
8月17日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢46名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】8月17日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、グレゴリオ暦に換算した日付に基づいて掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1570年 | 佐竹義宣 | 武将・大名・久保田藩初代藩主 |
| 1625年 | 井伊直澄 | 江戸幕府大老・彦根藩主 |
| 1803年 | 板倉勝職 | 備中松山藩主 |
| 1812年 | 松平忠固 | 上田藩主・江戸幕府老中 |
| 1828年 | 松平光則 | 松本藩主 |
| 1848年 | 土井利恒 | 大野藩主 |
| 1869年 | 山中古洞 | 日本画家・浮世絵師 |
| 1870年 | 中村進午 | 国際法学者 |
| 1874年 | 岡田武松 | 気象学者 |
| 1884年 | 川村吾蔵 | 彫刻家 |
| 1892年 | 山口多聞 | 海軍軍人 |
| 1897年 | 川端茅舎 | 俳人 |
| 1902年 | 下村寅太郎 | 哲学者・科学史家 |
| 1918年 | 六代目笑福亭松鶴 | 落語家 |
| 1922年 | 平田清明 | 経済学者 |
| 1927年 | 埴原和郎 | 自然人類学者 |
| 1930年 | 小里貞利 | 政治家 |
| 1931年 | 中村正男 | 政治家・労働運動家 |
| 1931年 | 柳原良平 | イラストレーター・漫画家 |
| 1934年 | 石井一 | 政治家 |
【海外】8月17日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1473年 | リチャード・オブ・シュルーズベリー | ヨーク公・イングランド王族 |
| 1603年 | レンナート・トルステンソン | スウェーデン陸軍元帥 |
| 1629年 | ヤン3世ソビエスキ | ポーランド王・リトアニア大公 |
| 1686年 | ニコラ・ポルポラ | 作曲家・声楽教師 |
| 1753年 | ヨゼフ・ドブロフスキー | 文献学者・スラヴ学者 |
| 1754年 | ルイ=マリ・スタニスラス・フレロン | フランス革命期の政治家 |
| 1768年 | ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼー | フランス陸軍将軍 |
| 1786年 | ヴィクトリア・オブ・サクス=コバーグ=ザールフィールド | ケント公妃・ヴィクトリア女王の母 |
| 1786年 | デイヴィッド・クロケット | 開拓者・政治家 |
| 1799年 | ロベルト・フォン・モール | 法学者・政治家 |
| 1844年 | メネリク2世 | エチオピア皇帝 |
| 1887年 | カール1世 | オーストリア皇帝・ハンガリー国王 |
| 1887年 | マーカス・ガーベイ | 黒人民族主義運動指導者 |
| 1893年 | メイ・ウエスト | 俳優・劇作家 |
| 1893年 | ヴァルター・ノダック | 化学者 |
| 1896年 | レズリー・グローヴス | アメリカ陸軍軍人 |
| 1901年 | アンリ・トマジ | 作曲家・指揮者 |
| 1904年 | レオポルト・ノヴァーク | 音楽学者 |
| 1906年 | マルセロ・カエターノ | ポルトガル首相・法学者 |
| 1911年 | ミハイル・ボトヴィニク | チェス世界王者・電気工学者 |
| 1913年 | マーク・フェルト | 連邦捜査局副長官 |
| 1920年 | モーリン・オハラ | 俳優 |
| 1926年 | 江沢民 | 中国共産党総書記・国家主席 |
| 1929年 | フランシス・ゲーリー・パワーズ | アメリカ空軍操縦士 |
| 1930年 | テッド・ヒューズ | 詩人・桂冠詩人 |
| 1932年 | V・S・ナイポール | 小説家・随筆家 |
8月17日生まれの代表的な偉人
ヤン3世ソビエスキ
- 生没年:1629年8月17日~1696年6月17日
- 国:ポーランド・リトアニア共和国
- 肩書き:国王・軍人
オスマン帝国との戦争で騎兵を率い、1683年の第二次ウィーン包囲では救援軍の中心となって包囲を解きました。この勝利は中欧の勢力均衡を変え、ポーランド王国の軍事的名声を高めます。内政では王権強化と世襲王朝の確立を試みましたが、貴族の自由拒否権を基礎とする政治制度を改められませんでした。また「キリスト教世界の救済者」という記憶は、オスマン側や多民族社会の経験を捨象しやすく、宗教間対立を単純な文明戦争として語らない注意が必要です。
メネリク2世
- 生没年:1844年8月17日~1913年12月12日
- 国:エチオピア
- 肩書き:皇帝
諸地域を統合して近代エチオピア国家の領域を形成し、1896年のアドワの戦いでイタリア軍を破って独立を守りました。鉄道、電信、学校、病院を導入し、アディスアベバを政治の中心へ育てたことでも知られます。この勝利は植民地支配に抗するアフリカと黒人ディアスポラの象徴になりました。一方、南部への征服は大量の死者、土地収奪、奴隷化を伴い、中央集権化は多くの民族を従属させたため、反植民地の英雄像と帝国内部の植民地主義を併せて評価しなければなりません。
岡田武松
- 生没年:1874年8月17日(明治7年8月17日)~1956年9月2日(昭和31年9月2日)
- 国:日本
- 肩書き:気象学者
中央気象台で天気予報、暴風警報、測候所網の整備を進め、日本の近代気象事業を制度として確立しました。日露戦争時の海軍へ予報を提供し、のちに中央気象台長として観測の標準化と研究者育成を担います。台風研究にも力を注ぎ、日本語の「台風」という呼称の定着に大きく関わりました。一方、当時の観測網と理論には限界があり予報を万能とはできず、気象事業が植民地観測や軍事行動と結びついた歴史も、公共科学の発展と切り離さずに検討する必要があります。
マーカス・ガーベイ
- 生没年:1887年8月17日~1940年6月10日
- 国:ジャマイカ・アメリカ
- 肩書き:黒人民族主義運動指導者
世界黒人地位改善協会を組織し、新聞と大集会を通じて黒人の誇り、経済的自立、アフリカ解放を訴えました。植民地主義と人種差別の下で離れて暮らす人々を一つの政治的共同体として想像させ、のちのパン・アフリカ主義や公民権運動へ影響します。黒人海運会社ブラック・スター・ラインも設立しましたが、経営は破綻し、郵便詐欺で有罪となって国外追放されました。一方、強権的な組織運営や白人至上主義団体との会談は同時代の黒人指導者からも批判され、解放思想と分離主義の緊張を残しました。
カール1世
- 生没年:1887年8月17日~1922年4月1日
- 国:オーストリア=ハンガリー帝国
- 肩書き:皇帝・国王
第一次世界大戦中の1916年に即位し、秘密交渉を通じて連合国との単独講和を探りました。兵士への体罰を制限し、帝国の連邦化を提案するなど、前任者より穏健な統治を試みます。しかし戦争から直ちに離脱できず、軍事占領と欠乏の中で帝国臣民の犠牲は続きました。敗戦後も退位を明言せずハンガリー王位復帰を二度試みたため、平和を求めた君主という列福後の像だけでなく、民主的正統性を欠く世襲支配と戦争責任の限界から見る必要があります。
山口多聞
- 生没年:1892年8月17日(明治25年8月17日)~1942年6月5日(昭和17年6月5日)
- 国:日本
- 肩書き:海軍軍人
海軍航空畑を歩み、第二航空戦隊司令官として真珠湾攻撃やインド洋作戦に参加し、空母航空兵力の集中運用を担いました。ミッドウェー海戦では空母「飛龍」から反撃を指揮し、米空母ヨークタウンへ打撃を与えます。「飛龍」の沈没時に退艦せず艦と運命を共にしたため、果断な指揮官として記憶されました。一方、その能力はアジア太平洋への侵略戦争を遂行するために用いられ、死を美化する指揮官像は多数の部下を消耗品とした組織文化を覆い隠す危険があります。
レズリー・グローヴス
- 生没年:1896年8月17日~1970年7月13日
- 国:アメリカ
- 肩書き:陸軍軍人・技術行政官
国防総省庁舎の建設を監督したのち、マンハッタン計画の軍事責任者として研究所、工場、資源、数十万人の労働を統合しました。秘密裏に巨大な生産体系を築き、オッペンハイマーをロスアラモス研究所長に選んで原子爆弾完成を主導します。この管理能力は戦後の大規模科学計画のモデルになりました。一方、広島・長崎への投下と核軍拡の出発点を作り、ウラン採掘・製造現場の被曝や地域住民への情報隠蔽も生んだため、技術的成功は大量殺傷と長期的健康被害への責任を免れません。
マーク・フェルト
- 生没年:1913年8月17日~2008年12月18日
- 国:アメリカ
- 肩書き:連邦捜査局幹部
連邦捜査局副長官としてウォーターゲート事件の捜査情報を記者へ伝え、匿名情報源「ディープ・スロート」としてニクソン政権の不正暴露を助けました。情報は報道機関の検証と議会・司法の調査を促し、大統領辞任へ至る権力監視の象徴になります。しかし本人は長く身元を隠し、動機には公共心だけでなく局内人事への不満もあったと論じられています。さらに過激派捜査で令状なしの家宅侵入を承認して有罪判決を受け、のちに恩赦されたため、内部告発者であると同時に市民権侵害の責任者でもありました。
江沢民
- 生没年:1926年8月17日~2022年11月30日
- 国:中国
- 肩書き:政治家・中国共産党総書記
1989年の天安門事件後に中国共産党総書記となり、鄧小平の市場化路線を継承して輸出、都市化、外資導入を拡大しました。香港・マカオ返還を受け、2001年の世界貿易機関加盟を実現し、中国を世界経済へ深く組み込みます。民間企業家を党へ取り込む「三つの代表」も掲げました。一方、高成長は地域格差、汚職、環境破壊を拡大し、言論・宗教活動への統制や法輪功への苛烈な弾圧を進めたため、経済開放と政治的権利の抑圧を一体の統治として評価する必要があります。
V・S・ナイポール
- 生没年:1932年8月17日~2018年8月11日
- 国:トリニダード・トバゴ・イギリス
- 肩書き:小説家・随筆家
インド系家庭に生まれ、植民地社会の移住、模倣、帰属の不安を『ミゲル・ストリート』『ビスワス氏の家』などで精密に描きました。旅行記と小説を往復し、帝国崩壊後の社会で個人が抱える孤独と自己欺瞞を鋭い散文で示し、2001年にノーベル文学賞を受賞します。一方、アフリカ、イスラム社会、旧植民地を停滞と混乱の側から一般化した記述や、女性作家と身近な女性への侮蔑的態度が強く批判されました。植民地経験の観察者としての洞察と、帝国的な視線を再生産する限界の双方を読む必要があります。
8月17日に起きた歴史的な出来事
- 798年8月17日(延暦17年7月2日)|清水寺創建と伝わる
坂上田村麻呂が伽藍を整えたことを清水寺の創建とする伝承があります。寺は観音信仰と都の文化を担い、後世に世界遺産となりましたが、田村麻呂の活動は朝廷による蝦夷征討とも結びついていました。 - 967年8月17日(康保4年7月9日)|『延喜式』施行
律令の施行細則をまとめた『延喜式』が実施され、祭祀、官司の職掌、租税、駅伝など平安国家の運営基準となりました。古代制度を知る第一級史料ですが、都の官僚が定めた規範と地方社会の実態には隔たりがあります。 - 1654年8月17日(承応3年7月5日)|隠元隆琦が長崎へ到着
明から禅僧隠元隆琦が長崎へ渡来し、のちに黄檗宗を開いて建築、書、食文化へ新しい明朝様式を伝えました。文化交流の成果である一方、明清交代の難民的移動と、幕府による外国人・宗教統制の枠内で実現した渡来でした。 - 1807年8月17日|蒸気船クラーモント号が航行
ロバート・フルトンの蒸気船がニューヨークからハドソン川を遡る営業航海へ出発し、蒸気船交通の商業的成功を示しました。人と物の移動を速めましたが、河川環境の改変、石炭消費、先住民の土地への市場拡大も促しました。 - 1862年8月17日|ダコタ戦争始まる
条約で土地を奪われ、年金支給の遅延と食料不足に追い込まれたダコタの一部がミネソタで蜂起しました。入植者と先住民双方に多数の死者が出て、米政府は38人を一斉処刑し、ダコタ住民を強制移住させました。 - 1915年8月17日|レオ・フランクが集団リンチで殺害
少女殺害事件で有罪となったユダヤ系工場支配人レオ・フランクが、減刑後に刑務所から拉致され殺害されました。反ユダヤ主義と扇情報道、司法手続きの欠陥を示し、公民権団体の活動を強める契機となりました。 - 1942年8月17日|マキン奇襲作戦
米海兵隊が日本軍占領下のマキン環礁を奇襲し、施設を破壊して撤退しました。米側の士気を高めましたが、取り残された兵士の処刑、日本軍による島民への報復、のちの防備強化を招き、短期的宣伝効果には重い代償が伴いました。 - 1943年8月17日|シュヴァインフルト・レーゲンスブルク空襲
米陸軍航空軍がドイツの航空機工場とボールベアリング工場を昼間爆撃しました。軍需生産へ損害を与えましたが、護衛戦闘機の航続不足で爆撃機60機を失い、地上の民間人も犠牲となりました。 - 1945年8月17日|インドネシア独立宣言
スカルノとハッタが日本降伏後のジャカルタで独立を宣言しました。植民地支配からの国家形成の起点となりましたが、復帰を図るオランダとの独立戦争が続き、国内の地域・民族間にも暴力と対立を残しました。 - 1945年8月17日(昭和20年)|東久邇宮内閣成立
皇族の東久邇宮稔彦王を首相とする内閣が成立し、武装解除と連合国軍受け入れを進めました。敗戦後の混乱を抑える役割を担いましたが、戦争指導層の責任を曖昧にしたまま旧体制から占領統治へ移る暫定政権でもありました。 - 1949年8月17日(昭和24年)|松川事件
東北本線で列車が脱線して乗務員3人が死亡し、労働組合員ら20人が起訴されました。国鉄人員整理期に共産党・労組への疑いが強められましたが、長い裁判の末に全員無罪となり、捜査の誘導と証拠評価の危うさを示しました。 - 1960年8月17日|ガボン独立
ガボンがフランスから独立し、アフリカの脱植民地化が進みました。石油と森林資源を持つ国家として出発しましたが、フランスとの軍事・経済関係と長期政権が続き、形式的主権と実質的依存の隔たりが課題となりました。 - 1962年8月17日|ペーター・フェヒター射殺
18歳の石工ペーター・フェヒターがベルリンの壁を越えようとして東ドイツ国境警備隊に撃たれ、救助されないまま死亡しました。壁が家族と都市を分断し、移動の自由を致死的な武力で封じたことの象徴となりました。 - 1982年8月17日|世界初の市販用コンパクトディスクを製造
西ドイツの工場でABBAのアルバム『ザ・ヴィジターズ』のCDが製造され、音楽のデジタル媒体への移行が本格化しました。高音質と複製性を広げましたが、規格企業による市場支配、買い替え需要、電子廃棄物も生みました。 - 1999年8月17日|イズミット地震
トルコ北西部でマグニチュード7.6の地震が発生し、1万7千人を超える死者と大規模な住宅・工場被害を出しました。北アナトリア断層の危険に加え、耐震基準違反、腐敗、救援体制の不備が被害を拡大しました。 - 2017年8月17日|バルセロナ車両突入テロ
バルセロナのランブラス通りで車両が歩行者へ突入し、関連事件を含め16人が死亡、多数が負傷しました。過激派組織に影響された集団の犯行で、被害者追悼とともに、恐怖を移民・宗教集団全体への憎悪へ転化させない連帯が求められました。