567年9月5日(永禄10年8月3日)~1636年6月27日(寛永13年5月24日)
- 国:日本
- 肩書き:戦国大名・仙台藩初代藩主
奥州の戦国勢力をまとめ、豊臣秀吉と徳川家康の政権に従いながら、江戸時代には62万石の仙台藩を築きました。城下町と河川交通を整え、新田開発と米の移出を進め、支倉常長を慶長遣欧使節としてスペイン・ローマへ派遣しました。大国の間で領国の自立性と海外交易を探った政治家として評価されます。一方、領土拡大の戦争では敵対勢力と住民に犠牲を強い、キリスト教保護も幕府の禁教政策に従って弾圧へ転じました。「独眼竜」の英雄像は支配と暴力の面を薄めがちです。
ルイ14世
- 生没年:1638年9月5日~1715年9月1日
- 国:フランス
- 肩書き:フランス王
幼少で即位し、親政開始後はヴェルサイユ宮殿に宮廷と貴族を集め、官僚・軍隊・財政を王権の下へ統合しました。コルベールの産業政策、芸術アカデミー、バレエや建築への保護は、フランス文化をヨーロッパの規範へ押し上げました。「太陽王」の演出は近代国家の権力とメディアの結びつきを示します。一方、相次ぐ侵略戦争と宮廷支出は民衆へ重税と飢餓をもたらし、ナントの勅令廃止はプロテスタントを迫害・亡命させました。繁栄の象徴は植民地奴隷制を定めた黒人法典とも同時代です。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
- 生没年:1774年9月5日~1840年5月7日
- 国:ドイツ
- 肩書き:画家
霧の山、海辺の僧侶、廃墟、月を眺める人物を静謐な画面に置き、自然の前での孤独と宗教的感情を描きました。背を向けた人物を通して鑑賞者を風景へ導く構図は、ドイツ・ロマン主義を象徴し、近代の風景画と視覚文化に長く影響しました。政治的分裂下のドイツで、民族的記憶や自由への願いも風景に託しました。一方、その象徴は後世の民族主義やナチ文化政策にも選択的に利用されました。自然を無人の崇高な空間として表す絵は、そこで暮らし働く人々や土地利用の歴史を見えにくくします。
エイミー・ビーチ
- 生没年:1867年9月5日~1944年12月27日
- 国:アメリカ
- 肩書き:作曲家・ピアニスト
幼少から演奏と作曲の才能を示し、『ゲール交響曲』によってアメリカ人女性として初めて主要オーケストラに自作交響曲を演奏されました。室内楽、歌曲、ピアノ曲を幅広く作り、先住民やヨーロッパ移民の旋律を用いてアメリカ音楽の語法を探りました。夫の死後は欧州で演奏活動を再開し、女性作曲家の組織と教育を支援しました。一方、結婚後に公演を制限された経歴は女性の職業活動を阻む制度を示し、長く「ミセスH・H・A・ビーチ」と夫名で紹介されました。先住民旋律の利用にも出典と文化的権力の問題があります。
棟方志功
- 生没年:1903年9月5日(明治36年9月5日)~1975年9月13日(昭和50年9月13日)
- 国:日本
- 肩書き:版画家
青森の祭りと民間信仰に育ち、ゴッホへの憧れから画家を志した後、木版の黒白と木目を生かす表現へ進みました。『二菩薩釈迦十大弟子』などで仏教、文学、女性像を力強い線へ変え、国際展受賞を通じて日本の創作版画を世界に知らしめました。自ら「板画」と呼び、彫る身体と木の生命の協働を強調しました。一方、郷土的・民衆的な天才という自己演出は、妻チヤら家族や摺師の支えを背景に持ちます。女性裸体の神聖化や戦時期の制作・発言も、無垢な芸術家像から切り離さず検討が必要です。
アーサー・ケストラー
- 生没年:1905年9月5日~1983年3月1日
- 国:ハンガリー生まれ・イギリス
- 肩書き:作家・ジャーナリスト
シオニズム運動、共産党、スペイン内戦取材を経験し、スターリン主義の粛清を描く小説『真昼の暗黒』で全体主義の心理を告発しました。政治的信念が個人の良心と言語をのみ込む過程を描き、冷戦期の反全体主義思想に大きな影響を与えました。後半生は科学史、創造性、死刑廃止などへ執筆領域を広げました。一方、反共主義の象徴として作品が政治利用され、超心理学への傾斜は科学的妥当性を疑われました。死後には複数の女性への性暴力疑惑も報告され、思想的自由の擁護と私生活上の加害を分けずに見る必要があります。
ジョズエ・デ・カストロ
- 生没年:1908年9月5日~1973年9月24日
- 国:ブラジル
- 肩書き:医師・地理学者・反飢餓活動家
貧困地域での診療経験から、飢餓は自然条件や人口過剰ではなく、土地所有、単一栽培、植民地的貿易が作る政治問題だと論じました。『飢餓の地理学』で世界の栄養不足を地図化し、国連食糧農業機関の理事会議長として国際政策へ働きかけました。食料への権利という考えを医学、地理学、社会科学の間に広げました。一方、世界を地域類型へ整理した方法は内部の階級・性・人種差を粗くし、一部の人口論批判にも時代的な一般化があります。軍事政権による追放も、飢餓研究が権力批判であることを示します。
ジョン・ケージ
- 生没年:1912年9月5日~1992年8月12日
- 国:アメリカ
- 肩書き:作曲家・芸術思想家
沈黙とされる時間にも環境音や聴き手の動きがあることを作品『4分33秒』で示し、音楽の境界を問い直しました。易経を用いた偶然性、プリペアド・ピアノ、電子音、舞踊家マース・カニングハムとの協働により、作曲者の意図を相対化しました。その実践は実験音楽、パフォーマンス、現代美術へ広く影響しました。一方、東アジア思想を西洋前衛の資源として選択的に読み替えた方法にはオリエンタリズムとの批判があり、「何でも音楽になる」という自由も、演奏労働や聴取環境の格差を自動的に解消しません。
ポール・ボルカー
- 生没年:1927年9月5日~2019年12月8日
- 国:アメリカ
- 肩書き:経済官僚・連邦準備制度理事会議長
1979年にFRB議長となり、二桁のインフレを抑えるため通貨供給を引き締め、金利を大幅に上昇させました。物価安定への信認を回復し、中央銀行の独立性を強めた政策は「ボルカー・ショック」と呼ばれ、その後の金融政策の基準となりました。退任後も金融規制や公務倫理の改革に関わりました。一方、急激な引き締めは深刻な不況と大量失業を招き、農家、製造業、途上国債務国へ重い負担を集中させました。インフレ低下の利益と社会的費用を平均値だけで評価できません。
フレディ・マーキュリー
- 生没年:1946年9月5日~1991年11月24日
- 国:ザンジバル生まれ・イギリス
- 肩書き:歌手・作曲家
ロックバンド、クイーンの歌手として広い声域と観客を巻き込む舞台表現を示し、『ボヘミアン・ラプソディ』などでロック、オペラ、演劇を融合しました。スタジオ多重録音と大規模公演を往復し、1985年のライブエイドでは短い時間に圧倒的な共同体感覚を作りました。パールシー系移民である彼の越境的な存在は、英国ロックの国民的イメージも複雑にしました。一方、生前の性的指向とHIV感染は偏見のため公に語りにくく、死後の英雄化も本人の多面性を商品へ整理しがちです。バンドの成果を一人の天才だけへ帰すべきでもありません。
9月5日に起きた歴史的な出来事
- 1158年9月5日(保元3年8月11日)|後白河天皇が譲位し院政開始
後白河天皇が二条天皇へ譲位し、上皇として政治に関与する院政を始めました。天皇、上皇、摂関家、武士の権力が競合する時代を開きましたが、権力争いは保元・平治の乱から内戦へつながり、住民を巻き込みました。 - 1595年9月5日(文禄4年8月2日)|豊臣秀次一族処刑
豊臣秀吉の命により、秀次の妻妾と幼い子どもら39人が京都三条河原で処刑されました。後継者秀頼への権力集中を示す事件であり、連座によって罪のない家族まで殺す近世権力の苛烈さを伝えます。 - 1596年9月5日(慶長元年閏7月13日)|慶長伏見地震
近畿地方を大地震が襲い、伏見城の天守や京都・堺の建物が倒壊して多数が死亡しました。活断層地震が政治都市へ与える被害を示しましたが、死者数や震源の推定には史料差があり、後世の数値を確定値として扱えません。 - 1666年9月5日|ロンドン大火鎮火
4日間燃え続けた大火がほぼ鎮まり、数万棟の住宅と教会、市場が失われました。石造化と道路整備を含む再建を促しましたが、借家人や貧困層への補償は乏しく、災害後の都市改善が不平等な立退きにもなりました。 - 1774年9月5日|第一次大陸会議開会
北米13植民地のうち12植民地の代表がフィラデルフィアに集まり、イギリスの強制法への共同対応を協議しました。独立へ向けた大陸規模の政治協力を作りましたが、女性、奴隷、先住民は代表されず、自由の主体は限定されていました。 - 1781年9月5日|チェサピーク湾の海戦
フランス艦隊がイギリス艦隊を退け、ヨークタウンの英軍への海上支援を阻止しました。アメリカ独立戦争の勝利を決定づけましたが、帝国間戦争の一部でもあり、水兵と植民地住民は各国の戦略に動員されました。 - 1864年9月5日(元治元年8月5日)|四国艦隊が下関を砲撃
英米仏蘭の連合艦隊が、攘夷を実行した長州藩の砲台を攻撃して占領しました。軍事力の差を示して開国政策を促しましたが、列強の砲艦外交は主権を侵害し、藩の攻撃も外国船員と沿岸住民を危険にさらしました。 - 1882年9月5日|ニューヨークで最初の労働者パレード
労働組合が労働時間短縮と権利拡大を掲げてマンハッタンを行進し、後のレイバー・デーの起源となりました。労働の尊厳を公に示しましたが、初期労組は白人男性熟練工中心で、女性や黒人、移民の排除も抱えていました。 - 1905年9月5日(明治38年)|ポーツマス条約調印
日本とロシアが講和し、ロシアは韓国における日本の優越、南樺太割譲、南満州の権益移転を認めました。日露戦争を終わらせましたが、日本の朝鮮植民地化と満州進出を国際的に後押しし、現地住民の意思は交渉から排除されました。 - 1905年9月5日(明治38年)|日比谷焼打事件
講和条約に賠償金がないことへ反発した群衆が東京で警察署、新聞社、教会などを襲撃し、戒厳令が敷かれました。戦争を煽った政府と新聞への不満が噴出した一方、暴力は無関係な宗教施設や市民へ向かい、群衆政治の排外性も示しました。 - 1914年9月5日|第一次マルヌ会戦始まる
パリへ迫ったドイツ軍にフランス・イギリス軍が反撃し、短期決戦の計画を挫折させました。首都陥落を防いだ勝利でしたが、西部戦線を塹壕戦と消耗戦へ固定し、その後数百万人規模の死傷者を生む長期戦につながりました。 - 1972年9月5日|ミュンヘン五輪選手村襲撃
パレスチナ武装組織がイスラエル選手団を人質に取り、救出失敗を経て選手・指導者11人と警官1人が死亡しました。国際社会へ紛争を可視化しましたが、民間人を標的にする暴力は正当化できず、西ドイツ当局の準備不足も被害を拡大しました。 - 1977年9月5日|ボイジャー1号打ち上げ
NASAが外惑星探査機ボイジャー1号を打ち上げ、木星と土星の詳細画像、衛星の火山活動などを観測しました。太陽圏外へ進む長寿命探査となりましたが、冷戦期の宇宙技術と巨額の国家資源に支えられ、地球上の課題との予算配分も議論されました。 - 1978年9月5日|キャンプ・デービッド会談始まる
カーター米大統領の仲介でエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が和平交渉を始めました。翌年のエジプト・イスラエル平和条約へつながりましたが、パレスチナ人の自己決定と占領地問題を解決せず、中東和平の不均衡を残しました。